家庭教師と生徒な僕 ---2.
バタバタと廊下を走る音と共に、自分を呼び止める声が背後から聞こえ、青島は歩みを止めて振り返った。
「先輩!」
「……何だよ、真下。今日は会議は無かった筈だろ?」
ゼイゼイと弾む息を整えながら、真下は青島をキッと睨んで珍しく怒鳴った。但し、あまり迫力は無かったが。
「そうじゃありませんよ! この前の日曜日、中等部の練習試合の応援に行ったそうじゃないですか」
「え、ああ。行ったよ。雪乃さんに応援しに来てくれって言われて」
「ああっ、やっぱり! 雪乃さんが出場してるんなら、どうして僕も誘ってくれなかったんですか?!」
「……何でお前を誘わなくちゃいけないんだよ」
頭を抱えて嘆く真下に向かって、呆れた顔であっさり冷たい言葉を吐く青島は、かなりの人非人であった。
「そんなの、真下君が雪乃さんを狙ってるからに決まってるじゃない」
「すみれさん」
丁度通りがかったすみれが、真下のフォローになっていないフォローをした。
「話をするのは良いけど、真ん中に立ってたら邪魔よ」
そう言って、すみれは二人を端に引っ張った。端に寄ったからと言って、生徒会役員が三人も集まって立ち話をしていれば目立つ事この上無いのだが、残念ながらこの中にいる誰もがそんな事に気付く様な神経を持ち合わせてはいなかった。
「雪乃さん、格好良かったわよ。こうビシっと技を決めてね」
「あれ、すみれさんも来てたの?」
「勿論。雪乃さんに誘われたから」
「……もしかして、僕だけ誘われなかったんですか?」
がっくりと項垂れた真下の肩を、ポンポンと軽く叩いて慰めてやるすみれだった。
「何だ、来てたんだったら、声掛けてくれれば良かったのに」
「…あら、お邪魔じゃなかったのかしら?」
青島の軽い台詞に、すみれがニヤリと含みのある笑いで言い返した。そんなすみれの言葉に、青島は何となく怯んでしまった。
「……何、それ」
「青島君、一緒に来てた人って、例の家庭教師?」
「え! 先輩、家庭教師なんているんですか!」
落ち込んでいた筈の真下は、しっかりと立ち直って興味津々で訊ねてくる。調子の良い奴だなと思いつつ、青島は「そうだよ」と素直に返事をした。別に嘘をつかなければならない事などないのだから……今の所は。
「母さんが最初は塾に行かせようとしてたみたいなんだけどさ…」
真下に向かって、青島は家庭教師を雇う羽目になった経緯を話してやった。
***
「俊作。勉強の方は大丈夫なの? 毎日遊びに行っていて、家で勉強をしている様には見えないんだけど」
久し振りの家族の団欒である夕飯の席にて、青島は母親に訊ねられてしまった。ご飯を勢い良くぱくぱくと食べていた青島は、動作を止めずに「大丈夫だよ」と応えた。が、母親は溜め息を吐いて、隣に座る父親をちらりと見て言った。
「そうは言っても、大学に行くんだったら受験に備えて今から勉強しておいた方が良いと思うのよ。俊作、塾に行く気は無いの?」
「塾ぅ?!」
明らかに嫌そうな顔で言った青島に、大人しく食事をしていた雪乃はクスリと笑った。
「俊作に塾は無駄だろう。どうせこいつの事だ、途中で行かなくなるに決まっている。どうせなら、家庭教師でも雇った方が良い」
「それもそうね」
父親の的確な意見に、母親もあっさりと同意してしまい、青島本人は慌てた。
「え、ちょ、ちょっと待ってよ」
「うちの大学にいる誰かにバイトに来させよう」
「ちょっと、父さん!」
「何だ?」
どんどんと話を進める父親を、叫ぶ様に止めた青島だったが、此処で『家庭教師等必要無い』等と素直に言って、もっと変な約束をさせられるのは御免だったので(青島父はそういう人間だった)、溜め息を一つ吐いて諦めた様に言った。
「俺、美人の先生じゃなきゃ、絶対嫌だかんね」
「ん? おお、任せておけ」
笑いながら言った父親に、あまり期待していない風で睨みつつ、食事を続けた青島だった。青島の「美人じゃなきゃ嫌」と言う台詞に、少し不服そうな顔をした雪乃には誰も気付かなかった。
***
「それで、美人だったんですか?」
「それがさぁ…」
「あら、美人だったじゃない? センセイ」
すみれの突っ込みに、青島はがっくりと肩を落としてしまった。
「そういえば、すみれさんは日曜に見てるんでしたっけ? どうでした?」
黙ってしまった青島を放っておいて、真下はすみれに情報を聞き出そうと身を乗り出した。すみれはちらりと青島を見て、
「黒のショートヘアで、大きな一重の瞳をした小柄な美人。性格も真面目そうだし、青島君の好みなんじゃない?」
と更に誤解を招く様な発言をした。
「ちょっとすみれさん……」
「良いな〜、先輩ばっかり狡いですよ。可愛い妹に、美人な先生なんて」
「あのな、真下」
「今度紹介して下さいよ、先輩!」
真下の文句に、青島は疲れ果てながらも言ってやった。
「紹介してやっても良いけど、会ってどうすんだよ。父さんが選んで来た家庭教師の先生は、確かにまあ、美人は美人だったけど…、室井先生は『男』だかんな?」
「……男?」
「そう、男」
「なんだ」と急に興味が失せた様子の真下に呆れた顔をした青島は、そこでじっと自分を見ていたすみれと目が合った。
「…何?」
「確かに男の先生だったけど、青島君って結構ああいうのが好みだったりするでしょ?」
「……ナニ、ソレ」
おかしな事を言うすみれに、青島は眉を顰めて聞き返した。
「だって、試合を一緒に見に来てた時の青島君、すっごく嬉しそうだった。何時も青島君って笑っているけど、あんなに嬉しそうな表情は今迄見た事無かった」
「別に…」
「あんまり楽しそうだったから、話し掛けられなかったのよ、あたし」
「へ?」
ちょっと拗ねた様に言ったすみれに、青島は呆然とした表情で見詰めてしまった。そんな青島を見て、すみれは「何てな」と言って笑った。
からかわれたと思った青島は、膨れた顔をして睨んだ。
「あら、仲が良さそうだったのは本当でしょ。今度あたしには紹介してね。じゃ、又明日」
あっさりと青島をあしらって、すみれはさっさとその場から立ち去ってしまった。残された青島と真下は、互いに複雑な顔をして溜め息を吐いた。
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