家庭教師と生徒な僕 ---1.



「ただいま〜」

玄関で靴を脱ごうとした青島は、よく磨かれた綺麗な男物の靴を見て、「あ、ヤベ。もう来てる」と小さく呟いた。

「俊作、先生お待ちされているから早く部屋に行きなさい」
「は〜い」

台所から顔を出して即す母親に、弛んだ返事をしながらも、慌てて靴を脱ぎ捨て階段を駆け昇る。

「すいません、遅くなりました!」

バタン、と大きな音をたててドアを開けると、机の上に置きっぱなしの参考書を開いて読んでいた彼は、顔をこちらに向けて眉を顰めた。

「お帰り、青島君。…ドアは静かに開けたまえ」
「は〜い」

今度は静かにドアを閉めながら返事をすると、更に眉間の皺を寄せられてしまった。

「間延びしない」
「はいはい」
「返事は一回」
「……はい」

プッと小さく噴き出した青島に、不機嫌そうに「何だ」と睨み付けて来る。

「いいえ、何でもありません」

と言ってにっこり笑うと、相手はそのまま黙り込んでしまう。もう既に二人の習慣になってしまっている、お決まりのパターンだった。

「開けるぞ」
「あ、どうぞ」

気を取り直した(諦めたとも言う)彼は青島に確認を取ると、先程青島が机の横に放り投げた鞄を拾い、その中から教科書を取り出していた。そんな様子を横目で見つつも、青島は制服を脱いで私服に着替え始めた。

「室井先生、今日は大学の講議があるから遅くなるって言ってませんでしたっけ?」

シャツに首を通しながら青島が訪ねると、

「教授の都合が悪くなって休講になった。そろそろ君も試験が近いだろう。出来る時に少しでも教えておきたい」
「はぁ」

そっか、と納得しながらも着替え終わってふと振り向くと、動きを止めて黙ってしまった室井の後ろ姿に「?」となって首を傾げる。

「……迷惑だったか?」
「はぃ〜?」

予想外の台詞に、青島は益々首を捻った。

「何で?」

室井の真意が判らないので、青島は素直にそのまま訊ねてみた。すると、ゆっくり振り向いた彼は、怒った様な困った様な表情をしていた。

「君の都合を考えなかった」

ぱちくり、と瞬きした青島は、どうやら己の都合で予定を変更してしまった事に、室井が酷く反省しているのだと気付いた。

「何で? 俺は別に気にしてないッスよ。それに、早めに来てくれたのは俺の為なんですよね? 迷惑どころか嬉しいに決まってるでしょ」

満面の笑顔でそう言うと、室井は戸惑った顔をして青島を見詰めた。そのまま何となく見詰めあっていると、コンコンと軽いノックの音がして、お互い妙に驚いてしまった。

「は、はい」

慌てて青島が返事をしてドアを開けると、お茶を持った母親が顔を覗かせた。

「俊作、お茶をお持ちしたから、室井先生に差し上げて頂戴ね」
「あ、うん」

持っていたお盆を青島に持たせると、母親はそのまま背後に立っている室井に向かって「俊作を宜しくお願いします」と微笑んで挨拶をした。室井は少し動揺している様子ながらも「はい」と生真面目に返事を返していた。
ドアを閉めてお茶を机に置いた青島は、視線を室井に向けて二人同時に「ふう」と溜め息を漏らした。

「それじゃあ…」

気を取り直した室井が勉強を始めようと青島に声を掛けかけたが、またもやコンコンとノックの音がした。青島はバツの悪そうな表情で室井を見上げると、じろりと睨んで「早く出ろ」と目で語られてしまった。

「まだ何かあるの、母さん…」
「あっ、すいません、私です」
「あれ、雪乃さん。今日は部活じゃなかったっけ?」

項垂れながらドアを開けた青島の目の前に立っていたのは、青島の義理の妹、雪乃だった。

「はい、これから行って来ます。今は忘れ物取りに戻って来ただけで…。あ、室井先生こんにちは」

青島と話しつつも室井の姿を見付けた雪乃は、慌ててペコリと頭を下げて挨拶をした。室井も軽く頷いて挨拶する。その後二人は成り行きを眺めていた青島に視線を向け、青島は僅かに動揺しながら雪乃に向かって問い掛けた。

「え、な、何? 何か用事あるんだよね?」

雪乃は少し言い難そうにしながらも、じっと青島の目を見詰めて言った。

「あ、あの。今週の日曜日に試合があるんですけど、……その、見に来て貰えますか?」
「部活の?」
「はい」

何となく必死な表情で言われて、青島は首を傾げながらも軽く笑って言った。

「良いよ、日曜は特に予定入って無いし。雪乃さんも出場するんだよね?」
「はい。練習試合なんですけど」
「それじゃ、これからその練習なんだ。応援しに行くから、頑張ってね」
「はい!」

嬉しそうに返事を返した雪乃は、礼儀正しく「失礼しました」と言って静かにドアを閉めて出て行った。
笑顔で手を振っていた青島は、くるりと後ろを振り向いて室井の顔を見る。二人のやり取りを何となく面白く無いといった風情で見ていた室井に、青島はお強請りする様に上目遣いで言った。

「先生、日曜日って何か用事あります?」
「……特には無いが」
「一緒に行きません?」
「……」

じっと見詰める青島を、室井は不機嫌そうに睨み返す。そんな室井に、青島はやっぱり駄目かなぁと思いつつも、再度お伺いをたてる。

「中学生の部活の練習試合だから、先生にはつまらないかもしれないけど」
「誘われたのは、君だろう」
「そうですけど。一人で行ったってつまらないし」
「…友達を誘えば良いだろう」
「俺は先生と行きたいんだもん」

室井のつれない台詞に、青島は拗ねた口調でしつこく「駄目?」と聞いた。室井は眉間に皺を寄せつつも、憮然と「日曜だな」と呟いた。そんな室井に青島は見えない尻尾を振って喜んだ。

「当日、晴れると良いッスね」
「……そうだな」

室井の素っ気無いながらも肯定した返事に、嬉しそうに笑顔を向けた青島の頭を軽く叩いた。

「ほら、教科書開け」
「はい」

素直に教科書を開き始めた青島を眺めつつ、室井は彼には見えない様に僅かに微笑した。そして、お互い密かに日曜日を心待ちにしながら授業を開始したのだった。


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水無瀬さんの『家庭教師の室井さんに惚れてしまって、何時か落としてやろうと
虎視眈々と狙う青島』が元ネタです(爆)。しかし早くも見当違いな方向に…?