踊れ! ピーポー君
- その6-


珍しく定時に上がる事が出来た室井は、早々と自宅に戻っていた。椅子に凭れて書類を読んでいたが、ふと顔を上げて溜め息を吐いた。

もう、どのくらい青島の顔を見ていないだろう。

電話で声位は聞けるとはいえ、こう何日も会えない日が続くと寂しいという感情が競り上がってくる。
最初の頃は、懐かしい部署でやりたかった仕事が出来てそれなりに楽しんでいたのだが、仕事をしている間は忘れる事が出来ても、こうやって一人で家にいると、彼の温もりが恋しくなってくる。

…参ったな。

身体が入れ代わってしまった事は勿論困った事では有るのだが、青島に会えない事の方が室井には辛かった。
普段から会える機会は少なかったとはいえ、会えるのに会えないという現在の状況は、正直耐えるのが困難だった。

せめて原因が判れば何かしようも有るんだが……。

考えても仕方ない、と気を取り直して、気分転換にコーヒーでも煎れようと立ち上がったその時、棚に並んでいる物体に視線が止まった。

……ピーポー人形?

手を伸ばして取り上げてみる。ちょっとマヌケな顔をして笑っている表情が、何と無く青島を思い出させた。

何でこの人形が此処に有るんだ?

至極尤もな意見だが、それに答えてくれる人物は此処にはいなかった。じっと見詰めていた室井は、何と無くソレに愛着を感じ始めている自分を感じた。
ポイっとベッドの上に放り投げて、キッチンへと向かう。今夜はあの人形と一緒に寝るか、と頭の隅で考えながら。

* * *



定時に無理矢理上がった青島と和久は、電車に乗って道を急いでいた。

「全く、あいつにも困ったもんだよ」
「……流石、和久さんのお友達ッスよね」

流れる風景を見詰めながら、青島は昼間にモグラから聞いた話を思い出していた。



「願いを叶えると言っても、あの人形が叶えるんじゃない。たまたまその人形にまじないがかかっていたって言う話だ」

利害が一致した青島と和久に、淡々とモグラは真相を話し始めた。

「まじない?」

魔法とかそういう類だろうか、と二人は首を捻る。

「海外では普通の事だよ。まあ、願い事を叶えるなんて夢みたいな事が出来る奴がいるとは知らなかったけどね」

日本にも昔からそれに似た様な藁人形やお守り等と言ったモノが有るには有るが、どう考えてもああいうのは迷信っぽいというか、相当の信者でないと心底信じている人間はあまりにも少ない。流行りでそういう類いのモノが出回る事もあるが、大抵は直ぐに廃れる世の中なのだから。

「それじゃあ何だ、その願いを叶える人形は一つだけって事なのか?」
「だから連中も必死なのさ」
「でもさ、それならそのまじないをかけた人を捜した方が効率良くない?」

青島の台詞に、モグラは皮肉な微笑を浮かべた。

「青島さん。まじない師っていうのは、そう簡単に居場所を突き止められない様に、細心の注意を払っているものだ。自分の身を守る為にね。特定の場所に居るなんて事はありえない。捜すのは無理だね」
「……成る程なぁ。しかし、そいつは本当に願いを叶えるのか?」

感心しながらも、和久は注意深くモグラの台詞と表情を観察している。

「噂が真実かどうかは知らない。ただ、信じた連中はそれを手に入れようと躍起になってる」
「当然だな。そんな物が本当に有れば、誰だって手に入れたいと思うだろうよ。特にお前らの様な奴等はな」

睨みながら言う和久に、彼は不敵な薄笑いを浮かべた。

「どうしてあんたは参加しなかったんだ?」

青島が問うと、ゆっくり視線を彼に向けて言った。

「最初は興味を持ったけどね。手掛かりの無い、雲を掴むかの様な情報だけじゃ、俺は動かないよ。それに、俺達みたいな奴等の願い事は叶えられない様だしね」
「……どういう事だ?」
「あの人形は、それを持っている人物の願いを叶える。だが、その願いは『無意識』でなければいけないんだよ」
「『無意識』な願い?」
「そう、自分の願いを叶えて貰おうって欲の有る連中には、意味が無い」
「……」

それでは確かに意味は無いかもしれない。自分の願い事が叶わないのでは、苦労して手に入れたって仕方が無い。特にこういう人間達には。せいぜい誰かに高く売る位だろう。相手がそれを信じれば、だが。

「しかし、この一連の事件に関わっている奴等は普通の一般人なんだぞ。しかも失敗したら一定期間の記憶が無くなってるときた。こりゃあ、どういう事だ?」

それもあったなと青島が思っていると、モグラは意外にあっさり応えた。

「ああ、それはこっちの奴等の仕業だよ」
「……何だと?」
「交番とはいえ、人形を手に入れるには警察の中に入って行かなきゃなんないんだ。そんな危ない橋を渡る様な真似を連中はしない。それとなく情報を流して、興味の有りそうな人間に暗示を掛けているのさ。人形を見付けたら、それを盗む様にってね。上手くいったら自分達の所に持ってこさせて、失敗したら証拠隠滅の為に記憶を消去する。俺達の常識だ」
「お前ぇら…!」
「おっと、俺に当たらないで下さいよ。俺はこの件に関しちゃあ、全く手を出していないんだ。責められる謂れは無い。そうでしょう?」

相変わらずちゃっかりしている男だった。和久も、溜め息を吐きながらも怒るのを諦らめた様で、気を取り直して質問している。

「その人形が何処に有るのかは、お前ぇにも判らねえのか?」
「さあ? 元の持ち主が警察署内で無くして、その後何処かの所轄か交番に混じったんだろう、という事位しか判らない」
「何だ、お前ぇさんらしくねえな」
「……流石に、持ち主には近付けないですからね」

肩を竦めて苦笑するモグラに、青島は疑問を投げかける。

「その、元の持ち主って誰な訳?」

警察署内で無くしたと言う事は、その人物は警察関係の人間と言う事だろう。しかし、いくら警察の人間だからとはいえ、彼なら何らかの繋がりで情報を仕入れる事も出来そうだと青島は思い、「この男が手を出せない程の人物って」と考えていると。

「和久さんのよく知っている人だよ」
「和久さんが?」
「俺が?」

訝しそうに顔を顰めて首を捻る和久に、モグラは怪しげな微笑を浮かべた。

「そう。俺が手を出せない、和久さんの長年の親友」
「……あいつか!」
「和久さん?」



そして青島と和久は、その『諸悪の根元』とも言う人物に会いに行こうとしているのだった。

「……結局、この事件の発端は、あの人が原因だったんスね」
「昔っから人騒がせな奴だったんだよなぁ」

しみじみと和久が呟く。「和久さんに言われたらお終いって気がするんだけど…」とは思っても口には出さない、少しは利口になった青島だった。但し、大して持った試しは無いが。

「でも、一体何処で手に入れて、何に使う気だったんでしょうね?」
「そいつを今から聞きに行くんじゃねえか」
「……そうッスね」
「いっぺん絞り上げてやんなきゃいけねぇな」
「……」

あの人物に対してそんな恐れ多い言葉を平気で吐けるのは和久位だろう。
青島は電車内の手摺に凭れて、小さく溜め息を吐いた。

*  *  *



「お前ぇはなあ、何だってこんなやっかいなモンを持ち込みやがったんだ?」

呆れ返って高そうなソファにぐったりと寄り掛かる和久と、隣でお茶を出してくれる奥さんに僅かに恐縮しながらも笑顔でお礼を言う青島達は、あろう事かアポも取らずに吉田副総監の自宅に上がり込んでいた。
普通のノンキャリ刑事が、そうおいそれと簡単に会える人物では無い筈なのだが、当の副総監は気にも留めず、反対に和久との久し振りの逢瀬(?)に勧んで家に招き入れてくれた。

「いや、私も最初は遠慮しようと思っていたんだが、ふと和久さんが零していた言葉を思い出してね」

悪びれずにゆっくりと湯飲みの緑茶を一口啜って話す副総監に、和久が怪訝そうに問い掛ける。

「俺が何だよ」
「ほら、前に会った時に、自分の娘を早く結婚させてやりたいってぼやいていたじゃないですか」
「ああ、あの和久さん似の清らかなお嬢さん…」

ついポロリと口が滑って、またもや和久に睨まれる青島だった。

「そんな事も言ったかな」
「それを持っていれば娘さんを結婚させる事も出来るだろうと思いたったんで、和久さんにその人形をお渡しして貰う様にお話しようかと考えていたんです」

青島は副総監の思い遣りに、素直に感動していた。が、きっと言った事すら忘れているだろう和久の性格を考えるだに、報われない彼の行動に内心同情しつつも、声に出したのは別の事だった。

「でも、お嬢さんが結婚したいと思わなきゃ、それって意味無いんじゃ無いんスか?」

そう、あれは持ち主の無意識の願いを叶えるモノだから。

「その前に、暫く和久さんに持っていてもらおうと思っていたんですよ」
「あ、成る程」

納得した青島は、すっかり副総監と意気投合していた。

「余計な事考えてんじゃねえよ」

憮然とした口調で和久が言うので、青島もムキになって副総監のフォローをした。

「そんな言い方無いじゃないッスか。副総監は和久さんの為と思ってした事なんスよ?」
「んじゃあ、何か? 息子にはお前ぇみたいなのが良いと俺が思ってたら、お前ぇ俺の娘と結婚してたかもしんねえんだぞ」
「……」

黙り込んだ青島を、和久はジロリと睨む。

…とんだ薮蛇でした。

大人しくなった青島を加勢するかの様に、副総監が呟いた。単に反撃に出ただけかもしれない可能性は大であるが。

「そうですね、和久さんの無意識に願っている事が、必ずしも娘さんの結婚とは限りませんからね」
「……どういう意味だよ、そりゃ」

和久がむっとした顔で文句を言うが、その意見に懲りない青島も同意した。

「どちらかっていうと、和久さんの無意識な願いの中で一番強そうなモノって腰痛だもんね」
「この人は昔っからそういう人ですからね」
「やっぱりね」
「おい、お前らなぁ!」

怒鳴る和久を余所に、青島と副総監は肯きながらお茶を啜った。
結局あの人形は、副総監が仕事で海外に出掛けている際に挨拶品として持っていった残り物で、何と無く入った怪し気なまじない師に副総監が気に入られて、その人形にまじないを掛けて貰ったと言うのだ。
モグラの言った通り、その人形は持っている人の願いを一つだけ叶えてくれるのだが、それは本人が意識していない願いでないと叶えられなく、しかも願いが叶った後は……。

「全く、余計な面倒を起こしてくれたもんだよ。こんなくだらねぇ事件のお陰で俺は…」
「モグラとデート、ッスもんねぇ」
「……『モグラ』と『デート』?」

つい愚痴を零した和久に続いてポロリと漏らした青島の言葉に、副総監は敏感に反応した。突っ込まれた和久はジロリと青島を睨み付けたが、じっと見詰める副総監の視線に溜め息を吐いて言った。

「…何でもねぇよ」
「和久さん、『モグラ』って誰ですか?」

誤魔化そうとした和久に、容赦無くにっこりと微笑んで問う副総監は、表情とは裏腹に恐ろし気な空気を纏っていた。

「誰って、誰でも良いだろ」
「デートって、まさか和久さん、不倫をするつもりなんですか?」
「だから、デートなんかじゃねえって。おい、青島、お前ぇがつまんねえ事言うからややこしい事になっちまっただろうが!」

……何か、これって痴話喧嘩?

唖然としている青島を和久は苦々しい顔で睨みつけた後、「とにかくだな」と話を元に戻すべく、副総監に問う。

「んで、その人形は今、何処にあんだよ?」
「…それが判っていれば、苦労はしていませんよ」

渋々と質問には応えたが、まだちょっと拘っているらしい。ほんの少し拗ねた様な口調が、何だか親近感を感じさせるなと、青島は密かに思った。
副総監の話しでは、旅行の帰りにその人形を持ったまま警視庁に戻り、その時置き忘れて行方不明になってしまったと言うのだ。それで回りの人間に簡単に事情を話して捜す様に頼んだら、何時の間にかこの様な状態になってしまったと言う訳だった。

……これだから、警察官は信用出来ない。

「えっと、何かそれと判る様な手掛かりは無いんですか?」
「手掛かりと言っても、普通の人形なんだがね」

ふむ、と手を顎に付けて悩む副総監は、ふと思い付いたらしい。急に青島と和久を見て言った。

「そういえば、あの人形には腕章が付いていたな」
「腕章?」

あれ? それって何処かで見た覚えが有る様な……?

青島は首を傾げて、自分の記憶を遡って考え込んだ。


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和久さんフリークが又増えました…。私の大好きな副総監でぇ〜す!(でぇ〜すじゃない!!) かなりお茶目になってしまいました。おかしいな、渋いオヤジが好きなのに。でもこのお話はコメディなんですから気にしない気にしない(笑)。サラッと流して下さいね? しかし室井さん、寂しいんスね…。御免ね、もうちょっとだから〜(と室井さんに甘い青島ファン)。