踊れ! ピーポー君
- その5-


ふう、と自分の席に座っていた新城は、心の中で溜め息を吐いた。
知らない仕事で最初は戸惑っていたが、一通りは室井から説明を受けてもあったし、仕事自体が指示をしたり、挨拶回りをしたり、書類に判子押しをするだけだったりしたので、正直拍子抜けしていた彼だった。

何て無駄な役職なんだ。

新城は、自分が実際その立場になってみると、室井が嘆いていた気持ちが身に染みて良く判ってしまっていた。だからといって、事有るごとに現場に出て来る彼の気は知れない、とは今でも思っているのだが。それでも『まあ、確かに暇潰しにはなるかもしれない』と、ぼんやり考えていた位には暇だった。

「室井参事官、お車の用意が出来ました」
「……ああ」

呼びに来た部下の声で我に返り、ゆっくりと席を立って外出の用意をする。すると、今部屋に入って来た別の部下が、新城を見付けて駆け寄って来た。

「失礼致します、参事官。こちら先日の調査の結果報告書です。今日の予定は夕方が空いておられるとお聞きしておりますが、現場の視察に伺われますか?」
「……ああ、手配しておいてくれ」
「はい」

そのまま踵を返して颯爽と立ち去って行く姿を見送った新城は、軽い溜め息を吐いた。今は慣れたので新城も平気で答えているが、最初は大層驚いたのだ。部下が、現場に行く手続きを言われもしないのにやっていて、準備が出来ると伝えてくる。現場に行くのが当然となっているこの状態に、新城は呆れ返ってしまっていた。

あの人は、本当に物好きな人だな。

そう思いながらも、実は新城も結構楽しんでいたりする。昔は、必要な時はそれなりに、自ら現場に赴く事もしていたのだ。外に出て回りの意見を聞く事を、ある程度はしておいた方が良いというのも理解はしている。今は、殆ど反抗心の為にムキになって現場に行く事をしなくなっていたが、意外と新城は現場が好きだったりするのだ。……誰にも言う気は無いが。
玄関に着けられた車に乗り込み、鞄の中に入っている書類を取り出して目を通す。
自分に何か有った時誰が見てもすぐに判る様に、必要な物は全て纏めて閉じてある綺麗に整理された書類にも感心した。時々、暇潰しも兼ねてか、改正すべき事項や提案の書類等も出て来たりする。そんな室井の知らなかった一面を見る事が出来て、こそばゆい気持ちも有ったが、悪い気はしなかった。
入れ替わってしまったあの日、新城と室井は仕事に支障が無い様に、お互いの仕事の内容を確認しあっていた。何か有った時は直ぐに携帯で連絡を取り合い、今の所問題は起こっていない。
正直に回りに話してしまおうかとも思ったのだが、敢えて混乱は避けたかったし、変な噂が立つのもいちいち説明して回るのも面倒だと二人共同じ意見だったので、そうなったら怪しまれない様に徹底する為お互い部屋も交代していた。
私生活の方も、普段からプライベートの少ない彼等であったから、何ら困る事は無かった。……室井の恋人の件以外には。

「……」

入れ代わってしまった時の状況を思い出して、つい、眉間に皺を寄せてしまった新城だった。なるべく思い出さない様に、考えない様にしていたのだが、忘れ様にも忘れられないのは致し方ない事であろう。気が付いた時、自分はあの男に押し倒されていたのだから。



柔らかいベッドの上に横たわる感覚と、何と無く心地よい重みが新城の身体に覆い被さっていた。
自分の身体を弄る手の動きと、首筋に滑る唇の触れる感触に、新城は自分の吐息が熱く漏れるのを感じた。

……?

薄暗い部屋に、ベッドに横たわる自分。そして自分に優しく触れてくる、逞しい身体をした男の息遣いが聞こえる。

「室井さん…」

掠れたその声は、普段と違って余りにも低く甘い声音で、その囁きを耳元で聞いただけでも腰にきそうだった。その声の主を新城は知っていたが、自分が『室井』と呼ばれる筋合いは無かったし、それ以上に今の状況が彼には呑み込めていなかった。唇を今まさに重ねようとした相手を、新城は慌てて止める。

「……待て!」

相手の動きがピタリと止まる。

「どうしたんですか、室井さん?」

訝し気に覗き込む相手に驚いているのも事実だが、それよりも呼び掛けられている名前に疑問を感じる。

「誰が室井さんだ。私は新城だ」
「はぃ?」

身体を起こして変な顔をした相手を無視して、新城も身を起こしてベッドの上に座る。
改めて部屋を見回すと、知らない部屋のベッドの上に自分はいるのだと新城は理解した。…したが、この状況は理解出来なかった。彼はさっきまでレストランにいた筈で、こんな乱れた格好でこの男と見知らぬ部屋で抱き合っている等と、新城の理解の範疇を超えていた。

「ここは何処だ?」
「…俺の部屋です」
「何故、私がお前の部屋にいるんだ?」
「室井さんが自分から、『時間が出来たから会いたい』って言って来てくれたんじゃないですか」
「だから、何処をどう見たら、私が…」

押し問答になったその時、新城はふとガラスに映る青島と自分の姿を見た。

「……室井、さん?」

呆然とした新城は、信じられないとばかりに息を飲む。

「大丈夫ですか?」

心配気に声を掛けて来る青島に、動揺した新城は縋り付く様に質問した。

「…これは一体、どういう事なんだ?!」
「それ、俺の台詞だと思うんスけど…」

ぼりぼりと頭を掻く青島は、その時急に鳴り出した電話のベルに反応して受話器を取る。

「はい、青島です。……へ? 室井さん? え、でも、その声って新城さん…ですよ…ね?」

驚いて青島は新城の顔を見詰めると、険しい表情をした室井の顔が目に映る。

「だから、さっきから私が新城だと言っている」



あの後、新城の姿をした室井が夏美と共に部屋に来て、集まった四人は取り敢えず状況を把握して納得(?)し、相談しあった結果、今の状況に至るのであった。
しかし、と新城は思う。ひょんな事から二人の関係迄知ってしまった新城は、何となく複雑な気分だった。確かに、前々からあの二人は怪しいとは思っていたが、
まさか本当にそういう関係だったとは、流石に想像していなかったのだ…。
状況を把握した後の、青島の困った顔が目に焼き付いていた。



「あの、新城…さん」

室井と夏美が席を外した時、バツの悪そうな表情で青島は新城に話し掛けた。

「何だ?」
「その、気持ち悪い思いをさせてすみませんでした」

ペコリと頭を下げて素直に謝まるその姿に、新城はちょっと驚いた。
実は新城は、押し倒された事については余り気にしていなかったりする。いや、かなり驚いたには違い無いのだが、それよりも、いきなり状況が変わった事の方が驚いたし、室井の姿になってしまった事の方が頭の痛い難問であると思うから、そんな些細な事を気に留めて等いられなかった、と思っていたのだが。

「男に押し倒されて、気持ち良い訳無いッスもんね」

しかも相手は俺だし、と頭を掻いて苦笑いする青島に、新城は何となく面白く無くて、少々意地悪く問い質してみた。

「……お前達はそういう趣味が有ったのか?」

新城のその言葉に、青島は笑いを収めて真顔で否定した。

「そんな訳、無いでしょう。俺も室井さんも、男よりも女の方が好きですよ、勿論」

静かに言う青島の真剣な表情が、今迄見た事も無い様な男らしさを醸し出していて、新城は一瞬見蕩れてしまった自分に舌打ちした。

「だったら何故、こんな関係を続けているんだ? 室井さんにも…お前にもリスクは大きいだろう?」

珍しく自分を心配する新城に、青島はキョトンと驚いた顔をして、そしてゆっくりと微笑んだ。

「そうッスね。俺はともかく、室井さんにはリスクが大きいですもん、最初に自分の気持ちに気付いた時は諦らめようとしました。だけど、あの人が俺と同じ様に俺の事を思っていてくれているのを知ったら……見ない振りする事は出来ませんでした。他の誰でもない、俺は室井さんだから好きになったんだし、どうしてもあの人が必要だったから、離れる事は出来ないんです」

関係無い、と切り捨てられてもおかしくない自分の質問に、誠実に答えて来る青島を見直しながらも、一抹の寂しさを感じている自分を新城は不思議に思っていた。

「…気持ち悪くは無かったから、安心しろ」
「はぃ?」

小さく独り言の様な声で呟いた自分の台詞に、不思議そうな顔をした青島が何だか子供っぽく感じられて、先程までのギャップについ新城は微笑を漏らした。それを見て、更に青島は心底驚いた顔をした。
その後直ぐに室井と夏美が戻って来たので、新城の珍しい笑顔(でも顔は室井なのだが)は一瞬の内に掻き消されてしまった。



そう、気持ち悪くは無かったのだ。しかし、一体何故なんだ?

と、新城は自分の感情に疑問を抱いていた。
他の男に抱き付かれた事を想像すると、それだけで鳥肌が立つ気がするのに、青島に触れられていたあの時は、嫌悪感が全く無かった。むしろ……。

むしろ、何なんだ?

自分の考えに、新城は思わず突っ込みを入れる。

いや、あれは室井の身体だったから、平気だったのだ。自分の元の身体であれば、絶対拒否反応が出た筈だ。

そう、自分に言い聞かせながら、手に持っている書類に目を通した。……頭に入る事は叶わなかったが。

* * *



「久し振りですね、青島さん。…それに和久さん」

何時も何かを企んでいるかの様な表情をしている男が、嬉しそうな顔をして和久に笑顔を向けた。

「もう来てくれないのかと思ってました」

暗闇の中で、水槽がブクブクと音を立てていた。以前はこの部屋で、怪しい人々がギャンブルをして賑わっていたのだが、今は止めてしまったらしい。今、この地下にいるのは、青島と和久と此処の主、モグラだけだった。

「仕方が無ぇだろう、こいつの面倒を見られる奴が俺しかいねえって課長に泣き付かれて、俺はおちおち隠居生活も出来やしねえ」
「……する気も無い癖に」
「何だとぉ?」
「大体、和久さんが暇潰しに署に遊びに来たりするから課長に頼まれちゃったんでしょうが」
「暇潰しとは何だ。俺ぁ、俺がいなくなったあの署が心配で、見に来てやってただけだろうが」
「老婆心って奴ッスか? でも、和久さんが戻って来たら、もっと騒がしくなったって気がするんスけど?」
「お前ぇと一緒にすんな」

暫し二人の漫才の様な遣り取りを黙って聞いていたモグラは、薄笑いを浮かべながら口を挟んだ。

「そのままお話を続けていて下さっても構いませんが。お二人さん、今日は何をしにいらしたんですか?」

はた、と我に返った二人は、こんな事をやっている場合では無い事に気付いて慌てて彼に質問をした。

「おお、そうだ。お前ぇ、最近妙な噂が出回っているの知ってるかい?」

本題に入った和久の台詞に、モグラは怪訝そうな顔をした。

「妙な噂?」
「そ、警察のマスコットピーポー君の噂」
「……ああ、あれか」
「知ってるのか?!」

二人は、身を乗り出して同時に問い掛けてしまった。

「あの人形が願いを叶えるって話でしょう、知らないモグラはいないよ。最初は半信半疑だった連中も、最近の事件を知って本気で信じる奴も増えてきたみたいだ」

肩を竦めて淡々と答える。

「出所は判るのか?」
「さあ? 興味は無いね」
「願い事が叶うってんだ、真相を調べて儲けようって考えは無ぇ筈無ぇんじゃねえのか?」

和久が尚も問い詰めると、座ったままのモグラはゆっくりと二人を見上げて、感情の全く無い声で冷たく言う。

「…取引しますか?」
「俺は取引はしねえ。何度も言わせんな」

間髪入れずに返事をする和久に、モグラは苦笑した。

「これなんだがよ」

和久が、何やら胸ポケットから紙を取り出した。

「お前ぇ、前にこれを見てぇっつってたろ? 今度品川水族館に来るんだってよ。招待状、欲しくねぇか?」
「……」

和久のやり取りを黙って聞いていた青島は、「それも一種の取引って言うんじゃ無いのかなぁ」と小声で呟くと、じろりと和久に睨まれて首を竦めた。
気を取り直して、モグラが手に取っているそのチケットらしき物を、青島が覗き込む。それを見た瞬間、青島は眉を顰めた。

「何? これ、魚??」

そのチケットには、見た事も無い無気味な魚の絵が描かれていて、『特別優遇招待券二名様迄』と記入されていた。

「…よく手に入りましたね」
「いるのか、いらねぇのか?」

モグラはそれをじっと見詰めると、徐にチケットを机の上に置いて言った。

「もう一つ、条件が有ります」
「…何だ?」
「和久さんもコレに一緒に付き合って下さい」

真顔で言ったモグラの台詞に、和久は固まった。

「……デートッスか、和久さん」

青島が途方に暮れて聞くと、

「馬鹿言え! おめ…、何でこんな爺と一緒に行きてぇ何て言い出すんだよ、お前ぇは!」

和久は慌ててモグラに文句を言う。

「同じ男でも、ほら、若ぇ方が良いだろう。おい、青島、お前ぇ一緒に行ってやれ」
「え? ちょ、ちょっと、俺に押し付けないで下さいよッ! 大体、和久さんご指名じゃないッスか」
「俺は年上好みなんですよ、和久さん」

慌てて言い返している青島の台詞に、モグラがニヤリと怪しい笑顔を向けて同意した。

「……だそうです」
「おいおい」

こうして、和久の言う所の『取引で無い取引』は、一応成立した…ようだ。


NEXT6
 






いやいや、新城さんがやっと出て来ましたね。何やら困惑している御様子ですが(笑)。それとモグラが出て来ました。か、書き難いよ、この人…(涙)。このモグラは和久さんラブです(爆)。って、単に懐いているだけなんですけどね〜。変に勘ぐっちゃ駄目っスよ♪ <<怖いから。