「最近、元気無いわね」
今日は、『本日は犯罪もお休み』と言う感じで珍しくも平穏な一日であった。殊勝にも青島は今迄溜めていた書類を整理しようとぼんやり目を通していたので、袴田課長は満足気な表情でゴルフステッキを拭いていた。同じく書類書きをしていたすみれは、その何時迄も終りが見えない作業に飽きたらしく、後ろの席から声をかけてきた。
「…俺?」
「他に誰がいるのよ」
椅子に凭れながら呆れた様に言う彼女に、青島は「そうかな」と首を傾げながら呟く。
「事件も無いのに元気でも仕様が無いじゃん。ましてや、今は俺の大嫌いな書類書きしてるんだし」
「喧嘩でもしたの?」
コレと、と眉間に皺を寄せて誰かの真似をする。青島の台詞をちゃんと聞いていないすみれに「あのね」と言い返そうとしたが、逆に攻撃されても怖いので大人しく返事を返す弱気な彼だった。
「…してないよ。何で?」
「最近来ないじゃない」
ちょっと不満そうなすみれに、彼は苦笑する。
「当たり前でしょ。あの人は忙しいんだから。用も無いのにそうそう所轄に顔を出す訳ないじゃん」
「いつもは来てるじゃない。無理矢理用事作って、誰かさんに会いに」
「……」
ギクリとして苦笑いを浮かべる青島に、愛想たっぷりの笑顔を返される。
この笑顔が曲者なんだよね。
「反対に二号機がよく来てるわよね。噂聞いた?」
又々ドキリとした青島には気付かず、すみれは自分の席に向かってペンをブラブラさせている。
「噂って?」
「最近、新城管理官がおかしいって、本店と支店で噂になってる」
あ、やっぱり?
そうは思っても、事実を述べる訳には行かないので口には出さなかった。反対に知らない振りをして訊ねてみる。
「何がおかしいの?」
「ここの所、何かと現場に出て捜査員に指示したり、所轄の意見を取り入れたりしているって。まるで誰かさんみたい。どんな心境の変化なのかしら?」
「……恋でもしているんじゃない?」
自棄糞に的外れな事を言う。確かに室井の性格では、新城の様に『所轄は無視』等という真似は出来ないのだろうが、今は新城なのだからその行動は問題有るのだ。がしかし、同じ様にしろと言うのは更に無理な話だろう、…どちらに対しても。
「あ、やっぱりそうなの?」
だから青島は投げやりで言ったのだが、その言葉をすみれはすんなり受け入れて、椅子をくるりと回転させて顔を覗き込んだ。
え? やっぱりって何?
「二号機にも春が来たか。全く、キャリアの男って、恋をすると変わるものなのね」
腕と足を組んだポーズで「うんうん」と呟いた後、ちろっと意味ありげな視線を向けられる。
その含みの有る言い方止めてよ。
「何で、『やっぱり』な訳?」
「最近の給湯室内一の関心話題だもん。ここ最近、署内で密かに『女青島』と呼ばれている交通課の篠原さんと話しているのをよく見掛けるって、結構噂になってるのに知らなかった?」
「……」
『女青島』と言う台詞にがくりとしたが、その後の『篠原さんと話しているのを見掛ける』と言う言葉に引っ掛かった。
室井さんってば、噂になる位頻繁に彼女と会ってる訳? 幾ら新城さんに「俺と会うな」と釘をさされたからって、ちょっとそれって酷くない?
噂されているのが新城とはいえ、この状況は青島にとってかなり面白く無い事だった。そんな青島の考えには気付かず、すみれは話を続ける。
「青島君も、最近新城管理官と折り合いが上手くいってる見たいじゃない。実は彼女の事、取り持ってあげたとかじゃないの?」
その言葉に、青島はぱちくりと目を開け、言葉を飲み込む。
あ、あれ? そういう風に見えるんだ。
下手に言い訳するより良いのかなと、青島は内心悩んでみた。しかし、此処で下手に同意して後で二人に知られても恐いので、返事は誤魔化しておいた方が良いと判断した。
「企業秘密」
「何よ、それ」
すっ呆けた青島の答えにムクれた表情をするすみれは、「いいわよ、今度彼女に直接聞くから」とこっちがヒヤリとする台詞を呟いていた。
すみれに問い詰められて、白状しないでいられる人間はこの刑事部にはいないのだが、果たして夏美は大丈夫なのだろうかと不安に思った。が、いつものほほんとしている彼女は、見掛けに依らずしっかり者の様で、肝心な事は言わない性格で有るから(飄々とそういう話題から逃げてしまうのだ。そういう所が『似ている』と言われる所以なのだが本人達は自覚が無い)大丈夫だろうと苦笑しながらも、彼は書類に視線を戻して新しい煙草に火をつけつつ考え込む。
確かに自分には直接相談出来ないんだから(電話は勿論している)、後は事情を知っている新城か夏美に話すしかないと言う事なのだろうが、何か納得いかない青島だった。『大体、自分と噂になるのは問題が合って、彼女との噂なら良いのかよ…』と腹立たしく思うのと同時に『そりゃ当然だよね』と理解している自分に深く溜め息を漏らした。
そういえば、とふと思う。新城と夏美のあの二人は、何だかんだと言いつつ気が合ってるみたいだなと思った。あの新城が、わざわざ相談する為湾岸署に出向いて迄会いに来る位なんて、と青島は微かに笑っていたが、新城の当初の目的は『青島に会いに』行っていたのだという事実には気付いていなかった。(ちなみに室井は気付いていて不愉快に思っている)
それにお似合いと言えばお似合いかも知れないよな、あの二人。だけどさあ、皆に『女青島』とか呼ばれている彼女は良くて、オリジナル(?)の『男青島』は全然認めてくれないのって何だか理不尽な気がするよな。まあ、室井さんや新城さん達が聞いたら「男だからだ!」とか突っ込まれそうだけど。
「おい、青島。ぼんやりしてねぇで、例の件の聞き込みに行くぞ!」
廊下から入って来た和久が、青島に声を掛ける。
俺、今書類書いてるんだけどなぁ、和久さん…。
項垂れて心の中でそうぼやいてみたが、「まあこの人にそんな無駄な事言っても仕方ないか」と思い直し、煙草の火を揉み消す。
俺も大人になったよね。
課長は青島の書類書きが中断されてしまったのをちょっと残念がっていたが、すみれは背を向けたまま「いってらっしゃ〜い」と気の抜けた激励をした。
このお仕事って盗犯係の管轄だと思うんだけど、これ幸いとしっかり押し付けられちゃってる所が情けないなあ。
ふう、と溜め息を一つ吐いて椅子から立ち上がり、無造作にモスグリーンのコートを掴んで、青島は和久の後を追いかける為に、廊下に飛び出した。
* * *
ここ連日、不思議な事件が相次いでいた。交番の中に置いてある、『ピーポー君人形』が次々と盗まれているのだ。それだけなら盗犯係の仕事なので、強行犯係が出る必要は無かったのだが、犯人は全て違う人間で有り、捕まった内の何人かは警察官と傷害まで起こす始末だった。
被害の有った交番を和久と青島は聞き込みに回っていて、今はその内の一つの交番内にいたりする。
「ピーポー人形なんて、皆どうして必死になって盗もうとしてるんスかねぇ?」
首を捻りながら呟くと、和久が
「全くだな。欲しいなら『警察博物館』で買やぁ良いのによ」
と相槌を打ち、一緒になって疑問に悩む。
捕まった連中は中々人形を離そうとはしなく、うわ言の様に「ピーポー君、ピーポー君」と繰り返すばかりだった。そして事情聴取を始めると、段々と冷静になってきて、自分が今迄何をしていたのか判らなくなっている、と言う有り様だ。
「あんまり可愛いとも思わないんだけどな」
以前の物は犯人と争ってボロボロにされてしまった為、新たに設置された新しいピーポー人形を眺めながら呟くと
「本当ですよね」
と、この交番に勤務している警察官が一緒になって同意する。つんつん、と人形を突付きながら見詰めていると、ふと僅かな違和感を青島は感じた。
「?」
何か、違う気がする……。でも、一体何が?
人形を明かりに翳したり、ひっくり返したりしてみるが、別に異常に感じる事は無さそうだった。
「どうした、青島」
聞き込みのしようが無かったので、警察官と団欒していた和久が青島の様子に気付いて声を掛ける。
「いや、ちょっと…。この人形って、最近入ったんだよね。前のと全く同じ奴なの?」
さっきの警察官に訊ねると、彼は素直に肯いた。
「あ、はい。以前盗まれた物と全く同じです。特にデザインが変更されたという連絡もありません」
「ふうん…」
じっと真新しい人形を凝視する。
「何でぇ、青島。その人形が気に入ったのか?」
茶化す様に言う和久に、真面目な顔で答える。
「そんな訳、無いでしょう。ただ…」
「ただ、何だよ?」
和久が不思議そうに覗き込む。
「これ、何か変な気がしません?」
「何が」
「何って…。何か、こう…最近見たのとちょっと違う様な気がするんスよ」
あれ? 最近って何時の事?
「ああ?」
じっと人形を見詰めた後、
「署に有るのと同じじゃねえか」
とあっさりと返される。
「おかしな事言ってねぇで、ほら、さっさと次に行くぞ」
「え、ちょっと和久さん!」
全く、年寄りはせっかちなんだからなぁ。
さっさと交番の外に出てしまった和久を追いかけようと、隣に立っていた警察官に挨拶をして外に出る。
出口に出ると、じっと交番の様子を伺っている男が立っていた。
「?」
何だろう、道でも尋ねたいのかな?
ちょっと不信に思って声を掛けようと思ったのだが、和久が向こうから「おい、青島ぁ!」と急かして呼んでいるのが聞こえるので、仕方なく追い掛けようと走り掛けついでに、青島は一瞬だけ後ろを振り向いた。
その男が交番の中に入って行くのを確認し、やはり交番に用だったんだと納得して、そのまま走って和久に追いついた。
「お前ぇは遅ぇんだよ」
「え、でも和久さん、今…」
「こら〜〜〜! 泥棒!!」
急に背後から叫び声が聞こえ、二人は即座に振り向くと、さっき迄居た交番の警察官が、人形を抱えている先程の男を追いかけている姿が目に入った。
「和久さん、青島さん! そいつ捕まえて下さい!」
言われる前に、青島はその人物目掛けて飛び掛かっていた。暴れまわる犯人を必死で取り押さえる青島に、和久と追い掛けていた警察官が手助けしてくれる。身動き出来なくてじたばたする犯人は、それでも人形を離そうとはしなかった。
「おい、その人形を離せって」
青島が犯人から人形を取り返そうとすると、相手は必死な形相で睨みつけ、人形をきつく抱き締める。
「駄目だ! これは俺の人形だ! これで俺は金持ちになるんだ!」
「はぃ〜?」
金持ちになる? コレで? 何のこっちゃ?
「おい、とにかくそれを離して、事情を説明してもらおうか」
和久がやれやれといった感じで腰に手をやりつつ立ち上がると、犯人の動きがピタリと止んだ。
「もしもし?」
青島が顔を覗き込んで問い掛けても全く無反応で、しっかりと抱き締めていた筈の人形をポトリと足元に落とした。
「おい?」
訝し気に和久が声を掛けても、彼は放心した様に立ち竦んでいるだけで、目の焦点が合っていなかった。
NEXT4
|