- IMMATURU 2 -
  

捜査員に指示をして一人残った俺は、捜査資料の書類に目を通していた。捜査報告も芳しくなく、難航した事件に溜め息を漏らしたその時、ふいに携帯のベルが鳴った。

「はい、室井です」
『あ、俺です』
「……」

音声を変えた声なので、誰からの電話なのかは直ぐに判った。しかし、仮にも警察に追われている人間がその警察に電話を掛けるという事事態常識では考えらないと言うのに、毎回こんな調子で気軽に掛けて来るのだ、この人物は。誰に対してもいつもこの様な調子で、警察にこんな砕けた電話の掛け方をする被疑者はきっと他にはいないだろう。
そしてあの日の電話以来、彼は直接俺の携帯に電話してくる様になった。勿論番号など教えてもいないのに、である。

『もしもし? 聞こえてます?』

返事の無い俺に、再度呼びかける声。

「…何の用だ」

自分の心臓が、早鐘を打つ様に忙しなく鳴っているのを自覚する。
彼の捜査方法は共感出来ないが、感情は理解出来た。彼が糾弾する相手は、自分の利益の為なら他人をどうしても構わないと思っている人物に対してで有り、決して一般人には迷惑を掛けないというポリシーの元に動いている。実際、今迄一般人を巻き込んだ事は無く、警察官であれば表彰されるべき実績の高さだ。
自分も違法を犯している犯罪者で有ると言うのに、堂々とした態度が一部の警察官に不評を買っているが、呈示して来る解決すべき事件の内容と的確な対処方及び信頼出来る情報を流して来る姿勢は、それを上回る程評価が高かった。
俺も評価をしている警察官の一人ではあったが、決してそれだけでこんな風に彼を意識している訳では無い、という自覚は有った。
なるべく冷静に声を出そうとしたら、少々ぶっきらぼうになってしまったらしい。

『冷たいッスねぇ。少しは愛想の有る声を出してくれたって良いじゃないッスか、俺とあんたの仲なんだし』
「…どういう仲だ。大体、被疑者で有る君が、警察の人間である私に電話をかけて来る事自体、非常識だとは思わないのか?」

本当は非常識なのは俺の方だろう。捕まえなくてはならない彼からの電話を、毎日待ち侘びているのだから。

『そうですか?  別に電話位良いじゃないッスか。あんたと話するの結構好きなんですよね、俺』

どきりとする言葉を彼は平然と口にする。いつもの軽口だと判っていても動揺してしまう己を自嘲しながらも、平静な声で用件を促す。

「それで、何の用なんだ」
『…良いけどね。あんた今、台場ホテルの事件を担当してるんですよね?』

今、丁度頭を悩ませている事件だ。

「……何で君がそんな事を知っているんだ」
『まあまあ。あの事件の被害者の田中さんって、確か湾岸商事の部長だったんスよね』
「だから、何で君がそんな事を……」
『最近彼、京浜貿易の鈴木さんって人と親密になっていたんスよ。知ってました?』
「……」
『その時期から被害者の成績が急に上昇してきているんですけど、そんな事はきっともう調査済みッスよね?』
「……」

そんな報告は聞いた覚えは無かったから、ただ呆然としているしか無かった。
くすり、と笑った声がして、彼は言葉を続ける。

『早く捕まえた方が良いッスよ。放っておくと彼、始末されちゃいます』
「…君は」

彼の話し振りから察すると、被害者は被疑者を脅していて口封じの為に殺されたのだろう。そしてそれを指示した者が別にいる。その裏の人物の名前もきっと彼には判っているのだろうが、話す気は無いらしい。…ただ、今回の事件はその連中も捕まえなければこの事件は解決した事にならない、と暗に言っているのだ。

『そいつ等を放っておかれると、一般市民の迷惑になるんスよね。…これ以上被害を拡大させない為にも、きちんと捜査して下さい』

ふざけた様に話す口調の中に、真摯な思いが込められていて胸を突いた。

「……言われなくても逮捕する。それが我々の仕事だ」
『そうでしたね』

言葉だけ聞いていれば皮肉以外の何でもない台詞だったのだが、彼の声に哀しみの響きが存在するのに気付いて、俺には怒る事は出来なかった。
警察は、判っていても目を瞑らなくてはならない事柄も多い。その事に胸を痛めていない訳は無いのだが、数多い事件に追われる日々に埋もれて、薄れそうになる気持ちが有る事は否定出来なかった。それを、この男は理解してくれているのだろうか?

「何故、君はいつも情報を流すんだ?」
『警察に協力するのは市民の義務、でしょ? それに、事件を解決するのは警察の義務。だから、出来そうな事位はやって貰おうと思ってるんスよね』

おどけた様に言う彼に、自分はいつも彼の本心を掴めないでいる。

「警察が君の言う事を信じると思っているのか?」
『あんたは信じてくれるでしょ?』
「……」

ああ、信じているとも。お前は俺に、少なくとも嘘は言った事は無い。

――言わない事は山程有るが。

情報をくれると言っても、警察の上層部から圧力がかかって捜査を打ち切らざるを得なくなる可能性の高い「政治絡みの事件」等は最初から言わない。自分で警察には無理だと判断したら、警察以外の有効な所に情報を流し、事件を表沙汰にして解決せざるを得ない状態にする。その見極め方の速さと判断力の良さは舌を巻く程だ。

『弱みを握っているつもりはないんですけどね。お互い助け合っていると思えば良いでしょ』

この男は本心で言っているのだろうか?

「警察と犯罪者が馴れ合ってしまったらお終いだろう」

そう、例えその情報が、喉から手が出る程欲しい情報だったとしても。

『別に取引している訳でも無いんだから、後ろめたい事も無いんじゃないかと思いますけど?』
「……その情報は、どうやって手に入れたんだ?」
『……頭固いよね、あんたって』

そういう問題じゃ無いと思うのだが…。

「前から聞きたかったんだが、何故態々私の携帯にかけて来るんだ?」
『あんたの声が聞きたいから』

――ドキリとした。自分の気持ちがばれているのかと内心ヒヤヒヤしたが、

『…何てね。だって他の奴じゃ、話を直ぐに理解してくれないから手間かかるんだもん。…いちいち煩いし。あんたが一番話し易いんスよね』

落胆している己に呆れてしまう。何と無くからかわれた気がして悔しくて、仕返しに無理難題を言ってみた。

「私も君の声が聞きたいのだが」
『は?』

突然言った俺の言葉に、一瞬戸惑った声が可笑しい。

「電話の声じゃなく、機械で変えた声でもなく、君の肉声が聞きたい」
『……冗談でしょ。そんな危険な真似を、俺がすると思う?』
「一度、私は君の声を聞いている。今更じゃないのか?」
『あのね。あの時は全く怪しまれていなかったから出来たのに決まってるじゃないッスか。一般市民の事なんて、あの時警察の人間は全く関心が無かったから誰も俺の事を覚えていなかったけど、次からは違う。もう二度と姿を現すなんて真似はしないッスよ。捕まりたくは無いですからね』
「……」

彼の言い分は理解出来る。が、『二度と姿を現さない』ときっぱりと言われてしまうと正直辛い。

『大体あんたが覚えて無いのっておかしくありません? あの時、俺と目が合ってたじゃ無いッスか』

目が合ってたと言うより、俺が一方的に見詰めていたと言う方が正確なのだが。

「私も遠目だったから、外見に関してはあまり参考になっていない。あの手配書を見れば、君が一番理解出来るんじゃないのか?」
「……」

嘘だ。俺の脳裏にはしっかりと彼の姿が焼き付いている。声すらも、聞き逃さない自信は有る。どんな人込みの中でも、どんなに外見を変えていたとしても、彼を発見出来ると確信している……が、俺はそれを誰にも話していなかった。
事情聴取も、彼の同僚達を対象に俺自身が行っており、あの時部屋に居た警察官達も彼の予想通り一般市民をいちいち覚えて等いなかったから、自分から話さなくては誰にも知られる事は無いだろう。
そもそもあの状況で、普通は覚えている筈は無いのだ。その証拠に、警察の人間は誰も俺を疑ってはいない。最初の電話の時に彼が「俺を知っている」と言った時は確かに疑われはしたが、『青島』と言う名前を呼ばれた時に振り向いたのは何も俺だけじゃなかったから、細かい外見まで覚えていないと白を切ってしまえばそれ以上の追求はされなかった。だが、勘の良い彼は俺を疑っているらしい。

「しかし、一緒に仕事をしていた同僚達は覚えているだろう? その証言で自分の身が危なくなるとは思わなかったのか?」
『それはまあ、少しはね。だけど警察の人間ならともかく、普通の人間の記憶力なんてそんなに警戒しなくても大丈夫なんスよ。あそこを辞めてからもう一ヶ月は経っていますし、俺がいた期間は二週間弱。皆なんとなく覚えている位で、はっきりと記憶している人は僅かだと思いますよ。仕事上の付き合いしかしてなかったし、急に決まった飛び入りのバイトだったから履歴書とか提出してなかったし……証拠残ってなかったでしょ?』

確かに証拠は一つも出て来なかった。この男は、上手く証拠を消す方法を掌握しているらしい。警察に平気で連絡してくるのも、その自信が有るからなのだろう。
そして彼は人柄も良かったから、彼の同僚達から情報を得るのに偉く苦労してしまった。警察が彼に疑いを持っている事が不満で、彼等は協力しようと言う姿勢が全く見受けられなかったからだ。
情報提供時の電話で上手く逆短が出来ても、人が沢山いる場所の公衆電話であったり、他人の携帯を勝手に使用している場合だったり(使い終わったら本人に小銭と共に返していると青島は言っている)して警察の手から免れている。俺の携帯にかけている時も、きっと彼の事だから手を尽くしてあるのだろう。

……俺自身には、逆短などする気は更々無いのだが。

『一般人の記憶なんて薄れていくだけで、待っていたって新しく増える情報なんて出ないッスよ。特に声の記憶なんて見せる事は出来ないんだから、証拠さえ無ければ忘れるだけですもん。俺が一番心配してたのは、あんたの記憶なんスけどね』

ドキリ、とした。

『警察の人間って、そういう記憶力はしっかりしてるじゃないッスか。目立つ事さえしなけりゃ、絶対覚えてる事は無いと踏んでたんですけど……』
「なら、名前を偽名すれば良かっただろう。私が君を見たのは、君が『青島』と呼ばれていたからだ」
『や、ですよ。気に入っているのに』
「……」

子供か、この男は!
まさか青島と言う名前、実は本名とか言うんじゃないだろうな。…この男の場合ありえる気がするので聞いてみたいと言う好奇心が涌いてきはしたが、聞いても正直に答える様な男でも無いので無駄な事は止めておいた。

『でも、本当に覚えて無いんスか? あんなにじっと見詰めていた癖に』

少し拗ねた様な声に、つい苦笑が漏れてしまった。

「私が覚えていたら、きっと今頃君は完全に指名手配されていて刑務所の中にいるだろうな。君にとっては良かったんじゃないのか?」

空呆けて言う俺も俺だな、と思う。彼の情報を漏らしていないのは、完全に自分のエゴで有るのは判っていた。彼を今捕まえてしまったら、その後自分が彼と話す事は出来なくなる。その前に二人できちんと話がしたかった。彼の本音を問い質したかった。彼の考えを理解した上で、自分自身の手で彼を逮捕したいと思っていた。それだけは、他の者には譲る事は出来ない。

『まあ、そうなんスけどね。でも、あの後俺の似顔絵描かれたじゃないですか。あれってあんまり似てないと思うんスけど、一体誰が証言したんスか? 絵は上手いと思いますけど、俺って同僚達にあんな顔で覚えられているんスか? 何か納得出来ないよ。…別に良いけどさ』

ぶつぶつと不平を漏らしているが、その内容は些か見当違いな事ではないのだろうか? あの似顔絵は、勿論彼の同僚達が証言した事を元にして作られたモノで有るのだが、彼等の前で青島は眼鏡を外した事も無く、ウィッグを付けてぶかぶかの服を着ていたのだから、詳しい証言等有っても無きが如し、だった。しかも彼等には協力する気が全く無かったので、証言がまちまちだったというのも原因ではある。
まあ、俺から見ても似ているとは言い難い出来ではあったのだが。

「とにかく、私は君の声が聞きたいだけなのだから、顔を見ない様にすれば良いんだろう?」
『そんな事、信用出来る訳無いでしょ』

きっぱりと言われてしまった。それはそうだろう。

「そうだな。なら、君が安心して私の側に近付ける様に、君の指示に従う。それなら良いだろう?」

私の提案に、青島は沈黙してしまった。

『…あのさ』
「会いたいんだ」

素直に、本音が口を衝いて出た。無茶は承知だったが、あれ以来無性に彼に会いたくなる時が有った。元々駄目元だったから、きっぱりと断られれば諦めも付くだろう。そう思っていた。
すると軽い溜め息が受話器の向こうから伝わって来て、『参ったなぁ』と呟いている声が聞こえた。
一拍置いた後、

『…俺もです。考えておきますよ』

そこでプツリと電話は切れてしまった。


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事件モノだと蘊蓄が長いですねぇ。室井さん視点(一人称)で書いてます
から、青島君やけに格好良いです(爆)。夢見てるなぁ、室井さん…って
私の所為ッスね、はい。青島君の一人称にすると間違い無く情けなくなる
ので、このまま室井さんで行って貰いましょう! その前に事件考えない
といけないんですが、何となく自分が犯人になった気分に……(-"-)。



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