恋の行方
- No.3 -



仕事を終えた夏美は、更衣室で着替えをしながらぼんやりと考え事をしていた。
結局、青島の室井へのアプローチの仕方は、自分には参考にならない事が判明したので、青島の観察を諦めた夏美は此処姑く途方に暮れていた。
とにかく、

1.新城を見掛けたら、他人に構わず声を掛ける。
2.無視されても睨まれても怯まない。
3.会う度笑顔で挨拶を繰り返す。

以上三点を実行し、まずは名前と顔を覚えて貰う事を当初の目標として決心した夏美だったが、それを実行するには夏美と新城が会う機会が限り無く少なく、ハッキリ言ってそれすらも難しかった。

「今度は何時、新城さん来るのかなぁ」

大きな事件も此処最近は無く、新城が来る気配は全くと言って良い程無かった。事件が有っても極力この湾岸署に来るのは避けたいと強く思っている新城だったから、何もなければ近付く筈は無いのだ。交通課の夏美にも簡単に判ってしまう程、新城の所轄…特に湾岸署(青島)嫌いは有名だった。

『いっそ、本店に乗り込んでしまおうか』

一瞬物騒な考えが頭を過ったが、幾ら何でもそれは無茶だろうと思って断念した。

「こんなにうじうじ悩んでいるなんて、私らしくないなぁ」

苦笑いしながら呟いて、ほう、と何度目になるか判らない溜め息を吐いてしまう夏美だった。
バタンとロッカーの扉を閉めて廊下に出た夏美は、刑事課の入り口を覗き込んだ。

「あ、夏美ちゃん。すぐ終わるから、もうちょっと待っててね」

夏美に気付いたすみれは、どうやら仕事がまだ終わっていないらしく、にっこりと笑いながらそう言った後、途中だった書類に再度取り掛かった。
あの日以来、すみれは夏美の相談役(どちらかと言うと愚痴の聞き役)となっていた。今日も夕飯を一緒に食べる約束をしていた夏美は、取り敢えずすみれを待つ為に空いている席に座った。

「今日は強行犯係の方々は、皆外に行ってらっしゃるんですか?」

がら空きになっている机をぐるりと見渡した後、夏美はすみれに訊ねた。

「ん、そう。さっき通報があって、青島君と真下君が出て行った。雪乃さんは別件で鑑識の方に行ってる。和久さんはもう帰ったし、魚住さんは今取調室。課長は署長室に行ったみたい」
「はあ、忙しそうですね」
「毎日毎日残業三昧。睡眠不足で肌は荒れるし、足も太くなるし、もう最低」
「でも私、早く刑事になりたいです」

書類を書きながら愚痴を零し始めたすみれは、夏美の小さな呟きに頭を上げて振り向いた。
エヘ、と苦笑いした夏美に、すみれは微笑ましさを感じた。夏美がそれだけの理由で刑事になりたいと思っている訳では無いのは知っていたが、この件に関して切実に願ってしまうのは乙女心としては仕方無い、と妙に納得してしまうすみれだった。

でも、相手はあの二号機なのよね。

あんまり新城に対して良い印象の無いすみれは、何となく納得出来ないものの、人の趣味をとやかく言うのは止めていた。

協力してあげたいんだけどなぁ。

…と思いつつ、軽く溜め息を吐いたその時。

「あれ? ちょっと強行犯の連中、誰もいないの?」

部屋に入って来た袴田課長と神田署長は、二人して机を見渡しながら困った声で言った。

「皆、さっき出て行っちゃいました。どうかしたんですか?」

すみれがそう訪ねると、課長は困り果てた顔をして文句を言った。

「ええ? 誰も残ってないの? そんな全員いなくなって、何かあったらどうするんだよ、もう」
「君、上司なんだから、部下の行動位きちんと把握してくれてないと困るじゃない。どうすんのよ」
「はあ、弱りましたね」
「とにかく困るよ。何とかならないの?」

何やら騒いでいる二人の後ろで、小さな陰がゆらりと動いた。

「だから車等必要無いと言っているだろう。私は電車で帰らせて貰う」
「ちょ、ちょっとお待ち下さい、新城管理官」
「新城管理官?」

聞き慣れた不機嫌な声が耳に入ってきて、すみれと夏美は互いに視線を合わせた後、課長の背後に立っている人物に目をやった。そこには目付きの悪い、憮然とした表情の新城管理官が立っていた。

「管理官を送らせて頂くのは我々所轄の仕事の一部ですから。あ、恩田君、ちょっと手が空いてないかな?」

課長が頼みの綱とばかりに猫なで声を出すが、すみれはきっぱりと言い切った。

「報告書書いてます」

困った課長は中西盗犯係長に目配せして合図し、係長は仕方なく遠慮がちに言った。

「そんなの後で良いから」

もぉ、と文句を言おうとしたすみれの横で、夏美が徐に声を掛けた。

「あの、私運転します」
「……夏美ちゃん?」

いきなり申し出た夏美は、面喰らった課長と驚いたすみれと無表情な新城の視線を一斉に浴びたが、臆する事無く全員の視線をしっかりと受け止めた。署長だけが呑気な声で「それ、良いじゃない」と言ったのだが、課長とすみれに「良く無い」とあっさりと否定されてしまった。夏美はそれでも挫けずに言い募った。

「私、仕事終わりましたし、後は帰るだけですから手も空いてます」
「しかし、君は交通課の人間でしょ」
「でも刑事課の方々は皆いませんし、車の運転なら任せて下さい。私自信ありますから」

きっぱりと言う夏美を余所に、あの初夏の事件を思い出したすみれと課長は、何とも言えない表情を浮かべ、素直に頷けなかった。「いや、しかし…」と尚も言葉を渋る課長に、意外にも新城が承諾した。

「それで良い。早く車を用意したまえ」

呆気に取られた四人に、新城は「何だ」と怪訝そうな顔を向けたが、夏美は直ぐに笑顔になって元気良く返事をした。

「はい! 行ってきます」
「あ、ちょっと君」

飛び出そうとした夏美を課長が慌てて呼び止めた。

「何ですか?」
「車の使用許可書、持ってないだろう」
「あ、そうか」
「ミニパトじゃ無いんだからね。気を付けて安全運転してよ」
「任せて下さい!」

用紙を受け取った夏美は、そのまま廊下に飛び出して行った。新城もゆっくりと玄関に向かって歩いて行き、署長が後を追い掛けて行く。課長は立ち竦んだまま、ぼんやりと呟いた。

「管理官、あの夏の事件を忘れちゃってるのかな?」
「……さあ?」

暫し二人が黙って立っていると。

「袴田課長、何やってんの!」
「あ、はい!」

署長に呼ばれて、慌てて後を追い掛けた課長の後ろ姿を見送ったすみれは、首を傾げた後、密かにこっそりと微笑んだ。

「何笑ってんの?」

後ろから急に声を掛けられて驚くと、不思議そうな表情で覗き込む青島の顔があった。何時の間に帰って来ていたのか、部屋に戻らず暫し休憩していたらしい。喫茶室から真下もひょっこりと顔を覗かせていた。

「今、新城管理官が来てたのよ」
「げっ」

青島にとっても新城は天敵だったので、「今帰ったとこよ」とすみれが言うと、あからさまにほっとした顔をした。すみれは苦笑しつつも青島の顔をじっと見詰めてから訊ねた。

「青島君、もう上がり?」
「え? あ、うん。結局告訴取り下げになったから、報告書書いて終わり。何で?」
「夕飯食べに行かない?」
「……」
「今日はワリカンで良いわよ」
「……何かあった?」

すみれの誘いに警戒する青島は、ワリカンであっても異常事態の様である。訝しそうに聞いてくる彼に、怒った様にふざけた調子で言い返す。

「失礼ね、だったら奢ってくれても良いのよ?」
「ワリカンでお願いします」

即答する青島に笑って、「じゃ、お互い早く書類を仕上げましょ」と言いながら、自分の席に着いて仕事を再開した。

「頑張ってね、夏美ちゃん」

心の中で、すみれはこっそりそう呟いた。



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やっと新城さんが登場しました〜!! 台詞殆ど無いけど(汗)。