恋の行方
- No.1 -



「う〜ん」

湾岸署交通課に所属する、一部で密かに『女青島』と呼ばれている篠原夏美は、いつもの元気な彼女らしくなく、此処暫くの間一人で何事かを悩んでいた。
今日も今日とて、お弁当を突きながら眉間に皺を寄せている彼女を見て、同僚達は「どうしたの?」と心配気に聞いてくるが、夏美は「何でも無いです」と笑顔で言っては溜め息を吐くばかりだった。

「よぅし!」

いきなり箸を握りしめ、掛け声を掛けて立ち上がった夏美は、ぱたぱたとお弁当を片付け始めた。

「ど、どうしたのよ、夏美」

訝し気に圭子が声を掛けるが、夏美は黙々と手を休めずに綺麗に荷物を整理した後、振り向いて言った。

「私、これから刑事課に行って来ます」
「…刑事課?」
「はい」
「何しに?」
「ちょっと、私用です」

周囲の唖然とした空気を微塵にも感じずに、夏美はにっこり微笑んでその場を後にした。

***



刑事課の入り口で立ち止まった夏美は、そうっと中を覗き込んだ。部屋の中は相変わらず忙しそうな様子で、入るのを躊躇していた彼女の肩をぽんと叩く手があった。

「何してんの? 篠原さん」
「あ、青島さん!」

振り向くと、いつもの愛想の良い笑顔を浮かべて青島が立っていた。背後から急に声を掛けられたので、夏美は心底驚いていたのだが、その時青島のお腹から『ぐるるるる〜』と悲しい音が漏れて来て、互いに顔を見合わせた。青島は苦笑いしながらも、ついそのまま愚痴を零し始めてしまった。

「全くさぁ、聞いてよ。折角昼飯を食おうとしてカップラーメンにお湯を入れたら『事件が発生したから外行って来い』って言われて、俺の昼飯すみれさんに取り上げられちゃったんだよ」
「そうなんですか?」
「そ。お陰で俺、滅茶苦茶腹減って…。篠原さんは飯食ったの?」
「はい、さっき食べました」
「そっか。良いよね、交通課は飯を食う時間がちゃんと有って。刑事課は昼飯を食う時間さえ無いんだもんなぁ…」
「はあ、大変ですね」
「そう、大変なんだよ。それでね、態々昼飯を抜いて迄出掛けて行ったのにさぁ」
「先輩、其所に立ってると他の人が通れません」

延々と続きそうな青島の愚痴を、夏美もつい聞き入ってしまっていたのだが、部屋の中に入ろうとした真下が声を掛けて来て、初めて二人は我に返ったのだった。

「あ、悪い。そう言えば篠原さん、刑事課に用事が有るんだよね? 誰か呼んであげようか?」
「え、あ、その」

夏美が戸惑っていると、部屋の中からすみれが青島の姿に気付いて声を掛けて来た。

「お帰り、青島君。お昼御馳走様でした」

にっこり笑って言うすみれに、青島は情けない顔を向けた。

「俺の昼飯…」
「仕方ないでしょ、事件が起こっちゃったんだもん。あのまま捨てられちゃうより、あたしに美味しく食べられた方がラーメンも幸せだったと思うわよ」
「俺の幸せは何処に有るんだよ」
「そんなの、あたしが知る訳無いでしょ」

がっくりと肩を落とした青島を無視して、その横に立っている夏美に気付いたすみれは「どうしたの?」と声を掛けた。

「あの、雪乃さんは…」
「雪乃さんなら今日はお休みしてるわよ。…何か用事でも有った?」
「いえ、あの、それなら良いんです。失礼致しました」

ペコリとお辞儀をしてそそくさと立ち去る夏美を、青島とすみれは不思議そうに見送ったが、すみれは「あ」と呟いて慌てて後を追い掛けて行った。

「篠原さん!」

階段を降りる夏美を呼び止め、追い掛けて来たすみれに夏美は驚いて立ち止まった。

「どうしたんですか」

夏美に追い付いたすみれは、息を整えた後、優しく問い掛けた。

「雪乃さんに用事が有ったんでしょ? 何? もしかして相談事かな」
「……え」
「ビンゴ、でしょ」

狼狽える夏美に、すみれは笑って小声で話し掛ける。

「しかも恋愛事。相手は同じ警察関係って所かしら?」
「お、恩田先輩!」

真っ赤になった夏美に、すみれは「可愛い〜」と言って頭を撫でてから、こっそりと耳元で言った。

「あたしで良かったら相談に乗るけど?」
「え、良いんですか?」
「勿論。…ちょっと場所変えようか」

周りをきょろきょろと見回してから、すみれは夏美を刑事課に連れて来て、共に空いている『取調室』に入って行った。その様子を中西盗犯係長や袴田課長らは渋い顔で眺めていたが、触らぬすみれに祟りなしとばかりに見て見ぬ振りをする事にした様だ。

「はい、此処なら邪魔は入らないから」

椅子を勧めるすみれに夏美は戸惑いつつも、部屋をぐるりと眺めてから「失礼します」と言って座った後畏まった。

「い、良いんですか? 此処使っちゃって」
「良いの良いの。今日は結構空いてるから、一つ位使ったって平気よ。で、本題なんだけど、相手は誰?」

興味津々、とばかりのすみれの表情に圧倒されながらも、夏美は真剣な顔をして逆に質問をし始めた。

「あの、キャリアの人に話し掛けるのって、どうしたら良いんでしょうか」
「……え?」
「滅多にうちの署に来る事なんて無いのに、来たら来たで部下の人達に取り囲まれていたりするじゃないですか。話し掛けたくても切っ掛けが掴めなくて。何か良い方法無いでしょうか」

切羽詰まった様な表情をして聞いてくる夏美に、すみれは硬直しながら聞き返した。

「あの、篠原さん?」
「夏美で良いです、恩田先輩」
「あたしの事もすみれで良いわよ。それじゃ、夏美ちゃん、そのキャリアって、まさか……室井さん、なの?」

緊張した面持ちで訊ねたすみれの台詞に、夏美は吃驚した顔をした後、急いで首を振った。

「いいえ、違います」
「そう、良かった」

ほっと一息吐いたすみれは、「うん? それじゃ…」と室井以外のキャリアを思い浮かべて絶句した。

「はい。私の言っているのは、新城管理官の事です」
「一一新城さん?!」

ガタッ!!と音を立てて立ち上がったすみれを、夏美は不思議そうな顔で見詰めた。

「あの、何か?」
「な、夏美ちゃん? 本気なの?」

まさに恐る恐ると言った感じで聞いてくるすみれに、「はい」と軽く返事を返した夏美だった。

「いけませんか?」

首を傾げて上目遣いで聞いてくる夏美は、女の目から見ても可愛らしかったので、すみれは溜め息を吐きつつも苦笑を返した。

「いけなくは無いわよ。……好みは人それぞれだしね。相手が室井さんよりかは、まだ可能性も有るでしょ」
「そうですよね。青島さんがライバルだったら勝ち目無いですもん、私」

つい漏らした夏美の呟きにすみれはうんうんと頷いた後、ハタと気付いて又もや驚愕した。

「な、夏美ちゃん?」
「すみれ先輩も気付いてますよね。でも、どうやら青島さんはあまり自覚が無いみたいなんですよ。この前お話した時、反応薄かったから」

動揺の微塵も見せない夏美の姿に、すみれは感心しつつも真剣な顔で問い掛けた。

「それ、誰かに話した?」
「いいえ。私から話すつもりはありません」

真面目な顔で答える夏美に、すみれは複雑な面持ちながらも笑顔を返した。

「他人から見ればバレバレなのに、自覚無いのも困り者よね、あの二人」

溜め息を吐いて呟くすみれに、夏美もこっくりと頷いて同意した。

「まあ、あっちは放っといても良いとして。夏美ちゃんは二号機…じゃない、新城さんに話し掛ける切っ掛けが欲しいと言う訳なのよね」
「はい。出来ればアプローチの仕方とかも無いモノでしょうか」

真剣な表情で相談されて、すみれはちょっと考え込んでから、にやりと笑って言った。

「そんなの、ウチには手本がいるじゃない」
「手本、ですか?」
「そう。キャリアを誑し込んでる良い例が、ね」
「…あ」

夏美もすみれが何を差して言っているのか理解した様で、二人はそっとドアを開けて、机に向かってパソコンを打っている青島の様子を見た。

「良い? 夏美ちゃん。室井さんが来た時の青島君を手本にすれば、もしかして新城さんを落とす事も出来るかもしれないわよ」
「はい、頑張ります!」

二人の視線に気付いた青島に、すみれと夏美は笑顔を向けたが、青島は何となく嫌な予感を感じ取って訝し気な顔をした。



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『青室と新夏』とか銘打ってる割には新夏の話が無いぞう!と思っていたので
書いてみました。が、初っ端から何だかおかしな方向になって行きそうな予感
が…(汗)。新城さんは何時登場出来るんでしょうねぇ。それも不安の要素の
一つなんですが、何となく長くなりそうな気もして今から遠い目をしちゃった
りしてます。うう、長い目で見てやって下さいね〜(切実)。