怪我の巧妙 -1-
”今日の貴方の運勢は、アンラッキーでラッキーです”
ミニパトでの巡回中に偶然目にした電光掲示板に流れていた星占いを信じていた訳じゃない。だけど少しは注意した方が良かったかもしれないと、後悔先に立たずと言う言葉をしみじみと噛み締めている夏美だった。
「大丈夫? 夏美」
心配そうに聞いて来る妙子に、夏美は安心させる為ににっこりと笑った。
「大丈夫です。ちょっと捻っただけですから」
本当は少しじんじんと痛むのだが、堪えられない程酷くは無い。骨や神経にまで及ぶ事態だったら困り者であったけれども、幸い筋を軽く傷めただけで済んだ様だ。
先程の巡回中に近所のオバ様方の喧嘩を目撃した夏美達はやんわりと止めに入ったのだが、エキサイトしたオバ様の一人に突き飛ばされ、夏美が足を軽く挫いてしまったのだった。
「全く、あのオバさん達ったら傍迷惑この上ないわよね。あんな道端で大喧嘩するなんて…しかも理由が今晩のおかずだって言うんだから何考えてるのかしら」
プンスカと怒る妙子に、夏美は苦笑しつつ宥める様に言った。
「でも、二人とも無事和解出来て良かったじゃないですか」
「良く無いわよ。夏美に怪我迄させて。やっぱり公務執行妨害で捕まえてやれば良かったかしら」
「妙子先輩…」
気持ちは有り難いが、其処迄されたら洒落にならなくなってしまう。しかし今回は相手が女性だったからこの程度で済んだが、もし相手が男性であった場合はどうなっていたのだろうかと思う。やはりもう少し柔道等を習って、咄嗟の時に少しは受け身位取れる様になっておかなければいけないなと反省する夏美だった。
「でも…強い女は嫌いかな」
「え、何?」
ふと呟いた夏美の言葉を聞き返す妙子に、夏美は慌てて「何でもないです」と言って笑って誤魔化した。
車を玄関に着けて貰い、先に診療室に行くと言う夏美に妙子が問う。
「本当に大丈夫? 私も一緒に付いて行こうか?」
気遣う妙子に夏美は笑って辞退する。こんな程度の怪我で、先輩の手をこれ以上煩わす訳にはいかないと、言外に断る夏美に妙子は苦笑して頷き、車を駐車場に向けて走らせて行った。それを見送った夏美は、ヒョコヒョコと足を庇いつつ、エレベーターの前でボタンを押してしばし待った。が、一向に階を示す表示の動く気配が伺えず、なかなか降りて来そうになかった。一つ溜め息をついた夏美は、「しょうがないな」と呟いて階段に向かってゆっくりと歩いて行く。
手摺に捕まりつつようやく二階に昇り着いてホッと一息吐く夏美の耳に、刑事課の部屋から怒鳴り声が聞こえて来た。
「だ、誰か、そいつを捕まえて下さい!」
いきなり部屋から飛び出して来た痩せ細ったサラリーマン風の男性は、夏美の目の前に急に現れ、彼女の横を脇目も振らずに走って擦り抜けようとした。階段を降りようとしたその男の首に、夏美は自分の腕を咄嗟に回し、腕を床に叩き付ける様に押し倒した。男は急な夏美の行動にあっさりとその場に倒れてしまったが、その反動で夏美の身体はぐらりと後ろによろめき、……階段を踏み外した。
「……えっ」
バランスを崩した身体を支えようと足に力を入れたが、その瞬間ズキッと痛みが走り、手摺を掴もうと伸ばした手も空振りしてしまった。
自分の身体が宙に浮く感覚と、周囲のざわめきが遠くで聞こえる感覚に妙な感じがして、まるで映画のスローモーションの様だと他人事の様に悠長に考えた。
「きゃあ!」
誰かの悲鳴が聞こえ、周囲の人間が一斉に夏美の方に目を向けた。が、生憎咄嗟に手助け出来る人間が階段の周りにはいなかった。……たった一人を覗いては。
ドサッ!!
固い床の衝撃を覚悟し、ぎゅっと目を瞑ってしまっていた夏美は、意に反して多少の衝撃とクッションの様な柔らかいモノの上に落ちた感覚に気付いた。
「うっ…」
「新城管理官! 大丈夫ですか?!」
えっ、新城さん? ど、何処にっ?!
自分の現状を一瞬忘れ、慌てて目を開けてキョロキョロと辺りを見回す。ふと、手を置いた掌の感覚が、何か柔らかくて暖かいモノに触れているのに気付く。何となく上下に動いている気もする…?
恐る恐る自分の手を置いた方向…つまり自分の下を見てみると、そこには自分の下敷きとなった新城が横たわっていた。
「……怪我が無いなら退いてくれないか?」
「〜〜〜〜!!」
眉間の皺を深くして睨み付けている新城の身体を、乗り上げる様にしていた自分の現在の状態に気付き、夏美は顔を真っ赤にして慌てて其処から退こうとした…が。
「…いっ」
苦しそうに呻いて、足首に手を当てた夏美に新城は顔を顰めた。
「おい」
「…だ、大丈…夫、です」
額に脂汗を流しながら、少しずつ身体をずらして新城の上から退いた夏美は、何でもないと笑って誤魔化そうとしたのだが、余りの痛みにそれ以上の言葉すらも出なかった。
「夏美ちゃん!」
交通課の女の子達や周りの男性陣が慌てて駆け寄る中、新城は何事も無かったかの様に立ち上がって身の回りの埃を払う。そして無遠慮にずいっと再び人垣の中に入り込み、徐に夏美を抱き上げた。
「……えっ」
夏美は一瞬足の痛みを忘れ、目をパチクリとさせた。
「診療室は何処だ?」
「さ、三階です!」
無表情で質問する新城に、慌てて側に立つ湾岸署員の一人が答えた。
「だったら、階段を使った方が速いな」
「か、管理官?」
「お前達は先に玄関で待っていろ。直ぐ戻る」
一緒に来ていた捜査員にあっさりと言い、唖然とする周りを他所に、新城は全く意に介せず夏美を軽々と抱き上げたままスタスタと階段を昇り始めた。それを外から戻って来たばかりの青島が呆然と見守りつつ、小さく口笛を吹いた。
「やるじゃん、新城さん」
NEXT2
|