怪我の巧妙 -2-


無表情で黙々と階段を昇る新城の腕の中、周囲の奇異な視線を浴びていた夏美はついつい赤くなってしまう顔を隠す為に俯きたかったのだが、そうすると必然的に彼の胸に寄り添う様になってしまうので、どうしようと頭の中はパニックになっていた。

「あの」
「何だ」
「済みません、私歩きます」

遠慮がちに小さな声で言った彼女の台詞に、新城はピクリと眉を動かし一瞬視線を送ったが、歩みは止めずにスタスタと階段を昇り続けた。

「……立ち上がる事さえ出来なかった癖に、自分で歩けると思っているのか?」

冷ややかな声音であしらわれるが、こんな風に新城に迷惑をかける事になろうとは想像もしていなかった夏美は、酷く恐縮すると共に困惑をも感じていたので、何とかこれ以上の迷惑を回避しようと試みていた。

「でも…」
「下らない事を考えている暇があるなら、少しは受け身位まともに取れる様に何かしたらどうなんだ」
「…済みません」

尤もな意見に反論出来ず、夏美は静かに目を閉じて小さく謝罪した。他人の心に無頓着な新城は、落ち込み始めた彼女の様子に気付かず、更に追い討ちをかけるかの様な言葉を続けてしまった。

「君は刑事になりたいのだろう。だったらそれ位出来る様に考えておくべきじゃないのか」
「…済みません」
「……別に謝って欲しい訳じゃない」
「す……はい」

すっかり消沈してしまった夏美の様子に、流石の新城も自分の言葉がきつかったのだとようやく気付き、少々いたたまれない気持ちになって来る。暫くの沈黙が続き、やっと辿り着いた診療室を開けた新城は、しんと静まり返った部屋の奥にあるベッドに夏美を降ろして座らせた。

「誰もいないのか?」

辺りを見回すが、部屋には誰の気配も見受けられなかった。ちらりと夏美に視線を向けると、夏美は黙って俯いたまま大人しく座っていた。新城は一つ溜め息を吐くと、夏美の足元に屈んで言った。

「ちょっと触るぞ」
「えっ?」

俯いていた夏美は、新城のいきなりの台詞と行動に思わず顔をあげる。至近距離の彼の顔に驚いたのと、痛めた方の足首に手を触れられたので、夏美は思わず声をあげそうになった。痛みと羞恥心が混ざり合い、無言で目をぎゅっと瞑った彼女を新城が見上げた。

「どうやら軽い捻挫の様だな。腫れは酷いが、湿布を貼って暫く安静にしていれば治るだろう」
「……」
「暫く様子を見て、腫れがひいてきたら念の為に医者に見て貰った方が良い」
「……」
「……? 篠原巡査?」

返事の無い夏美に、新城は訝し気に声を掛ける。その声にはっとした夏美は目を開ける。とその瞬間、夏美の顔を覗き込んでいた新城の顔を間近に見てしまい、思わず反射的に後ろに飛び退いた。

「あっ、はい、済みません!」

真っ赤になった顔を見られない様に、慌てて両手を頬に当てて俯く夏美だった。そんな夏美の様子を不思議そうに見詰めた新城は、次の瞬間眉間に皺を寄せて軽く溜め息を零した。

「君はさっきから謝ってばかりだな」
「え」
「非を認めるのは良い事だ。だが、まず謝る前に謝らなければならない様な事態にならない様、最善を尽くす様努力したまえ」
「……はい」

再び落ち込み始めた夏美に何故か焦りを感じた新城は、そんな自分に疑問を感じつつも無意識にぽろりと言葉が零れていた。

「君はそれでなくても無茶をし過ぎる。心臓に悪くて始末が悪い」
「はい。……え?」

驚いた顔で見上げた夏美の視線と、やはり同じく自分の台詞に驚いた新城の視線がかち合う。その瞬間、新城は徐に不機嫌な顔をしてクルリと背を向けた。

「戻る」
「あ、あの…!」

踵を返してさっさとドアに向かう新城に、夏美は慌てて声を掛けようとする。勢い良く彼がドアを開けたその時……新城の動作が扉を開けた状態のまま止まり、一瞬の沈黙が漂う。そんな彼の後ろ姿をじっと見詰め、夏美は不思議そうに小首を傾げた。

「…何をしているんだ」

眉間にこれ以上は無いと言う程深い皺を作って睨み付ける新城に、今にも逃げ出そうとしている真下の首根っこを引っ掴んだ青島は、気まずそうに頭を掻きつつ笑いかけた。そんな男共を無視して、すみれと雪乃、妙子が即座に部屋に入って夏美に近寄り声を掛ける。

「大丈夫?」

心配気に声を掛けている女性陣を後目に、新城はじろりと青島を睨み付けて言った。

「そんなに暇なら、彼女の世話でもしてやったらどうだ」

相変わらず不機嫌そうに嫌味を言って来る新城の台詞の端に、夏美への僅かな心配が混じっているのに気付いた青島は、内心苦笑しながら小さく問い掛けた。

「…俺に任せちゃって良いんスか?」

ちょっと含みの有る言い方で意地悪くそんな事を言う青島に、新城は殊更冷たい目で容赦無く言い返した。

「同僚の世話も出来ない男なのか、お前は。全く、こんな男に期待している室井さんの気が知れないな」
「…何で此処で室井さんの名前が出て来るんスか」

情けない声で呟く青島を無視して立ち去ろうとした新城に気付いた夏美は、慌ててベッドの上から声を掛ける。

「あ、新城管理官!」
「……何だ」

ピタリと足を止めて振り返ってくれた新城に、夏美は決心した様に真剣な面持ちで真直ぐ見返し言った。

「あの、有難うございました。もうご迷惑掛けない様に、これからしっかり受け身の勉強します」

決意を固めてそう宣言した夏美を、新城と青島がじっと見詰めた。

「…良い心掛けだ。頑張りたまえ」

言い捨ててクルリと身を翻した新城を、その場に居た全員が呆然と見送っていた。

「今…あの人、笑ってなかった?」

恐る恐る呟いたすみれに、雪乃も信じられないモノを見たかの様に顔を強張らせながら頷いた。

「そう…見えました」
「て、天変地異の前触れだ…」

真下も壁に張り付きながら硬直しつつ呟いた。
パチクリと数回瞬きして新城を見送った夏美は、ふと視線を反らすと、その先に同じ様に目をまんまるくして見送っていた青島と目が合った。青島は夏美と目が合うと、驚いた表情から一変して含みの有る笑顔を向けた。すると夏美もクスリと笑って、心から嬉しそうに微笑んでいた。


END
  






新城さんの笑顔か…。冷笑以外思い付かないんですけど(汗)。ともかく
筧さん笑いでない事だけは確かですね(爆)。ああ、しかし私ってば本当
に新城さんに夢見てるんでしょうか?(誰よりも扱いが格好良い様な…)