大正生まれの私の母は、何かにつけて男を立てるという教育を私にしていた。
というより、跳ね返りの私を諌めるために、「女のお前がどんなに優秀であろとしても大したことはない」と教えたかったのだろう。母はよく私にこう言い聞かせていた。
「女の偉いは、男のバカと釣り合うと、昔から言われちょる。それほど男は偉かとバイ」
男はまたぐな。男が先、等々
母は自分がしょっちゅう自分の夫と夫婦喧嘩していることなど、そっちのけでいつも私に説教をしていたのである。
私は私で、母の言うことなど聞きたくはないし、母の言うことは間違っていると証明してみせてやるんだとばかりに、学校にいる間は、可能な限り頑張っていた。
が、社会にでると、何のことはない、どんなに頑張ってみても女は下働きでしかなく、大した能力がなくても男は男であるというだけで、上司として君臨するのだという現実にぶつかった。
「女はお茶汲み。女は結婚するまでの腰掛仕事」と、あからさまに言われていた時代である。
しかし、しばらくして、もう一つ裏の真実を私は知ることとなった。
ある量販店でバイトをしていた時、一人のパートの女性が群を抜いて仕事ができ、その上司である大卒の男性は、彼女に頼りっぱなし。終いには、彼女のほうが上司に指示を与える始末であった。
それをハタから見ていた私は、急に男というものが可哀相になってきた。
能力があろうとなかろうと、責任ある職務につかせられ、指導力や統率力がなくても上司として働かなければならない、『男』というもの。彼はひょっとすると女に生まれたかったのかもしれない。ふっとそんな思いが浮かんできた。
しかし、そんな同情も束の間だった。
あまりにもその男性上司の無能ぶりにあきれたのだ。
そこで生まれた私の格言。
『女のバカは可愛げがあるが、男のバカは救いようがない』
註:文中の『偉い・バカ』は学校の成績を指すものではありません。仕事を含む日常生活での応用能力の高さを意味しています。
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