■ ニコン様に導かれた時 Page 1/2

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 私がニコン様に導かれたのは、銀座ニコンハウスの店頭です。長年のあこがれだったニコンFがずらりと並んださまは圧巻でした。当時はすでにAE機が全盛で、AF機も出始めたころですが、それらには全く興味をもつことなくFの品定めをした記憶があります。

 そこで選んだのは650万台のアイレベルボディと非Aiのオートニッコール50ミリ。合計3万7千円でした。いちばん安い組み合わせで、保証もつかなかったのですが、調子は最高で一度のトラブルもなく、富士山・穂高岳などの山々やタイ・ニュージーランド・イラン・フランスなどの各地で活躍しました。完全マニュアルで露出計もないカメラを使うのは初めてだったので、池袋のビックカメラでスタジオデラックス(電池がいらない露出計があるということを理解できない人もいるようですね)を購入して使っていましたが、あとになってからはほとんどカン露出ですませるようになりました(リバーサルも結構撮っています)。

 最近はAF機中心でカメラに頼りっきりなので、以前ほどの自信はありません。

(くりちゃん)

 

 私のニコン様との出会いは子供の頃でした。父が使っていたカメラに「Nikon」と書かれたロゴがあったのを覚えています。

 当時どうやって発音したら良いか分からなかったのですが、そのロゴは妙に印象に残っていました。やがて父親の仕事の都合で海外で一生の半分を過ごしたのですが、4年前就職の為に日本に帰国する際に父に餞別として貰ったのが、F3HP様でした。以来、ニコン様の魅力に取りつかれております。

(たろう)

 

 高校1年生のとき,父がカメラを買ってきてくれた。いったい何を買ってきてくれたのだろうか?

 当時,TVからは「連写1眼,☆ヤノンAE−1」だとか,「いまの君は〜ピカピカに光って〜」などという邪宗門への洗脳工作が盛んに行われていた。

 しかし,父が買ってきてくれたのはニコン様のFMだった。きっと,ニコン様が父に乗り移って,私にFMを与えてくださったのであろう。

 その日から17年,FMはいまだ現役である。

 (参考)そのころ,母は私に腕時計を買ってくれた。もちろんそれも現役である。それは,SEIKO Hybridという(笑)

(MATIA)

 

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