「ケルベロス第五の首」ジーン・ウルフ/柳下毅一郎訳 国書刊行会
三部構成の長編SF。第一部はゴシック。第二部は民話。第三部はカフカ風不条理。でもって通して読むと本格ミステリ(ただし探偵による謎の解明はなし)。テーマは「アイデンティティ」と「真実はない」。ネタバレなしにこれ以上踏み込むのは難しいなあ。
アイデンティティのテーマを掘り下げる為に繰り返し出現するさまざまな「他人である自分」のイメージがグロテスクで、す・て・き(はーと)。
「真実はない」テーマを掘り下げるために作者が採用した描写のみで(すなわち説明なしで)、「見かけ」と「真相」と「さらにひっくりかえった真相」と、さらにそれらを同列に表現するという離れ業。しかし、でも実際にはそれらのうちどれかが起こったのでしょ? と言われてしまうと困るような気がします。どれもが成り立たないという方がよかったのではないかと感じます。
残念ながら私の頭は粗雑に出来ているので、粗雑な誤った読み方なのかもしれません。
そういえば第一部は少年の目でゴシック世界を描写するお話で、このような手法は異世界を読者に少しずつ説明する話でよく採用されるのですが、通常はこの手の手法を採用するときには、しばしば作者はその魅力的な異世界に没入して・酔って・いることがほとんどなのですが、何故か読んでいる間中「作者がよそを向いている視線」が感じられました。この感覚はどこかで覚えがあるなあとしばらく考えておりましたがやっと思い当たりました。殊能将之の作品に常につきまとっている感覚でした。
「ケルベロス第五の首」読了。二周目に突入。
「ケルベロス第五の首」読み始める。
フジテレビの27時間テレビで夜中にやっていた「カマ騒ぎ」は、さんまがいらん仕切りを強制したためさんま御殿になってしまう。矢部は殺意を抱いていたに違いない。そのあとの「早朝芸人のど自慢」は、ベストテン方式で歌のうまい芸人が真面目に歌うというコンセプトで、まあ出てくる芸人さんの歌がうまいことうまいこと。特に森三中の大島とかペナルティの松本とか。最後に第一位の内村がコント(階段オチまで!)をやってしまい大混乱になったところで内村プロデュース!と叫んで記念写真をとって終わりという私好みのグダグダ感が嬉しいコーナーでした。
今日も「ケルベロス第五の首」は書店で見当たらず。発売日に置いていないというのはチトまずくないか。
27時間テレビのエンディングは岡村VS.具志堅のボクシングで、岡村がノックアウトされ担架で運ばれていって医者の深刻そうなコメントがあって、皆が心配しているところに神輿にかつがれタイガーマスクの面をかぶった岡村が場内に乱入し大騒ぎ。よかったよかったと大フィナーレを迎えているところに忘れ去られていた100kmマラソンを走っていた加藤が何故か間に合ってゴールするも誰にも相手されずにマジギレで大暴れ。という展開を期待していたのですが、そこまでめちゃいけスタイルにするわけにはいかなかったらしく残念。
「蜘蛛の微笑」 ティエリー・ジョンケ/平岡敦 訳 愛人を虐待する外科医と逃亡中の銀行強盗と何者かに監禁された男の3つの話が交錯した時に何が起こるか。フランス産らしく説得力に欠けるきらいがあるが、納得力がある小説。銀行強盗の男と精神病院に入院している女性が、プロットの都合のために出てくる人形と感じるか、それとも許容範囲であるのかで評価が分かれるのではないかと思います。
少し涼しくなったおかげか、すこし元気になった。この機会を逃すとまたいつ人間に戻れるか分からない。「ケルベロス第五の首」を探しに、とりあえず国書刊行会の本を置いていそうな書店を三軒回ってみるが残念なことにというかやはりというか見当たらない。代わりに何冊か購入。
ジム・クレイス「死んでいる」白水uブックス
ハードカバーが出たとき、丁度死んでいる話を書こうと考えていたところだったのでショックを受けた記憶がよみがえる。(未読)
森博嗣「恋恋蓮歩の演習」 講談社文庫 このシリーズでいつも鼻についていたキャラ萌えが本作ではそれほど気になりませんでした。推理小説としてのガチガチの論理の檻を求めている人には向かないような気がしますが、最初に出てくる謎の恋人の正体の引っ張り方が面白かったです。
エイトマン―新作2004年度版 絶対読めない幻の読み切り傑作選 トラウママンガブックス桑田 二郎 英知出版 幼稚園のころ桑田次郎の「エリート」や「デスハンター」や「超犬リープ」を読みふけったものでした。その頃既に拳銃不法所持事件で干されていたため、もう新作が読めないのだなあと諦めておりました。その後宗教的漫画を描くようになったようですが、線が違う人になったようです。エイトマンの新作ということでつい買ってしまいました。フォローワーを許さない唯一無二のシャープな線は健在でなんともうれしい限り。エイトマンは一作のみで、あとは旧作の読みきりの再録。でもやっぱり昔の線のほうがシャープだなあ。
推測だが、エレベーターの運行はいくつかのプログラムがあって、そこから例えば人を効率よく運ぶコース、消費電力節約コース、中庸コースなどから選択できるようになっているのではないかと思う。そしてこのエレベーターはなるべく人を載せないコースの設定になっているに違いない。そうでなければこのエレベーターの異常な運行は説明出来ない。ボタンを押すと三機並んでいるエレベーターで一番遠いとしか思われないエレベーターが呼び出される。そうでなければ、例えば8階から10階へ移動しようと上ボタンを押すと9階のエレベーターが一旦8階を通り過ぎ1階までたどり着いてやっと8階にやってくる。 一つだけ救いがあるとすれば、このエレベーターが三菱製であって、行く先階ボタンを間違えてもダブルクリックでキャンセルできることくらいか。 エレベーターに乗り込むとドアが閉まる。行く先ボタンを押さずにいると「行く先ボタンを押してください」とアナウンスされる。 特に行きたい階もないのでそのまま放置しておく。節電の為かエレベーターの中の照明が消される。隣のエレベーターが動いているのか、モーターの音とワイヤーがぶつかるような音が聞こえる。箱が動き出す。照明と階数表示は消えたままなので何階へ向かっているのかよくわからない。人が乗り込んで来た時にボタンが押されていなければ奇異に思われるだろうと、ボタンのある方向へ手を伸ばして体のバランスを崩す。よろけて二三歩前に進む。壁がない。暗闇の中おそるおそる歩いてみるが壁に到達しない。エレベーターが動く音がなお響く。
Oblique Strategies Copyright(c). 1975, 1978, and 1979 Brian Eno/Peter Schmidt
「ペペロンチーノ(略)」を、あちこちで見かける状況が長く続いたせいで、なんか自分のテキストではないような気さえしてきました。
地面に散らばっているナイフと寸胴とフライパンを拾ってカゴに入れる。皿は粉々になって飛び散っているので箒で集めて塵取りにとりポリ袋に入れて燃えないゴミとする。撒き散らされたスパゲッティはくまででかき集めゴミバサミで拾い上げ、先ほどとは別のポリ袋に入れ燃えるごみとする。地面に広がっている赤黒い染みはホースで水を撒いて洗い流す。地面に横たわる大きな塊は気がつかなかったことにしてそのままにしておいて構わない。どこからか視線を感じて仕方がない場合は、日が暮れる前に作業を終了すること。
Oblique Strategies Copyright(c). 1975, 1978, and 1979 Brian Eno/Peter Schmidt
あまりの暑さに何も思い浮かばないのでしばらくお休みしようかと思ったのだが大西科学の「河原にて」がすごく恐い話なのでご紹介。井戸の話の時も思ったのですが、上手く説明できない恐さ。単に危なかった話になりそうなところを、出てくる物事物事すべて禍々しい色合いを帯びていて……って、実話だったらなんか差しさわりがあるようなことを、今書いたような気がするので話題を変えます。いままで見聞きして一番恐いと思った話は、閉ざされた部屋の壁にクレヨンでびっしりと書かれた……という話。二番目に恐いと思った話は
------------ここから引用--------
洒落にならないくらい恐い話を集めてみない?Part23(2ちゃんねる)
http://hobby2.2ch.net/occult/kako/1038/10382/1038209969.html
852 名前: 1/4 投稿日: 03/01/10 00:05
小学六年生の頃の話だ。
親戚夫婦が遠方で急用ができたとかで、子供を預けに来た。
ちょうど土曜日で、両親も夕方まで出掛ける予定があり、
僕がいとこ達のお守り&留守番をすることになった。
いとこは七歳男の子と妹五歳。しきりに遊ぼうとねだってくる。
仕方ないので妹の要望を聞いて、かくれんぼをすることにした。
いとこ達は隠れる側で、僕が五十数えて探すことになった。
男の子は押入れに隠れていたのをすぐに見つけ出したのだが、
妹の方はどこに隠れているのか、なかなか見つからない。
そんで、僕は「もういいかーい」と声をかけながら探すことにした。
やっぱり子供だ。「もういーよ」と返事してくる。
どうもベットの下に身を潜めているらしい。
僕は音を立てずにそこを覗き込むのだが、姿はない。
853 名前: 2/4 投稿日: 03/01/10 00:06
また声をかけると、笑いを押し殺した声で返してくる。
やっぱり押入れか?
しかしそこにもいない。
いとこも一緒に探したのだが、見つけ出せずにいた。
僕は少し不安になって「降参。もう出ておいでよ」と声を上げた。
妹は風呂場のドアを開けて、にこにこしながら現れた。
(さっき探したけどな)
どこに隠れてたのか聞くが、秘密だと言って教えてくれない。
その後はゲームをして過ごしたが、やっぱりずっと頭にひっかかってた。
夜になっていとこの父親が迎えに来て、二人は帰っていった。
僕も寝る時間になり布団に入った。
854 名前: 3/4 投稿日: 03/01/10 00:07
どうしても昼間のカクレンボのことを考えてしまう。
そのうちうとうとし始めた頃、暗くした部屋の中から声がした。
「 も う い い か − い 」
はっ?驚いて目を覚ますと再び声が。
「 も う い い か − い 」
微かに、それでも確実に、その声は聞こえた。
僕は思わず布団の中にもぐりこんだ。
それはあの五歳になる女の子の声じゃない。
もっと年配の、おそらく大人の女性の声だ。
「 も う い い か − い 」
だんだん近づいてきている。
体は震え、完全にパニック状態だった。
855 名前: 4/4 投稿日: 03/01/10 00:08
それでも、返事は二つしかないことは分かっている。
絶対に「もういーよ」、とは言えない。
「まーだだよー」僕は蚊の鳴くような声で呟いた。
「 も い い か − い 」
おそらく声の主は布団のすぐ近くまで来ていた。
(ああ、もう見つかる)そう感じた瞬間だった。
僕が頭から被っていた布団が、勢い良く捲り上げられた。
目を見開いて悲鳴を上げると、そこには誰もいなかった。
騒ぎを聞いて父親が部屋に駆けつけてきた。
「どうした!何があった?」
僕は震えながら言った。
「布団がふっとんだ」
------------引用終わり--------
休みの間に読んだ本。感想を書くときにはなるべくポジティブなものを書くことを心がけているのですが、面白かったにもかかわらずネガティブな文章しかかけないのでタイトルのみ。
イン・ザ・プール 奥田英郎 文芸春秋社
空中ブランコ 奥田英郎 文芸春秋社
サターン・デッドヒート グラント・キャリン 早川文庫
先の読めない物語(PJ傑作集(7)) ポールジェニングス トパーズプレス社
魔剣天翔 森博嗣 講談社文庫
いつもは電車に載って移動しながらCDで音楽を聴いている。
じゃあ、電車を楽器にしてしまおう。
扉が開く音
エアーがタンクに詰められる音
扉が閉まる音
車輪が回転を始める音
モーターが加速しながら回転する音
パンタグラフが架線と触れる音
線路の継ぎ目をまたぐ音
風がガラスを震わせる音
連結器がぶつかる音
座席に人が座る音
つり革がきしむ音
エアコンが風を送る音
車内放送のマイクのスイッチが押された音
今度はCDで移動してみよう
シベリアへ
ハワイへ
北国へ
南国へ
一雨降った後の夜へ
君の腕の中へ
ひとりぼっちの夜へ
高校時代の屋上へ
Oblique Strategies Copyright(c). 1975, 1978, and 1979 Brian Eno/Peter Schmidt
あるかどうかよくわからない石橋を渡る。霧が深くて河の向こう岸までが見渡せない。歩いていくと橋の下に流れているはずの水の音が聞こえてくる。向こうの橋のたもとの方には動かない二人の人影が見える。
Oblique Strategies Copyright(c). 1975, 1978, and 1979 Brian Eno/Peter Schmidt
岬の灯台を出て、水平線に背を向け丘に向かう。緩やかな坂道を登り展望台にたどり着く。建物の周りには何をかたどっているのか見当がつかない石造があちこちに放置されたように置かれている。螺旋階段をむやみにぐるぐると回っていると屋上の展望所に出る。屋上の中心に置かれたやぐらに登ると先ほどの灯台とそのはるか先に水平線が見える。ぐるりと見回すと先ほど見えた灯台とここまで歩いてきた道が消えている。不思議なことにこの展望台は360度全て水平線に囲まれている。ここはいつも強い風が吹いている。風は耳元でごうごうとホワイトノイズを生み出す。この展望台は世界の果てである水平線から等しく距離がおかれ、すなわちここが世界の中心。そうならばこのごうごうと鳴る音はこの場所を軸に地球が回転する音。展望台が軸として地球を支えている重みが背中にのしかかる。私は思わず叫ぶ。その声は丸い展望台を丸く囲む塀に反射し、拡散して散っていくべきその声は、全ての方向から私に戻ってくる。何も聴きたくない私は両手で耳をふさぎ、しゃがみこむ。手で抑えられた耳の奥に流れる血液が流れる音がごうごうと響いてくる。耳をふさいだまま目をつむり、今は見えない灯台に思いを馳せる。灯台に残ってこちらを見ているはずの君の瞳を思う。
Oblique Strategies Copyright(c). 1975, 1978, and 1979 Brian Eno/Peter Schmidt
日没は遅くなったとは言え、明るいうちに退社するなんて夢のまた夢。人にはうかがい知れない理由で駅の構内に寝そべる人たちを跨ぎ越しながら改札を出る。お湯の中に入ったような生ぬるい空気をかき分けながら家路に急ぐ。人通りが多いくせに街灯が少ない道のせいで周りが暗い。同じ方向に歩く人たちは何故か存在感に乏しい。このうち一人二人が幽霊であっても誰も気にしない。私が幽霊であっても誰も困らない。横断歩道で立ち止まると周りの人がみな白いシーツのようなものを頭から被っていた。そういうことか、と慌てて頭に被るシーツを探して鞄をあさる。見つからないので恐縮しながらハンカチを頭に載せる。信号が青になる前に一斉に白いシーツの群れの人が歩き出す。後ろから押し出されて私も車道に送り出される。スピードを出して横断歩道に突っ込んでくるトラックの運転席を見ると運転手は白いシーツを被っている。気がつくと一人で横断歩道の手前に立っている。信号が青になったが、渡らずに引き返す。
Oblique Strategies Copyright(c). 1975, 1978, and 1979 Brian Eno/Peter Schmidt
電車を降りて会社に向かって歩いている時にRCサクセションのトランジスタラジオを聴いていたら涙が出てきた。何故泣くのか考え始めると会社に行かずどこか遠い誰も知らない土地へ行ってしまなければいけなくなるような気がしたのでこの涙は無かったことという扱いにすることにした。小さい商店に飛び込む。反射的に口から出る悪意の無いことだけを意味する言葉だけを口にしながらペットボトルのお茶とマイルドセブンライトを買う。おはようっすいやあ暑いですねかないませんねほらもうこんなに汗が朝っぱらからねえ毎日大変だわさ410円ねあ10円ありますからはいどうもじゃあ。店から出るとアスファルトから出てくる陽炎に足元を翳めながら何も考えない考えないと繰り返し呟きながら会社への道を急ぐ。裏声のロッカーはまだ歌い続けている。君の知らないメロディー。横断歩道の向こうにはビルが。見上げると雲ひとつない青空を背に立っているビル。聴いたことのないヒット曲。ビルの窓ガラスには青空とボウリング場の看板のピンだけが映っている。聴いたことなんかない。
Oblique Strategies Copyright(c). 1975, 1978, and 1979 Brian Eno/Peter Schmidt
特に書きたいこともないので、しばらく「間接的な計画(Oblique Strategies)」で遊んでみる。
駅の構内に入ると日差しが遮られているにもかかわらず不思議なくらい涼しさを感じない。朝の出勤のために殺到する人々は東西に伸びている線路の南側と北側から集まってくる。線路の両側に幹線道路が走っているため、南北の線対称の位置にある横断歩道の信号は同時に青となり、結果として一度せき止められた人の流れは一斉に南北から殺到する。改札に至る広い石の階段を有効に使用できれば良いのだが、駅の設計者は上り電車に乗車する乗客がスムーズに流れるように設計しており、階段の右に設置されているエスカレーターから右側の入場用改札右側の上り方面ホームに流れ込む以外の流れを作り出すには障害物競走に参加する覚悟が必要となる。あいにくこの駅の近くに工場があるため(それも右側に)改札の左側から出てきた流れが改札の手前を横切って右側に流れてゆく。その流れを突っ切ってさらに右側に流れる前後の人の流れに乗らず下り電車に乗るためには陸上選手の素養が必要とされる。階段から大量に流れ出す人に流れを横切ってエスカレーターに乗る。関東では右側は急ぐ人のためにあけることになっているが、朝の出勤時に急いでいない人はいないことから考えると両側を空けるべきであろう。するとエスカレーターにベルトに乗ることが推奨される。エスカレーターが終了し改札に至るまでの短い時間に後ろポケットから定期券を取り出す。磁気式定期券ならば更に定期入から定期を取り出す。スイカであればそのまま定期入を保持する。定期入もしくは定期券を右手に掲げたスタイルで左肩に掛けた鞄がずり落ちないように注意しながら更に鞄が他人にぶつからないように配慮しつつ、前を横切る工場に向かう人の流れの渦に巻き込まれないようにステップを踏む。磁気式定期券ならばスイと改札に吸い込まれ改札機の中の高速に回転するゴムローラーに導かれつつ磁気ヘッドにて読み取られ人の歩む速さをはるかに超えて改札機の出口に出現する。スイカの場合は所定の場所に押し付ける。押し付ける場合に1秒以上押し付けない場合は改札が警告音を発し、扉が閉まる。後ろに続いていた人の流れが止まりこの間抜けめ、ぐずでのろまめ、駄馬が、驢馬がと罵声を浴びせられる。切符を使用する場合は階段を上って改札の前を一旦横断し切符販売機にたどり着いた後、更に改札の前を横切る必要がある。無事に改札を通過するとそこにはホームへと続く階段が待っている。会社に至る旅はまだ始まったばかりである。
Oblique Strategies Copyright(c). 1975, 1978, and 1979 Brian Eno/Peter Schmidt
そして扉が閉ざされた 岡嶋二人 講談社文庫
核シェルターの中に閉じ込められた男女四人。数ヶ月前に死んだ友人を殺したのはその中の誰か。閉鎖状況を舞台にした本格ミステリの傑作ということで読んでみる。このトリックだと、もっと物語的に深く出来そうな気がしますが、あえてトリックを生かす為だけに物語が捧げられている。どうしてこんなことになってしまったか、というトリックは素晴らしいのに、なんだかもったいないような気がします。
新・土曜ワイド殺人事件 〜京都藁人形殺人事件〜 とり・みき×ゆうきまさみ ドラゴンコミックス
ゆうきまさみは日常を描く漫画家で、とり・みきは非日常を描く漫画家だということが如実にわかる合作でした。
トニーたけざきのガンダム漫画 トニーたけざき 角川エースコミックス
初代ガンダムのTV版と映画版と小説版を読んでいないと良く理解できない漫画。しかし模写がうまいなあ。
最悪だぜ! 夜中に更新する暇もねぇ。ついRCサクセションのベスト版など買ってしまって、止まらなくなって手持ちのCDありったけ聴きなおしてたら頭が清志郎になっちまった。ああ、こんな気持ちうまく書けたことがない。うーぅ仕事をサボってくだらない雑文を書いてたのさ。君の知らないコピペ。聞いたことのないアメリカンジョーク。手垢のついた駄洒落で、破綻した話を書くのさ。意味もなくオチをつけるぜ。へへい! ベイベー逃げるんだ。雑文はもう卒業だと、あいつはサイトを畳むのさ。お似合いだぜ。いい閉鎖文だな。駄目人間だったのに、なんだかまともになったな。駄洒落オチが寒すぎたんだろぅ。おお、雲の切れ間に輝くオールスター戦。暗闇から聞こえてくる選挙速報。こんな夜に駄洒落を書けないなんて。こんな夜に誤解釈できないなんて。
三つ編みヒロイン KAYO ポリシックスのキーボードの中の人のソロ(ミニ)アルバム。なんとタイトル曲の「三つ編みヒロイン」は松本隆作詞、細野晴臣作曲。大御所の曲に緊張しているのかボーカルに力が入りすぎなのが残念。二曲目ははっぴいえんどの名曲「夏なんです」。女性視点となった夏の風景が新鮮。三曲目「僕たちの時間」KAYO自身の作詞作曲。佳作。四曲目「ミドリポップで」ポリシックスのギターの中の人作詞作曲。元気がいいポップス。ラストが「さらばシベリア鉄道」松本隆−大滝詠一コンビの名曲。なんかポリシックスのHAYASIHI氏の願望充足アルバムのような気がしてなりません。いや内容的には悪くはないんですけどね。惜しむらくは、どうしてもここはKAYOでなければいけないという請求力に欠けるような気がしてならないのです。いや、ほんとに悪くはないんですけど。
百器徒然袋 風 京極夏彦 面白いか詰まらないかと言われると面白いのではあるが、キャラ萌えへの傾向が甚だしく、どうも感心できない。
ご指摘の通り、ヒロシです。です。というふうに、書いてしまうと,モーニング娘。のように“どこで、文の区切れ”。かよ:く、わから.なく、「なりま」すね(.)でもヒロシです。より√も早い【母さん】という<先例>もある凾オ、´俺カネゴン´と言え♪なく×もない×かも?ね
丹下左膳といえば、この前録画しておいた中村獅童の丹下左膳を早送りでチャンバラの場面だけ見てみました。隻手の立ち回りが普通の時代劇の殺陣と違い、体より先に刀をやたら振り回したり、と思えば身体ごと突っ込んで行ったりする殺陣で面白かったのですが、敵方が皆が皆、左膳の見えるほうへ見えるほうへ回り込んでやってあげているのが不自然のような気がしました。切られて見えない目の方へ回り込むべきであろうに。文庫で出ていることだし、原作読んでみようかな。あ、青空文庫にもあるぞ。しかし、豊川悦司で映画化ですか。眠狂四郎を先にやったほうがよくないか。
タバコはマイルドセブンライトを一日一箱。タバコを吸うのは緩慢な自殺。だから、体に悪いからやめなさいという忠告には苦笑しか浮かばない。SIESTAというタバコが神奈川県限定ということで売っていた。レモングラスの香りがするタバコという宣伝文句であった。確かに火をつけてみるとレモングラスっぽい香りがする。ただしタバコの香りも味もしない。封を開けて三週間放置したタバコに香料を振りかけた感じ。
Alphabet Hというタバコが売っていたので買ってみる。真っ赤なパッケージに大きなHという文字がデザインされている。箱の開け方も内箱をスライドさせるところが目新しい。肝心のタバコはこれまた味も香りも薄い。新聞紙を丸めて吸った方がましであるように思われる。
ハリーポッターの新作のタイトルは"Harry Potter and the Half Blood Prince"
ハリーポッターと半ケツ王子……ですか。
判決を下す……。
水村美苗の「私小説」(新潮文庫)を読み始める。ウエブにテキストを上げている身でこういうことを言うのはなんであるが、横書きの小説というものに強烈な違和感があって我ながらびっくり。舞台がアメリカであるにもかかわらず私小説スタイルであるという文化的な齟齬感を増幅させる装置として有効に作用しているように思われるなどともっともらしいことを言ってみる。しかし、横書きにこれほど違和感を感じるというのは何なんだろうなあ。私の年齢的なものなのかなあ。若い頃はそうでもなかったような気がするなあ。気のせいかなあ。
ということで、横書きつながりで石黒達昌の「新化」(ハルキ文庫)を読んでみる。芥川賞候補、野間文芸新人賞候補、泉鏡花賞候補の「平成3年5月2日…」(正式には無題)とその続編の「新化」をまとめた文庫。文庫収載にあたって縦書きに変更されているのが残念。内容はレポート形式のハネネズミ絶滅の報告。SFとして読むとアイディア密度が低いし、アイディア自体も生かされていないように思われるが、文芸誌に横書きで発表されたことを考えると、その存在自体が強烈な違和感を発生していたと推測される。残念なことにその違和感はこの作品で完結しており、外への広がりが感じられない。それはそれで一つの宇宙を形成しているという意味ではいいのですが、全く残念。
半茶です。
「あなた、シュレックにそっくりね。」
と家内から言われました。
半茶です。
徳田さんとこでお子様が御生誕なされてめでたい限りであるが、これを雑文にという声もちらほらと一件だけ(冗談で)聞こえてきましたが、洒落にならないことになるような気がいたしますので自粛させていただきます。なにしろ誕生で雑文というと最初に頭に浮かんだネタが件(くだん)だったりしますから。
半茶です。
なにやら「姑獲鳥の夏(うぶめのなつ)」が映画化だそうで、実相寺昭雄監督ということで期待。ヒロインに原田知世というのは、デビュー以来のファンである私でもちょっと違うのではないかなどと思わざるを得ないのが悲しい。でもメイントリックがアレだから映画の場合、トリックが変更されるかも。でもアレを変えちゃうと全然違う話に、などと考えているうちに、雑文書きで配役が可能だななどと内輪ウケな事を思いついたのですが、どうもこれも差しさわりがありすぎるような気がしてきましたので没。
半茶です。
万能ねぎの「ぶさいく」がいいお話だなあ。すごくよかったです。一つ前の「急行電車の行方」みたいなのも好きだけど。
半茶です。
なんか全然眠れません。下条さんの「遅剣」が凄い。残念なことに私は時代小説に疎いので、「遅剣」を正当に評価することが出来ないのが残念ですが、とにかく「遅剣」というアイディアが凄い。そしてその「遅剣」というものがこのお話の中で占める位置のバランスが絶妙。「遅剣」が虚構であることの象徴なのか教訓の材料であるのか判然としないというのがいい。
半茶です。
なんか全然眠れません。
半茶です。
半茶です。
なんかテキスト書く気になれないので混乱した水の流れの上に架かる橋を想像してみたりする。
さちとねこさま2 唐沢なをき エンターブレインコミック どうも前巻からピンとこないのであるがこれはいったいどうしたことであろう。ねこさまのキャラがいまひとつ立っていないところが物足りないのであろうか。ううむ。ううむ。
ネガティブハッピー・チェンソーエッヂ 滝本竜彦 角川文庫 雨の中メリーゴーラウンドが回らない「ライ麦畑でつかまえて」。何故回らないかというと、回ることは一つの救いであり同時に解決であるから。作者は本能的にそれを回避し、あからさまに薄っぺらなベニヤ板にペンキで描かれた様な解決をあえて目の前に置く。そして作者も登場人物も読者も正しい解決が存在しないことを知っているが故に、この解決とその裏にあるものについて知らないふりをする。その意味では作者と登場人物と読者は共犯者である。
なんかテキスト書く気になれないので水の上の煙を想像してみたりする。
切符を買ってとりあえずホームに入ってきたWISHという名前の列車に乗ってみる。自由席の窓際を確保できたのでカバンの中に放り込んだまま放置されていた文庫本を適当に選んで読みはじめる。わたしを見かけませんでしたか? コーリィ・フォード早川epi文庫 読者を笑わせることを目的とした短文。雑文ということでええやん。訳者あとがきで盛大なネタばらしがあった。浅倉久志が外出しようとすると扉の前を百匹の黒猫が集団で横切ってなんかいやな感じをうけますようにと呪いをかける。三半規管が悲鳴をあげ始めたので眠る。
目を覚ますと窓から見えるアスファルトが黒く光っている。どうやら空から水が落ちてきているようだ。私が座っている椅子は何故か高速で移動しているらしく、周りの景色がものすごい勢いで後ろに下がっていく。地球が誕生してから何億回も何兆回も空から水は降っては止み降っては止み、その度に土は削られ、岩は溶かされ、石は砕かれ、そして何十億回も何百兆回も水は落ち、地表の出っ張りは削られ、へこみは埋められ地球は完全になめらかな球体と化しているはずであるのに、あの窓から見える巨大な土の塊は何であろう。フルヘッヘンドしている土の巨大な塊は、さすれば新たに空中より出現したものに違いはなく、人とその文明にそのような巨大な土塊を無数に出現させる力がないことから、そは異星の知的生命体の仕業に他ならないであろう。
私が座っている椅子もろとも高速で移動している細長い金属の箱は、その異星の知的生命体が作成した土の巨大な塊で円形に囲まれた都市へと滑り込んでいく。異星の知的生命体が意図的に囲んだ都市なれば、その住民は異星人であるが必定。ニュートンの慣性の法則を無視した未知なる力により、座席の運動は停止しその異星人が住む都市へ降りていく私。道行く人人は私の理解できない音声を発しコミュニケーションをとっているようだ。
意味もなく指定された場所で意味もなく指定された作業を終え、異星人に拉致されることを恐れ、すぐにWISHという名の箱に飛び乗る。座席に座ってから、H.A.氏に連絡とればよかったかなと思う間もなく意識を失う。
なんかテキスト書く気になれないので天国が無いことを想像してみたりする。
日本文学盛衰史 高橋源一郎 講談社文庫 風呂に入る前にちょっと読んでみようとしたら止まらなくなって結局朝の五時。明治時代の文豪がどのように文学の可能性を拡げようとしていたか。そしてどのようにささいな成果を得て、無残な失敗を遂げたかについて。冒頭から最後まで死の哀しみだか感傷だかがつきまとって離れない。啄木がブルセラショップの店長をしていたり花袋がAV監督をやったりと、あいかわらずの源一郎節。当然それには必然性があるわけで。
高橋源一郎の書くものは大好きで、でもあまり人に紹介したくないという気持ちもある。何故なんだろう。彼の書くものには感傷に溢れていて、私の心の弱い部分を刺激するからだろうか。
日本文学盛衰史は哀しみに溢れていて、それは文学が何事か成し得るはずという楽観主義に基づいているからで、結局のところ成し遂げられない(かった)という現実に直面するから。そういう意味では、何事も成し遂げられないという予感に満ち溢れていたゴースト・バスターズが、結局はささやかな幸福感と共に巻を閉じるという点で本書と表裏をなしているとも言える。
ゴースト・バスターズについてはもっと語りたい気持ちもあるのだが、例えば大好きな場面…「少年が追跡中に撃たれて死ぬところの描写」とか「芭蕉が炎上するトラックに突っ込む場面で描かれた天才の悲しみ」とか。あ、なんだか人が死ぬところばかりだ。
好きなものに(無意識のうちに)共通点があるのはすごく不思議。何故人が死んでしまうお話ばかりなのだろう。そういえば、高校の時に好きなマンガを挙げていったら何故か同性愛者が出てくるお話ばかりだったことに気がついて鬱になったことがあった。あれも不思議だったなあ。(念の為に申し上げますが、私は同性には性的な興味はないし、すぐに死ぬ予定もありません。)
なんかテキスト書く気になれないので風に吹かれてみたりする。
萌えるシチュエーション。
主人公と敵対している悪がいて、長年に渡って対立している状況。そこへ新たに強力な力を持った第三勢力が出現し、例えば人類滅亡などを行おうとする。どうやらそれを行うだけの実力がありそうである。主人公(達)は第三勢力の野望を防がねばならないと決意するが、その力があまりにも強くてどう作戦を練ろうか悩んでいるところに、以前から敵対していた悪からビジネス文書が舞い込む。
拝啓
時下ますますご清祥の段、お慶び申し上げます。平素は格別のご高配を賜り、厚くお礼申し上げます。早速ではございますが、昨今帝都に於きましては帝都破壞団と名乗る無法者の集団が跳梁跋扈していることは針井様におかれましてもお聞き及びのところと存じ上げます。
かねてより弊社におきましては帝都の支配をもくろみ国民を支配下におくべく鋭意努力しているところではございますが、万が一にも帝都破壞団の目的とする帝都の壊滅および国民の抹殺が達成されますと、弊社の目的でありますところの帝都の支配に支障を生じるやの懸念が払拭されぬところでございます。通常ならば弊社は傍観するところでございますが、先日のユリオン劇場にて示されました帝都破壞団の破壊行為の結果の甚大さを鑑み、これは放置できぬとの結論に至った次第であります。
つきましては、針井様におかれましては弊社との間に長期間に渡りまして敵対関係を築いたという経緯はございますが、上記の事情を鑑み、一時的に敵対関係を凍結いたしまして共通の敵でありますところ帝都破壞団の目的の阻止に関しまして共闘してはいかがかとご提案させていただきます。別紙に記載しております条件が貴意にかないましたら、なにとぞ弊社と新規お取り引き賜わりますよう、よろしくご高配のほどお願い申しあげます。
なお、ご参考までにこの共闘は永続的なものではなく、帝都破壞団の破壊行為が阻止されました暁には、弊社は帝都の支配に向けた活動を再開する所存にございます。
ご多忙中恐れ入りますが、宜しくご検討の上何卒ご高配を賜りますようお願い申し上げます。なお、詳しくはお電話でお問い合わせ下さい。
書中にてまずはお願い申し上げます。
末筆ながらご一同様にくれぐれもよろしく申し上げてください。
敬具
主人公(達)は、割り切れないものを感じながらこの提案を受諾する。しかし行動を共にすることは主義に反するので、別々に第三勢力に立ち向かう。主人公が絶体絶命の危機に陥ったときに、旧来の敵がひそかに助ける。主人公はそれに気がつかない。主人公は知恵と勇気で第三勢力を封じ込め、降参することを勧告する。第三勢力の首領が最後の反撃を行おうとする。主人公はその攻撃に備えて構えるが何も起こらない。第三勢力の最後の秘密基地にもぐりこむと、首領は無残な死体となっている。主人公達が反撃している隙に旧敵が第三勢力の組織に潜入し、首領を惨殺したらしい。旧敵は目的を達すると挨拶もなしにその姿を消した。
というシチュエーションが好きでたまらないのですが、
千里眼を持つ男/マイケル・クーランド/講談社文庫はホームズ永遠の宿敵モリアーティが大活躍!ということでてっきりそういうお話かと思って読んでみたのですが、どうやらそうでもないみたいで(勝手に)がっかり。ホームズとモリアーティが緊張感も無しに平気で同じ場所に居るんだもの。無い物ねだりと分かっていてもなあ。いや、もちろん悪いのは私なのですが。
戸田誠司の「There She Goes」を探して夜の街を彷徨い歩いたのだが見つからない。[amazoneで購入]。サイトに置いてあるmp3を聴いてみるとニカ風味のテクノポップでなかなかいい感じ。
RCサクセションのスローバラードは私にとって特別な曲で、というのは「駐車場で」というなんということもない言葉でも人を泣かせることが出来るということを教えてくれた曲だから、というのは置いといて戸田氏のスローバラードの解釈もいいなあ。まあ気に入ったら買ってみてよ。
近鉄バファローズをオリックスに売却する話が進んでいるらしい。このまま進むとパリーグが一球団減ることになるではないか。そうなると、以前から燻っていた1リーグ制への移行へ弾みがついたりするのではないかと心配である。このまま球団の淘汰がどんどん進むと、究極的にはプロ野球1リーグどころか、プロ野球1チーム制となってしまわないかと心配である。試合しなくても名実共にプロ野球最強チームと名乗ることが出来るという利点はあるが。
お言葉ですが…(5) キライなことば勢揃い 高島俊男 文春文庫 以前から何故日本のことをジャパンと言うのか不思議でした。なるほど本日(ホンジツ)と同様に、日をジツと読んだのか。これだけでも定価分の価値があるというものである。
蹴りたい田中 田中啓文 帯に大きく「茶川賞受賞作」と書いてある。茶川賞受賞直後に失踪した田中啓文の遺稿集という体(てい)で編纂された短編集。あいかわらず駄洒落SFで内容は鬼畜。他人の駄洒落を聞くと不愉快になる私が思わず笑ってしまう。万人にはお勧めできないが、くだらないことが好きなひとならどうぞ。
簡単に断れない 土屋賢二 新刊なのに置いてない本屋が多くて探し回りました。売れてないのかな。内容は相変わらず。
ポリシックスがヒカシューのパイク(ライブバージョン)をカバーしているので、ついでにカバー元を聴き返したりする。結局、パイクって何者なんだろうなあ。まさかナム・ジュン・パイクのことではあるまいな。
ポリシックスがプラスチックスのgood!をカバーしているので、ついでにカバー元を聴き返す。超いいかげんな歌詞(会話教室の例文そのまま)と、チカの爆発したボーカルがあいかわらず格好いい。
団長の一万を踏みました。
コニー・ウィリスの「犬は勘定に入れません」の評判は良いようですが、あるサイトで「ドゥームズデイ・ブック」と「航路」を読んでから読むこと、と書いてあってめげる。どちらも上下巻の大作ではないか。最近本屋でも見かけないし、本屋で探す所から始めないといけないではないか。
朝日新聞で「犬は勘定に入れません」の書評を見かける。「ボートの三人男」へ、どういう風にオマージュが捧げられているか書いてあるではないか。そういうものは読んだ人がニヤリとすればいいところであって、読者の密かな楽しみを奪って平然としているこの態度よ。書評を書いた栗田亘という人は、調べてみると天声人語の中の人らしい。なるほど文章に愛情を抱かない人が書きそうなことである。まあこういうことを書いてしまう人には、いまさら何を言っても無駄だろう。犬に噛まれたと思って諦めるしかない。犬は勘定に入れません。
死者の体温 大石圭 角川ホラー文庫 元陸上の日本代表選手で三十歳の安田はエリートサラリーマン。ハンサムで温厚で連続殺人犯。その人にスペアがない、かけがえがない人だから殺す。と、日常の行為のように反復される殺人の情景を描く。この話、恐いか恐くないかと言われると、私は恐くなかったが、主人公のありようが面白かった。「殺人に至らず生きている安田」というテーマの作品も読んでみたい。そういうのはもうあるのかなぁ。
ソフトマシーン バロウズ 河出文庫 カットアップのところがとても面白い。ということは詩として読んでいるのかな。
下妻物語 嶽本野ばら 小学館文庫 どうやら映画が評判らしいからということで読み始める。あまりにも小説的でない語り口で驚く。男性が、一見女性的なものを目指して書いているように感じられる。なにしろ予備知識が全くないのでなんともいえないのだが。計算でやっているのか天然なのか。
テキストの削除の理由が、私の一昨日の日記のせいならば大変申し訳ない。あれは自分に向けて書いたもので、人様の文章がどうのこうのというつもりではなかったのですが、そのように受け止められたというでしたら私が悪いのです。ごめんなさい。
polisix / National P
今ごろ聴いているわけですが、ギターテクノパンクバンドの本領発揮というか他人には理解できないはじけっぷりが気持ちいいです。なにしろコーラスが「ピッピキピッピーピー!」歌詞もほとんど意味がわかりません。よくわかりませんが、なぜか私は私には理解できないものが好きなようです。「カジャカジャグー!」とにかく意味がわかりません。
ダンセイニの「世界の涯の物語」を読んでいる途中。最初の方は我慢という情報を得て、覚悟して読み始めたのですが、最初からなんというかすごく面白い。神話的世界の描写である短いお話がたまらなく魅力的で、そこは我々の世界と異なる法則なのであるが、その理解できなさが面白い。
やっぱり、意味なんて只の飾りですよ。
「恐怖はワニの脳からやってくる」ということで何か書けないかと考えているのですが一向にまとまらない内にもう6月。説明するのも面倒くさいので、よく分からない人はワニの脳とかウマの脳で検索してください。
ここから話は変わるのですが、恐怖の感情と同様に快・不快の感情もワニの脳(脳幹)からやってくるのです。ですから理性的な思考をつかさどる新皮質(人の脳)で不快な事項についていくら説明をつけようとしてもうまくいきません。理屈があって不快になるのではなく、不快だからあとで理由を探し出すのです。ですからそういう類の話については、他者は共感するか否定するか二者択一になります。不快に共感すればそれは不快でありますし、不快を否定すれば、それは共感の否定ですから不快となります。ここから導き出せるのは不快なもの(=愛情を抱けないもの)に対する単純な言及は不快しか招かないということになります。単純な不快の表明は、ワニが獲物を咥えて水中でぐるぐると回っているのと大差ありません。口にせざるを得ないのでしたら、できれば建設的な提言を、それも無理ならばなにか芸を見せよ。と自分に言い聞かせる毎日です。ワニがグルグル。
なんか頭の中を山羊娘の話がぐるぐる回っていて他の事を書けなくなったので、梗概のみ書いておく。書いてみるとやっぱり胸糞が悪い話なので隠してみる。
ほんでもって実は山羊娘この国の王女で、お城に戻ることになる。樵はその過程で衛兵に惨殺される。山羊娘はその素朴な純真さでお城の人々の心を癒してゆく。山羊娘の世話をしていた女官の死体が発見される。次に女王が殺される。犯人は山羊娘であるのだが、宮廷内の複雑な利害関係に紛れて山羊娘の存在を利用する人の思惑と、やんごとない人々特有のエキセントリックな振る舞いのため、真相はなかなか明らかとならない。ついに山羊娘が死体で発見される。死体の隣に立ちすくんでいた王子は、私が殺したのだと呟く。
山羊娘は森で暮らしていたころ山羊が母親、樵が父親として育っていた。もちろん樵は山羊乳を取るためと食肉用に山羊を飼育していた。乳が出なくなった山羊を食用として屠殺する前に、樵は山羊と性交していた。それを知っていた山羊娘はそういうものであると思い込む。すなわち、性交後がなされた後に片方は殺されるべきである。お城に戻った山羊娘は、女官が逢引していたのを目撃し、そして性交が行われたのにもかかわらず女官が殺されないのを愛情が足りない不憫なことであると悲しみ、相手に成り代わり女官を殺害した。女王に関しても同様であった。山羊娘と王子は相思相愛であったが、とうとう一つになる時がきた。そのあと、山羊娘は自分を殺すことを要求するが拒まれた為、愛を完成させる為にその場で自死してしまう。なぜならば山羊娘にとって男女の愛というものは「そういうものであった」からだ。
書いてから気がついたが、京極夏彦のパクリのような気がしてきました。
続きを書いてみたのですが、どうにもこうにもエログロでナンセンスな話になってしまいましたので没。ということでサイト名も半茶に戻しました。
とりあえず、ステファニー姉妹の肖像
昔々、ある深い森の更に深い茂みの中に貧しい樵が住んでいました。ある日仕事を終えた樵が家路を急いでいると大きな木の根本に籠を見つけました。その籠の中には可愛い赤ん坊がすやすやと眠っていました。樵はこれは天の恵みだ、早速今晩の夕飯にしよう、とその赤ん坊を連れて帰りました。
その赤ん坊の可愛さにほだされて、樵は赤ん坊を自分の子供として育てることにしました。山羊の乳を飲んですくすくと育った赤ん坊は、山羊臭い女の子に育ちました。
ある日、山羊娘が森を散歩していると、そこに……