一覧  トップ


129. ここに唐揚げがあるとしよう 20130401


 ここに唐揚げがあると仮定しよう。

 そう言われた場合、あなたの頭の中に浮かぶ唐揚げは、あなたが今まで食べてきた唐揚げに関する経験を踏まえた上の最大公約数となる唐揚げである。したがって現実に目の前にある唐揚げとあなたの頭の中にある唐揚げは完全には一致せず、微妙に異なるものとなる。この場合頭の中に現れたものを唐揚げのイデアとする。

 唐揚げが唐揚げとして認識されるためには、唐揚げの最大公約数を満たすだけでは不十分で、これは唐揚げではないとする条件に触れないことが肝要である。すなわち、唐揚げと他の物を区別する境界線を明確に示されることが必要である。

 たとえば形状は唐揚げのように見えるとしても、虹色に輝きまだ生きて羽ばたこうとするものは唐揚げとは呼びにくい。また、外側は唐揚げのように見えて静置されているものであっても中が中空であったり、イチゴ大福で満たされていては唐揚げとは呼びにくい。

 仮に、鶏肉に粉をまぶして油で揚げたものを唐揚げとして定義しよう。この定義に従ったとして、いままで鳥を見たことがない人が想像するものは唐揚げといえるのであろうか。ブロイラーを日常的に食している地方と、鶏が存在しない地方における鳥の唐揚げは食感からして同一であるとはいえない。この場合、各人の頭の中にある唐揚げのイデアの間に横たわる差異はあまりにも大きく、したがって唐揚げの範囲としては上述の定義は不適当であることが示された。

 こんなもの本当の唐揚げとは言えませんよ。一週間待ってください。私が本当の唐揚げを食べさせてあげます。その本当の唐揚げは紙面に投影された唐揚げイデアに過ぎず、ビックコミック スピリッツは食すことができないので唐揚げとは言えない。ましては本物の唐揚げではない。いや無理すればスピリッツを食べることはできるが、再生紙にインク味の物を唐揚げとみなす人は極めて少数派であることは予想可能である。

 このように唐揚げを厳密に定義すること(他の事象と区別すること)は、その境界線が各個人により大きく異なることが問題となる。唐揚げの立場から観測すると、唐揚げ自身の範囲を定める境界線は固定されたものではなく、唐揚げ自身が、ぼんやりとした時間とともに揺れ動く線のように見えることになる。このように唐揚げ境界線の量子化に伴い、唐揚げのアイデンティティはその唐揚げとして存在を開始した以降、拡大を続けることになる。なぜならばアイデンティティの拡大を行わない唐揚げは、その境界線の揺らぎにより境界線は急速に縮小し、シュヴァルツシルト半径を超えた場合に、時空連続体から唐揚げ存在が消失してしまうためである。我々にとって幸運なことに、唐揚げアイデンティティ境界線の縮小は質量普遍の法則の範囲外であるためブラックホールは発生しない。このように唐揚げが宇宙を破壊しない幸運に我々は感謝すべきであろう

 このように唐揚げとその他の物との境界線はあやふやなものであり、ここまでは唐揚げであるという境界線を万人に向かって明らかに示すことは難しい。この結論を逆の唐揚げから観測すると、唐揚げのアイデンティティ自身の揺らぎにより唐揚げは急速に拡大し(質量を伴わないためにその速度は光速を超える)、宇宙全体が唐揚げとなる瞬間は可能性として存在する。唐揚げが皿に載るか、消失するか、宇宙全体と一体化するか、それはシュレディンガーの猫の実験と同じく、唐揚げが観測された時点で固定される。したがって、我々の目の前に唐揚げが”まだ”存在しない時点においては、これは明らかに唐揚げではないと思い込んでいるものについて(それは宇宙全体までも含む)、それが唐揚げではないということを示すことは困難であるということが結論づけられる。

あなたは、いつ頃から自分が唐揚げではないと思い込んでいましたか?


     一覧  トップ