1.別れは誰にでも訪れる
 こう見えても?、私は結構年です。中年と呼ばれる年齢になりました。幸い、両親とも健在で、いつまでも娘気分が抜けません。

 この年になると、別れというものを意識しないでは生きていけないものなのでしょうか。子供だった頃のことがやけに遠く感じられ、無性に懐かしい今日この頃です。

 思い出されるのはお祖父ちゃん、お祖母ちゃんのことです。今はないお祖父ちゃんの家で遊んだこと、あの懐かしい家のすべてが鮮明に思い出されます。記憶の中にある家はあの当時のままで、いつまでも色あせず残っているのに、現実の世界では、あの家も庭も物置も跡形もなく、お祖父ちゃんもお祖母ちゃんも大好きだった叔母さんもいないなんて、とても不思議な気すらします。

 呆けた高齢者が我が家を求めて彷徨う気持ちが、なんとなくわかったような気がします。それは悲しく狂おしい彷徨であって、同時に、それらの人たちには幸せだった時代と家があったという証なのかもしれません。

 子供の頃、お祖父ちゃんやお祖母ちゃんが死んでしまうことなんて、意識したことはなかったと思います。いてもいなくても同じくらいの存在だった時期もあったかもしれません。

 今、その私が一番恐れているのは、愛するノアローとの別れです。その時がとても怖いです。時々、残された時間が残酷に切り刻まれていくような、何とも言えない悲しみに苛まれることがあります。愛別離苦という言葉がありますよね。幸せに生きるほど、苦しみも大きいということなのでしょうか。

 自分自身も子供時代を経て、現在の中年時代があるわけですが、本当に人の人生というものは移ろう四季のようです。今はどの季節にあるのかな?と思うと胸が潰れてしまいそうです。

 死は誰にでも訪れる。何故なら生きているのだから。そのことを忘れてはいけないと思います。死はいつも生の隣に控えているものだということを。

 70歳を越えて、熱心にお墓の世話をする夫の叔母の姿を見て、色々と感じることが多くなりました。


 2007年4月3日

3月、叔母と一緒にお墓の掃除に行きました。

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