犬を飼うこと


思いついたので書きます。

 犬を家に迎える前に、一番して欲しいことは「熟考」です。よくよく考えてから、犬を飼って欲しいです。

 犬を飼うためには、どうしても必要な条件があります。これは、私がノアローと共に暮らし始めて、身をもって思い知らされていることでもあります。

 あなたには、

 犬を一生面倒見るだけのお金(仕事)と住環境がありますか?

 何らかの不運な事情で飼い主家族が没落した時、犬連れで借家住まいは難しいです。その時、最悪の場合、
犬はやむを得ぬ事情で保健所送り=殺処分になります。

 犬が病気になったとき、怪我をしたとき、獣医さんへ連れて行く車や時間、そしてお金がありますか?

 犬の治療費は思いの外高く(人間でも高度医療は高いです)、金額を聞いて治療を躊躇する飼い主は少なくありません。治療を受けない=
やむを得ぬ事情で犬を見殺し、ですよね。犬は痛がったり、苦しがったりを言葉で訴えませんから、見て見ぬふりすることはそれ程負担にならないかもしれません・・・。

 場合によっては、犬を買った値段よりも治療費の方が遙かに高くなるかもしれません。十数年の寿命しかない生き物に、多額の費用を掛けることは間尺に合わないかもしれません。

 そうであれば、最初から、犬を飼うことは間尺に合わない行動なのです。

 離婚や死別などで家族構成が変わったとき、最後まで犬の面倒をみられる環境がありますか?

 人間の子供と違い、面倒をみる人間がいない犬は、最悪の場合、
やむを得ぬ事情で保健所送り=殺処分となります。

 一人暮らしや共働きで犬を飼われる方、犬が病気になった時、会社を休んで看病できますか?寝たきり老犬の介護が出来ますか?犬はパピーから成犬になり、そして老いていきます。

 
犬は飼い主がいないとこの世(この社会)で成り立たない存在です。この世で成り立たない=「死 / 殺処分 / 野垂れ死に」を意味します。

 余分な犬を増やさない。一度飼った犬は、最後まで面倒を見る。独立して生きられない生き物を自分の支配下に置く以上、その一生に責任を持って欲しいということです。

 犬を飼うということは、ご飯の世話、ウンチ・おしっこの世話、お散歩やグルーミングの世話、掃除、遊び相手、etc, etc... 
数限りない地味な世話の連続に他なりません。どっちが主人でどっちが家臣か、わからなくなるくらいです。

 そこのところを、よくよく考えて欲しいです。

 勿論、皆、人生を生きているのですから、予測不可能な事態に遭遇するでしょう。その時、一番無力で小さい存在が犬であることを忘れないで欲しいです。犬の生き死にを握っているのは、他ならぬ、「あなた」なのですから。

 
 
2007年5月5日

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