野田の津久舞は、下町にある須賀神社の祭礼に奉納される民俗芸能で、舞手ジュウジロウが龍に見立てた津久柱(14.5m)に登り、軽業的な舞を見せ奉納し雨乞いと五穀豊穣を祈願します。
舞手は、「ジュウジロウ」と呼ばれ、雨蛙の面をつけます。
祭礼日は、以前七月十五日から十七日であったが、現在はそれに近い金曜日から日曜日となり、津久舞は中日の土曜日に行われています。過去には祭礼は1週間にもおよんだようです
須賀神社祭礼は野田市野田の地番を持つ地域の
上町(かみちょう)・仲町(なかちょう)・下町(しもちょう)三つの町内(三ヶ町)合同の祭礼として行われます。
三ヶ町夏祭りでは、それぞれ輪番制で「神輿年番(みこしねんばん)」「津久年番(つくねんばん)」「獅子年番(ししねんばん)」を務めます。津久舞の奉納は「津久年番」を中心に行われます。
津久舞の起源は定かではないが、愛宕神社年歴に「津久舞之始メハ享和二年夏」と記載れた文章が残されています。
このことから享和二年を津久舞の始めとしています。
その年は大変な旱魃(かんばつ)にて農民が困ったと同年歴には書かれ、その時に山崎村と野田町にて雨乞いが行われ降雨祈願として津久舞が行われたようです。その時登った人の名が「ジュウジロウ」ということで現在も野田の津久舞では舞手をジュウジロウと呼んでいます。
つく柱は、14.5mの杉の丸柱の先端部に醤油樽をかぶせ、柱の先端部より90センチほど下に横柱を十文字につけた形をしています。柱には薦(こも)を巻き、その上をサラシで覆い、白布で縛る。また、横木の先端には白布を下げ、さらにその一方には轡【くつわ】が垂らされる。
柱は龍に見立てられており、雨蛙の面をつけたジュウジロウが登り、柱を上下するのは、龍が蛙を呑み込もうとする様を表しているとされ、雨をつかさどる龍をからかい怒らせ雨を降らす舞を須賀神社に奉納し雨乞いとしています。
地元では龍をからかい怒らせることを雨乞いの意味をもつと考えられている。
津久舞当日の夕刻、ジュウジロウは、津久年番の神酒所において、雨蛙の面をつけ、白襦袢【じゆばん】に白の裁着【たつつけ】を履き、白い脚絆【きやはん】、手甲【てつこう】、足袋【たび】の出で立ちとなり、世話人衆等とともにつく柱の立つ広場まで練り込みをする。そして御神酒を吹きかけられ全身を浄【きよ】めた後、笛・太鼓で奏される囃子に調子を合わせ柱に登る。途中で逆さまになるなどの芸を見せながら頂上に達すると、醤油樽の上に立ち上がり四方に矢を射る。その後、頂上で逆立ちをするなど軽業を演じ、最後は柱から張られた白綱に腹這いとなり、頭から滑り降りる。これら一連の軽業の姿は、室町から近世初頭に見世物として流行した「蜘蛛舞【くもまい】」という曲芸に近似しており、それらが祭礼と結びついて伝承されたことをうかがわせる。
以上のように野田の津久舞は、かつて流行した曲芸が地元の祭礼と結びついて独自に伝承されてきた伝承であり、芸能の変遷の過程を知るうえで重要である。
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