新潟市中央区「あすなろ塾」

私はなぜ学習塾の講師を選んだか(その1)
私はなぜ学習塾の講師を選んだか(その2)
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 ◆私はなぜ学習塾の講師を選んだか(その2)

 学習塾や予備校がこの日本で市民権を得るようになったのは、ここ35年位前からである。元来我々の仕事は高校があっての「塾」であり、大学があっての「予備校」という制約の中でしか機能し得ないという限界を抱えている。たとえ、我々がどんなに優れたノウハウを提供しようとも、それは受験戦争という谷間に咲く「あだ花」扱いしかされないという宿命を初めから抱えている。

 塾や予備校がどんなに居心地がいい場所であったとしても、永久にいたいと思う人はいないだろう。それは常に別の目的(=高校入試・大学入試)のための通過点に過ぎない。ちょうど、列車やバスの駅がどんなに魅力的であろうとホテルや観光地の役割は果たせないのと同じである。つまり、我々はあくまでも公教育機関の「日陰者」に徹することによってこそ存在価値があるのであって、日向には出てはならないのである。某塾や某予備校の卒業生という「脇役の肩書き」は何の意味も持たないからである。そういう制約を抱えていることを百も承知の上で、私は塾講師という道をあえて選んだ。形骸化した公教育に対する挑戦である。

 「脇役」にできることは、公教育機関を震撼せしめるような優れた本物のノウハウをいかにして許された枠組みの中で提供するかということだけであろう。今日の一部の高校や大学は本当に学問をしたいと考えている有為な生徒が行く場所では無くなっており、学歴社会の中で「高校や大学くらいは出ておかないと…」といった国民感情に支えられた「必要悪」に成り下がっている。「質の悪い受験予備校」か、さもなければ「レジャーランド」に過ぎないのである。公教育という美名の下に、市場原理で淘汰されることのないこと、「ゆとり教育」という名の下に教科内容を薄めること、入試科目を減らすことで受験生の人気取りをすること等が、公教育の質をますます悪化させている。多くの生徒達は、公教育の被害者であり犠牲者なのである。

 この機会に中身で勝負をし、一気に「脇役」から「主役」の王座を奪い取りたいと考えている。幸いにもこれは全くの夢物語ではない。塾や予備校で「学ぶことの本当の楽しさを知った」という声が巷から聞こえつつあるからである。私個人に関する一例を挙げるなら、高校三年生のときに第二志望の大学に合格していたにもかかわらず、「上島先生に習いたいことがまだ沢山ありますので、一年浪人します」と言って、合格が決まっていた大学を「袖にした」元塾生がかつていたことがある。また、自分で納得のいく人生設計をしたいということで、社会人になってから再度私の塾に通いはじめた元塾生が数名いる。

 私にはホテルや観光地の替わりはできない。しかし、旅人がもう一度旅をしたいと思うとき、「是非あそこの駅から出発してみたい」と思ってもらえるような魅力的な「駅」にはしたいものである。



講師略歴

■ 新潟大学法学部卒業
■ 元新潟県農業大学校 講師
■ 元共通一次試験テレビ解説担当講師(TeNY)
■ 元予備校講師・英語専門学校講師
■ 英検1級・通訳案内士
■ 著書『英語総合』『英語読解』『小論文の書き方』ほか


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