新潟市中央区「あすなろ塾」

私はなぜ学習塾の講師を選んだか(その1)
私はなぜ学習塾の講師を選んだか(その2)
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 ◆私はなぜ学習塾の講師を選んだか(その1)

 私は「個人学習塾」の経営者であり、講師でもある。小学生・中学生・高校生・社会人を対象に英語・数学・国語・小論文を教えているこの道30余年のベテランである。社員は私を除き誰もいない。したがって、経営者としての顔と教育者としての顔との二つを併せ持つ典型的な「一匹狼」タイプの人間である。私はこの職業に就いていることを誇りとしているし、この職業を心から愛している。

 「自己主張欲」が強く「世渡り」を得意としない私にとっては、大学時代を通じて職業選択は頭痛の種であった。どこかに就職するとなると面接試験なるものを受けなければならないが、「あれは人間を卑屈にしてしまう」という持論を持っていたために、面接官の心証を悪くし、ことごとく不採用になってしまう。そんな訳で、好景気で「売り手市場」の時代であったにもかかわらず、私の就職先はなかなか決まらなかった。かといって、専門を生かし、弁護士という道を選択するほど自分の才能に自信はなかったし、何年も浪人できるほど金銭的にゆとりもなかった。

 そんな中で、たまたま「斎藤喜博全集」(元小学校校長・宮城教育大学教授による著作集)と偶然古本屋で出会うことになる。教育問題は日頃の関心事のひとつであった私にとって、この作品が与えた影響は計り知れない。「教師はすべからく演技者でなければならない」とか「教育という仕事は後悔と良心の呵責の連続である」といったような発言が随所にちりばめられており、当時の私にとっては「新鮮でかつ刺激的」な内容であった。その後、たまたま斎藤氏が行った「模範授業」なるものの記録映画を見る機会を得たが、それが私が教師という職業を選択する決定的な動機になった。彼は大阪府立体育館で、数千名の教師並びに父兄の見守る中、十数名の生徒の前で「闘牛場方式」と言われるやり方で「模範授業」を行ったのである。

 通常、人前で話をする際には、聞き手は講師の前にいて、講師に目線を合わせながら聞くという形態を取る。ところが、「闘牛場方式」だと会場の中央に主役である講師と生徒がいて、それを数千名の教師と父兄とが前からも後ろからも横からも取り囲む形で聞くことになる。講師は前にいる聴衆に対しては勿論のこと、後ろや横にいる聴衆に対しても注意を払わねばならない訳だから、心理的な負担は半端なものではないはずである。「模範授業」の内容は殆ど覚えていないが、見ている最中に胸の中に熱いものが込み上げてきた感動だけは鮮明に記憶している。と同時に、いつの日かこの斎藤氏のように多くの生徒を感動させる授業をしたいものだと心に誓った次第である。

 私の場合は、同じ教育とは言っても公教育という場をあえて選ばなかった。「一匹狼」の私には「組織」は似合わないと考えていたことと、「一流の教育職人」を目指すにはその方が力を発揮しやすいと考えたからである。「職人」が充分に腕前を発揮するには「材料」(生徒)が良いことが肝要であるが、それを自分で選べるのはこの職業の醍醐味である。勿論、私の側で「奢り」や「自画自賛」を極力避けるために、予備校や専門学校に約15年間「非常勤講師」という形で「他流試合」に出かけ、自己研鑚に努めてきた。だから、私が作った作品が粗悪品であろうはずがない。展覧会に出品して、入選できるような作品ばかりである。それらを見守ることのできる至福を噛み締めている。




講師略歴

■ 新潟大学法学部卒業
■ 元新潟県農業大学校 講師
■ 元共通一次試験テレビ解説担当講師(TeNY)
■ 元予備校講師・英語専門学校講師
■ 英検1級・通訳案内士
■ 著書『英語総合』『英語読解』『小論文の書き方』ほか


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