東公園日蓮聖人銅像護持教会第12世主管

鎮西 身延山 本 佛 寺 第八世山首

佐野前曉猊下

鎮西身延葬

平成26年2月28日

大導師 法華経寺貫首 新井日湛猊下

    

午前11時頃から次々と集まって来られる檀信徒の方々

   

12時20分 御内仏法要開始

    

いよいよ、主管様が初めて境内に出られる時がきました。

    

司会 本田元秀上人(妙典寺様)

ご参拝、誠にご苦労さまでございます。

ただ今より、

♪鎮西身延山 本佛寺 第八世

博多 日蓮聖人銅像護持教会 第十二世

元日蓮宗大荒行堂正伝師

佐野前暁 権大僧正 體道阿闍梨日修聖人

鎮西身延山葬を開式致します。

主管さまが大好きだった西身延青年会のお囃子が始まりました。

これより主管さまのご遺骨が御内仏を出発し

思い出深い本佛寺境内を参拝されます。

境内地ご参詣の皆さまに於かれましては行列通過の際には合掌、

お題目のご発声を宜しくお願い申し上げます。♪ 

  

平成二十五年十一月二十八日午後六時四十六分 元日蓮宗大荒行堂正伝師鎮西身延山 本佛寺 第八世

博多 日蓮聖人銅像護持教会 第十二世 佐野前暁 権大僧正 體道阿闍梨日修聖人安詳として御遷化

なされました。鎮西身延山第八世として本佛寺の護持、発展は元より 日蓮宗に於ける修法道の興隆に

心血を注がれ浮羽や博多だけでなく広く全国の日蓮宗僧侶、檀信徒の方々からも慕われたお方でした。

 いま、明治十四年十一月二十一日、日蓮宗有史以来、初めて分与された御真骨堂をお参りされ、第一霊

霊廟へと進まれております。そして、多くの信徒を祈祷された鬼子母神堂へ。

 このお堂は、昭和三十三年までは、永遠堂でございました。主管様は、これを切っ掛けとされ、日蓮宗大

荒行堂に入行なさいました。昭和三十三年初行。いまでも、その同期の方々と、さんさん会を組織され、

ことある事に集まっておられます。さていまどのあたりでしょうか。まもなく曉六庵へ進まれたのではないでしょうか。

      

ここは、励光閣建設とともに建立された主管様ご夫妻の隠居室でございました。主管様が銅像様での法務を終え、お疲れになった

ご法体を癒やされた場所でございます。前曉の曉・六十代奥様の六をとって銘々された僧庵でございます。わずか五カ年でござい

ましたが、思い出深いところでございます。

 いよいよ、守護神、永遠大明王が祀られた永遠堂でございます。法華経寿量品第十六の転読を専らに千卷経が行われ、

その参詣が絶えない、本佛寺のご守護神。主管様は、永遠様を荒行や銅像様に持仏とされ共しておられました。

永遠様あっての主管様。永遠様あっての鎮西身延山本佛寺でございます。

 いよいよ、仏舎利塔へと登って行かれます。昭和四十五年以来、福岡市の勝立寺様と共に、インド、スリランカを巡礼される

こと七回。昭和五十二年ようやく懇請が実り、お仏舎利を頂く運びとなりました。勝立寺様と前光上人が協議した結果、本佛寺に、

その納骨が決定。インドを彷彿とさせるパゴダを建立し、世間を驚かせたのが、昭和五十八年の落慶でございまいた。

世界各国の旗が、境内にたなびき、各国の大使や、スリランカ大統領などが参加され、一宗派の寺を、多くのSPが警護することと

なった大騒ぎは、知る人ぞ知る一大事でございました。勿論、この建立から落慶の陣頭指揮をとったのが、主管様でございます。前光

上人の意志を継ぎ、山を切り開き、正面参道をつくり、綿密に構想を実現された主管様。第七世前光上人御遷化の年に除幕され、住職交代後、

第八世を周知のものとされた出来事でした。勝立寺様との御縁は、博多の銅像様建立から結果をもたらすものとして深くしみこんでおります。

 

 それでは、その参道の階段を下り、御滝場(おたきば)へと進みます。こちらは、永遠様に額ずく信徒の水行場でございました。

今はもう使われていませんが、龍神様が祀られ、日々の読経は続けられております。

神々の宿る本佛寺を忍ばせる崇高な場所といえましょう。

 

 さて、いよいよ後半の参詣となります。善星皆来 悪星退散の妙見堂へと進みます。こちらは、御堂は小さいですが、

北辰妙見が祀られている御堂です。主管様は、ご自身の信仰を妙見様に委ねられた時期もございました。

現在の御前様がお誕生になられた時でございます。後継の誕生を人一倍お喜びになり、

手持ちが少なかった副住職のおり、小さな旗石を妙見堂前に立てられ、そこに、前延。

すなわち今の御前様のお名前を刻みこまれました。その後の今、

ここは公園となり、池には見事な錦鯉が泳いでおります。名称は、僧道庭園でございます。

昨年の完成をご覧になった主管様は、目を細め、ほほを緩め涙されておられました。

 では、裏参道を降り、第二・第三霊廟へと進んで参りました。♪

明治十三年創建の本佛寺。勿論ですが、檀家はありませんでした。歴代の住職が布教に邁進され、一件また一件と教化を続け、

境内に人が溢れるようにされていきました。

その証が、この霊廟です。第一から始まり、第二、そして第三と墓所を拡張。一千二百軒以上となった檀信徒。

西身延霊園を造成するに至った経緯は、ご存じの通りでございます。

 さて、本佛寺で最も古い御堂。清正公堂へと降りて参りました。こちらは江戸中期の建立で、当山に移築された建物です。

九州における清正公様信仰は絶対でございました。

それは今も変わりませんが、特に当山では御逮夜法要を毎月続けており、参詣は絶えません。

 その隣の、浄行堂。こちらも主管様は、ご自身で清めておられました。多くの信徒の祈りを代行され、

祈っておられた姿ではなかったのでしょうか。

 さあ、いよいよ、仁王門前へ降りてまいりました。まさに主管様が心血を注いで建立された、

高さ十七メートル、幅二十二メートル、重さ千二百トンの大門です。

平成二年四月一日の除幕式は、身延山九十世法主 岩間日勇猊下をお迎えし盛大に奉行されました。二十四年前ですが、

皆様の記憶にあるところでありましょう。

 ここで、総代様方と合流です。歴代墓を参拝され、大本堂へと進んでまいります。

 式衆とともに、大本堂、御入堂です。お題目を声高く、ご唱和願います。

  

主管さまのご遺骨が、慣れ親しんだ本佛寺の大本堂にお入りになります。♪

 

  

本佛寺正干与 直方市 代行寺御山主 草野法界僧正、宜しくお願い申し上げます。

  

大本堂・境内・励光閣すべてを檀信徒が埋め尽くしておりました。

 

大導師 歎徳文言上

  

脇導師 お別れの言葉

大阪 植田観樹僧正・北海道 若松宏泉僧正・福岡 松尾周学僧正・名古屋 藤 浩一僧正

  

檀信徒代表 弔辞 神代啓司様     木剣手合わせ!  修法導師 植田観樹僧正

  

佐野正伝師猊下が中心にいらっしゃるような祈祷があり、みなさん彷彿として涙しておりました。

お焼香 遺族・式衆・遺弟・檀信徒

  

  

1000人からの会葬者があり、延々とお焼香が続く大本堂

  

  

山首 謝辞

♪ 以上をもちまして

鎮西身延山 本佛寺 第八世

博多 日蓮聖人銅像護持教会 第十二世

佐野前暁 権大僧正 體道阿闍梨日修聖人

鎮西身延山葬をおさめさせて頂きます。

長時間のお参り、誠にご苦労さまでした。

本堂内、非常に混雑しております。係の誘導に従い、ごゆっくりとご散会下さい。

皆さま、誠にご苦労さまでした。♪

午後4時 偲ぶ会(六峰館)

献華式開始

  

大導師 新井日湛猊下 ご挨拶

  

献杯 北川前肇先生

  

  

思い出語り  新潟の竹中上人、福岡の渡辺上人、弟子(前光上人)の水城上人

  

総代の立石様が謝辞を述べられ、山首の御礼で終了しました。

   

結びに、大導師のお題目三唱がありました。

沢山の御参拝ありがとうございました。また、ご覧頂きありがとうございました。 

編集部

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