南無輪円具足十界勧請大曼荼羅御本尊 南無久遠実成大恩教主本師釈迦牟尼仏 南無証明法華経涌現之多寶大善逝 南無上行無辺行浄行安立行等本化地涌の諸大菩薩 南無十方分身三世之諸仏 総じては 霊山虚空二処三会 発起影向等結縁の四聚 殊には末法有縁の大導師高祖日蓮大菩薩 別しては 当山勧請 永遠大明王 遠龍明王 通遠明王 三陸海岸守護の諸天善神 殊には被災地守護の船玉明神 稲荷大明神 末法総鎮守七面大明神等 悉皆慈悲影現道場知見照鑑の御宝前において 本日 当山大本堂に献上物を供え 東日本大震災被災犠牲者 一周忌法要を厳修せんと欲す 今まさに道場を荘厳し 香華茶菓膳を嚴備し 恭しく 佐渡ケ島日蓮聖人大銅像護持会 上行講と共に一乘円頓の法莚を張り 法華経を讀誦し 諸精靈に追悼の誠を捧げ 併せ哀悼せり 我等上行講は 昨年三月十一日 未會有の災害に佛天の加護を求めつつ 僧侶として また安穏なる生存者として 共存和平を祈らんと行動 その一端を仏祖三寶に報告せん 沙門某 十一日罹災後 十二日早朝 福岡に帰山するや 早速 上行講各聖との連携を伝う 同十四日 食料品 衣料品 生活用品を各地にて調達 同十六日 新潟県に搬送す 同日 佐渡ケ島新穂小学校に 島民へ呼び掛けし衣料品等を寄せ その善意を織り交ぜて収集 同十九日 大型トラック二台を手配調達 同二十日 白灯油ドラム缶三本 往復ガソリンを完備フェリー内にて 難題なる被災地入り道路を確認 同日十八時 北海道 九州会員 新潟空港集結 いよいよ模索から始まりし 支援物資を届けんとの救援活動が 道なき道の暗闇を走ることより始まる 三月二十一日未明 その惨状を目の当たりにし 自然の猛威に誰もが言葉を失いつつ 塩竃市 顕妙寺に到着 宮城県日蓮宗宗務所長日野教恵僧正に宿を頂戴す 同日 被災甚大なる石巻に入り 遺体安置所にて読経回向ののち 石巻第二中学校へ救援物資を置き 被災者が心情を聞く 今は瓦礫と呼ぶも 当時は生活に不可欠なる物が形を変え横たわり 一帯が混乱 その悲嘆に我等も涙す 日和山公園にて読経後 海岸線を走りお題目 善神捨国を教わる 我等再度尋ぬるを久円寺三寶に約束し被災地を後にせり 四月二十一日 被災者追悼に石巻体育館を訪問 火葬場不足により埋められし多くのご遺体に回向す 五月十六日 作業を求められ 此度は重機二台を積み込み 石巻は住吉小学校に入る 上行講会員の被災地入りは増え その動員数増加により復旧支援活動に力強さを覚ゆ 久円寺 谷川住職が入会を希望し それを喜びとし 小学校瓦礫撤去に尽瘁す 七月五日 再び重機二機を搭載し ダンプ三台を連ね石巻へ 復興に向けての町並みの変様に驚きつつ 積み残されし作業を手伝う 被災者との心の交流も兼ね 仮設の食堂にて夕食を頂戴し 復興の兆しを喜ぶ 七月七日 仙台は本山孝勝寺を参詣拝礼 多くのボランティア宿泊を受け入れし寺の有り様を知らされ感嘆し 宗教者としての自覚を習う しこうして我等上行講は存在の意義を学び これら支援は一塵に過ぎぬと領解し 之よりを生きる されど茲に 恥を覚悟にて 一周忌に当たり報告し報恩に擬する者也 仰ぎ願わくは東日本大震災物故者霊 速やかに薩垂の行頭を滿じ真如随縁の化益を薫し 大覚朗然の月いよいよ輝かん事を 乃至在々諸佛の土において生ぜしめ給わんことを また祈る 被災地を守護せる諸天善神 願わくば 日本国内大小の神祇と共に 国土安穏 国運万歳 國家鎮静等 護国ならしめたまえ 南無妙法蓮華経 維時平成二十四年三月十一日 上行講顧問 鎮西身延山第九世法統 佐野日遠
|