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D&G(ドゥルーズ&ガタリ)研究会は,早稲田近辺で開催する読書会を活動の中心とした,てんでんばらばらの参加者による,自由気ままな集まりです。

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G. ドゥルーズ&F. ガタリ『千のプラトー』読書会

『千のプラトー』解題へ

結論:pp.559~

予告

結論部は短いわりに内容が濃いので、どの程度のペースで読めるかちょっと予測がつきません。ひとまず「存立平面、器官なき身体」の節までは読みたいと思います。もっと進めるようならば進めたいと思います。

進め方ですが、結論部自体がレジュメのようなものですので、特に発表担当を決めずに、みんなで輪読しながらフリーディスカッションする形態で進めたいと思います。おそらくは僕や真鍋さんが主に注釈をつけるかたちになるかと思います。本文の脇に参照すべきプラトーの番号が振られていますので、それを参考にこれまでのプラトーを振り返る作業もできればと考えています。地層、アレンジメント、リゾーム、存立平面、器官なき身体といった主要概念をもう一度検討しながら、結局のところ『千のプラトー』とは何だったのか、自然と問われることになると思います。

ともかく疑問点はみんなでとことん出し合って、密度の濃い議論にしたいと思います。みなさんどうぞよろしくお願いします。 ――大久保

報告: 2006/01/12

今回は特にレジュメ担当者を決めずに、一節ずつ音読しながら(「ストローブ=ユイレのように」by真鍋さん)進めました。結論部は重要な諸概念の連関を新たに語り直しており、これまで描かれてきた風景をまた新しい視点から眺めるかのような趣がありました。

僕自身は「地層」と「アレンジメント」との差異やその相互関係が気になりましたし、また参加者の方からは(おおしかさん?)「器官なき身体」と「存立平面」との関係について疑念が出されるなど、結論部とは言いながら、たんにいままでの要約ではなく、諸概念を配置しなおした新たな「問題」(前回何度か話題にでたベンヤミンの言葉を借りるならば、「コンステラチオン(布置・星座)」)を提起しているようにも思えました。

この結論部を読むと、新たに手に入れた「コンステラチオン」を地図代わりにして『千のプラトー』を再読しなければという思いに駆られ、なんとも悩ましい範囲です。今回積み残した問題は次回に解決できればと思います。

また、今回から新たな参加者をお迎えしました。永田さんです。この春から美術の学校に新たに通うにあたって、勉強の場を求めてこちらの読書会に参加してくださいました。『千のプラトー』の中でも一番難しいと思われる「結論」から参加されて、意味不明な言葉の羅列におそらく苦しまれたと思いますが、これに懲りずにまた参加いただければ幸いです。どうぞよろしくお願いします。 ――大久保

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結論:pp.565-571――Salut! D&G!

予告

また寒くなってきましたね。さて、いよいよ次回の読書会で『千のプラトー』を読破することになります!あれだけ分厚い本を読み切ろうとしているわけで、なかなか感慨深いものがあります。最終回はわずか6ページですが、前回と同じく非常に「濃い」範囲ですので、じっくり読み進めたいと思います。

内容としては「脱領土化」と「抽象機械」が議論の対象となるところです。おそらくは「脱領土化」と「脱コード化」が最も進んだレベル、理念的なレベルが問題となるはずです。それはすなわち、「常識(コモン・センス)」の構成する「現実」から最も遠いところへ達することでもあるでしょう。

『千のプラトー』という長い旅の終わりはいったいどこに行き着くのでしょうか?

報告: 2006年1月26日

ふと気がつけば二月ですね。旧暦だとここからが新年になるらしいですね。どことなく春を思わせる日も出てきました。

さて、前回1月26日で『千のプラトー』をとうとう読了しました!(パチパチパチ)

記録によると第一回が2003年の1月23日に行われていますので、足掛け三年にわたる大事業だったわけです。自分の人生の中で、これだけ長い期間にわたっていろいろな人たちと何かをやり遂げた(しかも自分が中心になって)経験があまりないので、何かどこか他人事のような気すらします。ともかく、これもひとえにこれまで参加してくださったみなさんのおかげです。この場を借りて感謝したいと思います。みなさん本当にどうもありがとうございました。

とりわけ、長い期間に渡って参加してくださった秋山さんと真鍋さんのご両人には、心より感謝申し上げたいと思います。お二人の支えがなければここまでこの会が続くこともなかったでしょう。

と、感傷に耽るまもなく、この会の次の活動へ向けて準備をしなければなりません。

その前に簡単に前回の復習から。

結論部の後半が前回の範囲でした。まず「脱領土化」が否定的と肯定的、相対的と絶対的という二つの基準で分類され、つぎにその「脱領土化」の「先端」、すなちわ絶対的な「脱領土化」において、「抽象機械」が見いだされるというのが大まかな流れでした。

同一性とそれを基礎とした対立・類似を操るシニフィアン体制・脱シニフィアン体制、条里空間(カント的に言うならば悟性形式、感性形式)から逃走線を引き、形式をもたない物質、「系統流」に強度を配分する特異点(カント-マイモンがいうまさに「強度」)と、これまた形式を持たない機能としての微分方程式(これまたカント的に言うならば「図式」)とから成り立つ「抽象機械」へと至ることが、結局のところ『千のプラトー』を貫く一本の線だったように思います。

林さんが指摘してくださったような、ホフマンスタールの鼠になること、言葉を失い、動物になること...。

個人的には、読書会の場で述べたように、D&Gの立場が哲学的にいって誠実なものといえるか疑問なしとしませんが(その意味で逃走線が死の線となる可能性が絶えず喚起されていたことは、無視しえないでしょう)、しかし彼らの「実験」がさまざまな異質な分野を共存させたことは、やはり大きな功績でしょう。そもそもこのおかげでわれわれ読書会のメンバーは出会えたわけですものね。

これまた個人的な感想を言えば、D&Gが「条里空間の平滑化」として分析した「グローバリゼーション」は、いまや陳腐かもしれませんが、やはり焦眉の問題であることに変わりはないと思います。次のようなグローバリゼーションの入門書を読むと、この分野の専門家たちがD&Gからいかに「いただいて」いるか、よくわかります。

復習はこんなところにしましょう。Salut! D&G! ――大久保

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