「復初の集い」(1)

2007.08.17

8月15日に「復初の集い」に招かれ、「丸山眞男ー私の場合」と題して1時間15分のお話しをする機会に恵まれました。最初にお招きがあったときはずいぶん逡巡したのですが、このお招きをお断りしたら後で悔いが残るだろうと考えて、厚かましくもお話しをすることにした次第です。
お話しした内容は、私と丸山先生との唯一の出会いの時のことを紹介した後、現代の日本政治を観察する上で今なお重要な意味を持つ「普遍の意識の欠如」、「既成事実への屈服」、「政治的リアリズムの欠如」という先生のキー・ワードをふまえた上で、今日の日本で進行している事態を、丸山先生はどのように見られるだろうか、という視点から、「平和」と「戦争」の問題を「三たび平和について」(1950年)によって、また、憲法第9条「改正」問題を「憲法第9条をめぐる若干の考察」によりながら考察し、さらに、広島に住んで物事を考えている私の関心事として、丸山先生と原爆体験の思想化という問題を先生の発言をふまえながら考察するという欲張った内容のものでした。
以下においては、当日お話しした原稿をそのまま数回に分けて掲載したいと思います。

「復初の集い」でのお話し(1)

本日は、このようなお集まりにお招きいただいたことに深く感謝申し上げます。丸山眞男先生とはほとんど縁もゆかりもないものですが、先生そしてその著作から多くのことを学ばせていただいてきたものとして、本日は主に二つのことについてお話しさせていただきたいと思っております。一つは、日本人・日本社会の政治意識をしばっている要素を丸山先生の指摘にしたがって確認した上で、丸山先生がご健在なら、今日の政治状況をどのようにご覧になるだろうか、という丸山ファンなら誰もが考えることを、わたしなりにかんがえてみたい、ということであります。今日は、二つの論文を手がかりに、62回目の敗戦の日を迎える今日の政治状況を読み解く試みをさせていただきたいと、僭越ながら考えております。もう一つは、尊敬する丸山先生が被爆者であったことについてどのような発言をされてきたか、それらの発言をどのように受けとめるのか、という問題であります。私自身、2005年4月以来、広島で生活し、広島の意味、原爆体験の思想化といったことについて、私なりに考えてきたわけですが、丸山先生が自らの原爆体験とどのように向きあわれていたのか、ということには強い関心を持たざるを得ません。そこで、丸山先生が発言された内容を、お話しが行われた年代順に追って見るという方法を通じて、私なりの理解を皆様にご紹介申し上げたいと思っております。

1.先生とのたった一度の出会い

 お話しに入る前に、丸山先生と私自身のわずかな接点について少々お話しさせていただきます。冒頭に、丸山先生とはほとんど縁もゆかりもないと申し上げましたが、実は1回だけ先生の謦咳に接したことがあるのです。鶴見俊(しゅん)輔(すけ)氏などとの対談をまとめた『自由について』(SURE pp.10~11)で、丸山先生は、次のように述べている箇所があります。

「1981 年、中国に行ったときも、突然にがたがたとふるえが来て四〇度の熱が出てね、孫文が死ぬ前に入った外人病棟に北京で入院した。ものすごく待遇は良かった。 それで、おもしろかった。おもしろいなんて言っちゃ悪いけれどね(笑)。…ただ、中国でぼくがいたのは人民の病院じゃないので、その点ちょっと違うんだが、すごいご馳走だったし、サービスはいいしね。」

私は大学を出てから25年間、外務省に勤務しましたが、1980年の39歳の時、政務参事官として北京の日本大使館に赴任し、翌81年に、北京入りした丸山先生が体調を崩し、北京首都医院に緊急入院された間、私がお世話係を仰せつかりました。というより、真実は、その係を決める立場にいた私が自ら志願したといった方がいいかと思います。
実務を通して当時の日本に抱く感慨を、私は先生の書を通じて確認させていただいていました。それほど、先生の日本観は正鵠を射ており、私は密かに先生を我が師と思っていました。その先生と毎日お会いできる日が続いたのです。先生は、ご病気だったこともあって口数も少なくゆったりとしておられましたが、毎日、病室に通う私に先生が飾らぬ言葉で、持論を語られ、私はこの時間を我が人生の宝物として記憶しました。
私の丸山先生との出会いはこの1回だけです。しかし、『自由について』の中で、丸山先生が北京での入院生活のことを覚えておられることを知った時は、本当に嬉しい思いを味わいました。

2.物事に対する見方を深める上で先生から確認した視点

 丸山先生のことで最初に申し上げたいのは、丸山先生の物事に対する見方から実に多くのことを学んでいるということです。口幅ったい、生意気な発言と受けとめられることを覚悟で申しますが、私は、外務省25年間の実務生活を通じて、きわめて素朴なあるいは入り口的な段階にとどまっていたにせよ、日本人・社会が自らがよるべき普遍的モノサシを備えていないこと、そしてそれがゆえに既成事実に極端に弱いという強い傾向があることに問題意識を抱くようになっていました。そういう私にとって、丸山眞男集を読む中で「普遍の意識の欠如」「既成事実への屈服」そして「政治的リアリズム」というキー・ワードが端的に示されていることを知った時には、「そうそう、これこれ」という、的確な表現を探しあぐねてモヤモヤしていた気持ちがヴェールをはがすようにすっきりする、あの感じを味わうことができたのでした。

〇普遍の意識の欠如(「普遍の意識欠く日本の思想」1964)

 「普遍」なるものは、私におきましては「人間の尊厳」であります。一人ひとりの人間は、他の何ものによっても代え難い、また、奪われることのない固有の尊厳を備えています。人類の長い歴史そのものが、国家権力に対する人間の尊厳の確立の歴史でありました。日本国憲法第97条は、「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であって、これらの権利は、過去幾多の試練に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。」と規定しております。第11条も、「国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。」と定めております。「人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果」とは、私の理解によれば、「国家権力に対する人類の多年にわたる人間の尊厳を承認させる努力の成果」と言い換えることができるものであり、そうであればこそ、基本的人権は「侵すことのできない永久の権利」なのであり、基本的人権とは人間の尊厳を具体化したものに他なりません。
 丸山先生の原爆体験をお話しする時にご紹介する1967年の「普遍的原理の立場」(『丸山眞男座談7』p.106以下)で、丸山先生は、「普通、観念的といわれている民主主義とか基本的人権とかはね、私はほとんど生理的なものとして自分のなかにあると感じています。」と述べています。その後に、「しかし、原爆はそうじゃなかった。すくなくとも、ビキニの問題がおこってくるまではそんなに深く考えなかった。」という言葉が続くのですが、私がすごく共感するのは、民主主義とか基本的人権とかが、丸山先生においては、「ほとんど生理的なものとして自分のなかにある」という部分なのです。
 しかし、多くの国民において、私の言う人間の尊厳、あるいは一般に言われる民主主義、基本的人権という普遍的原理・普遍性を備えたものが「生理的なもの」として「自分のなかにある」と言えるでしょうか。
今重大な問題になりつつある憲法「改正」問題では、もっぱら第9条のことにのみ注意が向けられています。しかし、自民党新憲法草案は、憲法第12条と第13条の規定の中にある「公共の福祉」を、彼等の説明では「国益及び国家の安全」を意味する「公益及び公の秩序」で置きかえることにより、ふたたび人間の尊厳、基本的人権を国家権力に服従させる意図をむき出しにしています。つまり、普遍的原理を否定しようというのです。私は、この問題の重大性がほとんど注目されていない日本社会の現実そのものが、私たちの間における普遍の意識の欠如を反映しているのではないか、と感じています。

〇既成事実への屈服(「『現実』主義の陥穽」1952)
 -現実の所与性
-現実の一次元性
-その時々の支配権力が選択する方向

 私たちが普遍的なるものを我がものにしていないがゆえに、既成事実に弱い、「既成事実への屈服」ということにつながるのではないでしょうか。普遍的なるものを我がものにするということは、物事を判断する時に客観的なモノサシを備えているということだと思います。人間の尊厳、基本的人権、民主主義というモノサシに照らしてあらゆる物事を判断する視点を確立しているのであれば、私たちはその時々の「現実」に呑み込まれることなどないはずです。そういうモノサシが備わっていないがために、ある「現実」は変更できない、与えられたもの・「所与」のものとしてのしかかってきます。また、その「現実」以外の他の「現実」が目に入ってこなくなってしまい、現実の「一次元性」ということになります。何よりも私たち日本人が問題なのは、権力の言いなりになってしまうことで、「その時々の支配権力が選択する方向」で「仕方ない」という気持ちを植え付けられてしまうのです。
 私が外務省で働いていた時になによりも我慢がならなかったのは、日本外交を理屈抜きで支配するアメリカの存在であり、それをなんら疑問に感じもしない日本外交のメンタリティでした。また、私は今例えば、「非核三原則と対米核抑止力依存」の共存という、国際的には物笑い以外の何ものでもあり得ない「既成事実」に、多くの国民が矛盾すら感じていない「現実」にも、「ノーモア・ヒロシマ ノーモア・ウオー」という普遍的なるものの訴えが形骸化しつつある姿を見ております。核攻撃をも視野に収める国民保護計画に対する国民的無関心は、既成事実への屈服が一段と進んでいることを示していますが、ナガサキへの原爆投下は「しょうがない」とした久間発言は、そうした国民的な「既成事実への屈服」の進行を背景に、「今やこのような発言をしても、かつてほどの批判は出ないだろう」とする権力の側の居直りでもあると思います。
 このように考えますと、「現実というものがもつ、いろいろな可能性を束としてみる見方」こそが政治的リアリズムなのだという、丸山先生の次の文章は、今日の私たちこそが一人ひとり我がものにすることが求められている新鮮な中身をもっているのではないでしょうか。

 〇政治的リアリズム(可能性の束)(「政治的判断」1958)

「空理空論というものはだめだ、それは書生の政治論だというようなことがいわれます。…政治というものは状況のリアルな認識が必要なんだ、という‥かぎり では正しい。しかし‥政治というものはユートピアではないからといって必ずしもいわゆる理想と現実の二元論を意味するものではない…。なぜかと申しますと、『理想はそうだけれども現実はそうはいかないよ』という、こういういい方というものには、現実というものがもつ、いろいろな可能性を束としてみる見方が欠けているのです。現実というものをいろいろな可能性の束として見ないで、それをでき上がったものとして見ているわけであります。…現実‥の中にあるいろいろな可能性のうち、どの可能性を伸ばしていくか、或いはどの可能性を矯めていくか、そういうことを政治の理想なり、目標なりに、関連づけていく考え方、…そこに方向判断が生まれます。…方向性の認識というものと、現実認識というものは不可分なんです。…いろいろな可能性の方向性を認識する。そしてそれを選択する。どの方向を今後伸ばしていくのが正しい、どの方向はより望ましくないからそれが伸びないようにチェックする、ということが政治的な選択なんです。いわゆる日本の政治的現実主義というものは、こういう政治的方向性を欠いた現実主義であって、『実際政治はそんなものじゃないよ』という時には、方向性を欠いた政治的な認識が非常に多いのであります。」

今回の参議院選挙を見る時にも、「政治的リアリズム」の必要性を痛切に再認識させられます。二大政党とマス・メディアがつくり出した「二大政党政治」以外の選択肢はないとでもいわんばかりの世論操作はものの見事に国民の投票行動を規定しました。「可能性の束」をしっかり見るものであったならば、今回の選挙の最大かつ最重要の選択基準は、改憲を許すかどうかであったはずですし、この基準に基づいて投票する国民であったならば、憲法「改正」反対を明確に押しだした共社両党が総得票数を減らし、議席も後退するという結果を許すことはなかったと思います。ところが民主党の「生活第一」が実質的に憲法問題の争点隠しを可能にし、国民は二大政党のなかでの選択という作られた「現実」のなかでしか行動できなかったのです。
私は、「普遍の意識の欠如」「既成事実への屈服」「政治リアリズムの欠落」こそは、今日の日本人・社会の政治意識をしばる三つの要素だと思います。「今日の日本で進行している事態を、丸山先生はどのように見られるだろうか」ということを考える上でも、この三つの要素は丸山先生の考察を貫流していると私は受けとめています。