最終更新日: 2008年03月14日

出雲國神仏霊場参り [2007/05/01-03]


お礼まいりを兼ねて出雲へ

 一昨年に一畑薬師で「二才児まつり」でご祈念頂きました。 数えで4歳になると「四才児お礼まいり」として、再度ご祈念頂く仕組みになっています。 今回これと出雲國神仏霊場参りを兼ねて、松江・出雲方面に二泊三日で出かけて来ました。

初めてのルートで

自宅[7:30] − → 岩国I.C. → 山陽、広島、中国自動車道 → 庄原I.C.

 米子に行く最短コースはないものかと地図を眺めていると、庄原から国道183号線、180号線を乗り継いで米子に抜けるルートがある事に気が付きました。 地図ソフトでシミュレーションして見ると、米子自動車道を使っても時間的にはあまり変わらない結果が出ましたが、目新しいルートを使ってみようと、庄原で降りるルートに挑戦して見ました。

比較的楽に走れた

庄原I.C. − → R183, 180 → 夢みなとタワー[11:50]

 国道54号線と比べると途中に道の駅がないために、トイレ休憩に困る事を除けば、比較的楽に走行出来ました。 芸備線と併走したり、「ひばごん」で有名な比婆山のそばを通ったりと、目新しい風景を眺めての移動は新鮮なものでした。 出発時間の遅れは取り戻すことは出来ませんでしたが、予定より20分程移動時間を短縮する事が出来ました。

カジュアルフレンチに舌鼓

 夢みなとタワーではなく、手前の「境港さかなセンター」の駐車場に車を止めると、夢みなとタワーの4階にあるレストラン「ル・ミストラル」に向かいました。 ちょうどお昼だったにも拘らず平日のせいか、店の中はガラガラでした。 家内共々Bランチをお願いし、家内は「鱸のポアレ」を私は「ハンバーグ」をチョイスしました。 ランチにはフランスパンが付いていて、とても美味しかったらしいのですが、フランスパンが大好きな娘に殆ど食べられてしまい、味わうには至りませんでした。
 下の写真の「トリピー」は鳥取で「夢みなと博」が行われた時のマスコットらしく、身体の緑色の部分は「なし」をイメージしたものなのだそうです。

夢みなとタワー
マスコットの「トリピー」
レストラン「ル・ミストラル」
前菜
ハンバーグ
スズキのポアレ

雨は移動中のみ?

夢みなとタワー[12:45] − → R432, K2 → 美保関灯台[13:15]

 先ず美保神社に向かうつもりでしたが、雨が強く降り出してしまい、そのまま美保関灯台まで移動しました。 灯台に着くと雨は上がり、傘無しで良さそうです。 やはり娘には超晴れ女だった母が憑いているのでしょうか。
 駐車場から灯台に向かって歩いて行くと、新緑の中に灯台の白い色が目立ちます。 灯台の横には喫茶店があり、日本海を眺めながら軽食を頂けるようになっています。 今度訪れる機会が有ったら、ここでの食事も素敵そうです。 隠岐の島の看板で記念撮影をしていたら、喫茶店で食事をして居た人々に一斉に注目されてしまいました。

美保関灯台

やっぱり気持ちいい

美保関灯台[13:30] − → K2 → 美保神社[13:40]

 美保神社に戻ると駐車場を探しました。 ちょうど鳥居の前で焼きイカを売っているおばさん達が手招きをして、駐車場を勧めてくれました。 参拝の後に焼きイカを買うことを約束して、車を置き、神社に向かいました。
 美保神社に参拝するのはこれで三度目ですが、何時来ても気持ちの良い神社です。 何故か一番落ち着く所と云っても過言ではないかも知れません。 今回の旅行での最初の神社なので、御朱印と共に出雲國神仏霊場の巡拝帳を購入し、霊場巡りのスタートを切りました。

美保神社
2柱の御祭神をお祀りする美保神社の本殿は、大社造りを2棟並べて装束の間でつないだ特殊な造りで「美保造り」と呼ばれ、国の重要文化財に指定されている。 向かって左手が漁業・商業を始めとする生業の守護神・事代主神が鎮座されている右殿、向かって右手が農業と子孫繁栄の守り神・三穂津姫命がおられる左殿である。 檜皮葺の屋根と、装飾を排した直線的な造りがかえって凛として美しい。 神社の歴史は古く、奈良時代以前にすでにこの地にあったとされるが、戦国の世の戦乱ですべてを焼失。現在の本殿は文化十年(1813)の造営、拝殿は昭和三年の建築である。 ご祭神である事代主神とはゑびす様のことであり、美保神社は全国各地にあるゑびす社3385社の総本社である。

 03年に訪れた際に購入したお醤油(特にポン酢)が美味しく、今回もそのお店を探しに青石畳通りを散策しました。 前回はちょっと判り難い場所に有ったお店は、表通りにも販売所を構えていて、すぐに見つける事が出来ました。
 車に戻ると約束通り、焼きイカを買い、かぶりつきました。 慌てて食べてしまったので、イカの写真やおばさん達の屋台の写真を撮るのをすっかり忘れてしまい、ちょっと残念です。 焼きイカは変わらない味で、娘も家内の分の半分位は食べてしまいました。 やはりここの焼きイカが今まで食べた中で、一番美味しく感じます。

青石畳通り
灯台と鯛の柄のマンホール
太鼓屋(しょうゆ屋)

とんでもない山道の奥に

美保神社[14:15] − → K2, R431 → 華蔵寺[15:20]

 松江市内に向かう途中で、二番目のお寺である華蔵寺に向かいました。 華蔵寺への道は、とんでもない山道で、途中、法面の崩れ等による片側交互通行が5ヶ所位あり、一車線分ががけ崩れで完全になくなってしまっている所も有りました。
 山を登って行く途中で、道を横切る「たぬき」に遭遇しました。 走っていく後姿しか見る事が出来ませんでしたが、尻尾がふさふさでお尻を振り振りしながら側溝に消えていく姿は、一見の価値が有りました。
 華蔵寺は寺院にしては珍しく拝観料を取られませんでした。 但し、御朱印を頂く際には、話し上手なお坊さんに薦められて「出雲國神仏霊場巡り」の解説本を買わされてしまいました。

華蔵寺
 海抜456mの枕木山の上に位置する禅宗の古刹である。 初めは天台宗であったが、後 五百有余年を経て、亀山法皇 御不例の砌、勅願により当寺で御祈念、杉井の霊水と御秘薬を献上、日ならずして御平癒、この因縁により帝深く御帰依、当寺を禅宗に改めさせ南禅寺の末派とした。 爾来皇室の外護を蒙り隆盛を極めたが、戦国時代、尼子、毛利の兵火に遭い諸坊伽藍什宝悉く焼失し寺運も大いに衰頽するに至った。 其の後、慶長六年(1601)堀尾吉晴公 松江に城を築くにあたり、城の鬼門に当たれりとて当寺を祈願所とした。 爾後藩主の外護を得て堂宇伽藍を造営復興し、松平直政公に至り再興なり輪奐の美を極めた。歴代藩主の帰依厚く禅風大いに振るい天下の霊山と号されるに至った。

町の真ん中に

華蔵寺[15:50] − → R431 → 賣布神社[16:30]

 山を降りると松江市内の真中にある賣布神社を目指しましたが、市内は一方通行が多く、見えているのになかなか辿り着く事が出来ませんでした。 車に揺られ娘は寝てしまったので、車に残し、神社を参拝しました。
 参拝を終え、車に戻ると斜め前においしそうな洋菓子屋さんがありました。 娘が寝ているのをいい事に、夫婦で店を覗きワッフルを3個ほど買い求めました(とてもおいしかったです)。

賣布神社
 神代において摂社の御祭神である櫛八玉神が潮の流れの中にあるとされる速秋津比賣神を生命の祖神としてお祀りになったことに始まり、後に樹種の神とされる相殿の三神が合わせ祀られたと伝えられている。 このことは、海の潮の働きと地上の樹木の働きがあいまって海河山野の幸がもたらされ、人々も生かされていることが示されているのである。
 社名は、「出雲国風土記」に「賣布社」、「延喜式」には「賣布神社」と記された古社であり、社名の『めふ』とは、海藻や草木の豊かに生えることを意味しています。

美術館には行くものの

賣布神社[16:50] − → 島根県立美術館[17:00]

 ミュージアムショップでの買い物を目的に、県立美術館に立ち寄りました。 道路標識を見ると美術館が右手に見えているのに駐車場は直進を指示しています。 美術館からあまり離れてしまうと歩くのが大変だと思いながら駐車場に着くと、美術館近くまで地下道で繋がっており、比較的短い距離で美術館に到着しました。
 買い物を済ませると宍道湖に面した中庭に出て、うさぎのオブジェクトを探しました。 うさぎが飛び跳ねる姿を10個程度の置物で表現しているのですが、端から2番目のうさぎをなでると幸せになれるとか。 2番目が右からか左からかが判らなかったので、とりあえず宍道湖を背にして右から2番目のうさぎをなでてお願いをしました。 念のため、全部のうさぎを見て回ると、左から2番目のうさぎの回りに蜆の貝殻が沢山落ちていて、頭や背中がつるつるになっています。 もしかしたらこちらかもしれないと、こちらもなでて置きました。 それにしても、貝殻を放置するなんてマナーが悪いなと思いながら、その場を立ち去りました。
 後で判った事ですが、やはりうさぎは左から2番目のものだったようです。 しかも、蜆の殻をお供えすると更に効果がアップするらしく、貝殻は放置されていた訳ではなく、お供え物だったのでした。

東横インで充分

島根県立美術館[17:20] − → 東横イン松江駅前[17:40]

 前回の大分の宿に比べれば、東横インでもはるかに快適です。 温泉こそ有りませんが、風呂のお湯はふんだんに出ますし、朝食は無料でおにぎりが食べられます。 旅館で高い料金を払うよりは、このホテルチェーンを利用して、その分、美味しい物を食べた方が得策だと思います(たまには温泉に浸かりたい気分になることもありますが)。

牛たんを堪能しました

 ガイドブックで目星を着けていた玉田屋に、駅からタクシーで向かいました。 そこそこ有名らしく、名前を言っただけで場所がわかったようです。 基本的には飲み屋なのでしょうか、小さな子供連れだと判ると一階のカウンター席ではなく、二階の座敷席に案内されました。 二階に上がって判った事ですが、元々一般の住宅だった建物を改造して使っているようでした。
 料理は宿代が大分浮いたので少し奮発して、中位のコースでお願いしました(内容は下の写真+デザートの黒蜜ゼリー)。 牛たんを素材に、生、焼き、煮込みと調理の方法がバラエティに富んでおり、また、和洋両方のバリエーションも加わって、同じ牛たんとは思えない程、色々な味を楽しませて頂きました。 普段、肉料理をあまり食べない娘も、珍しく色々なものを積極的に食べていました。
 気持ちもお腹もとても満足して、ホテルに戻りました。

 
旨味牛たん 玉田屋
オードブル
カルパッチョ
塩焼き
シチュー
たたき
アラビアータ
煮込みとテールスープ

黄泉からの出口へ

東横イン松江駅前[8:30] − → R431, R9 → 黄泉比良坂[9:00]

 予定より少し早めに出発出来たので、神社巡りの前に黄泉比良坂を訪れる事にしました。 カーナビでは簡単に設定出来ず、地図を眺めながら探し探しの移動となりました。 国道9号線から脇道に入り、ようやく見つけた標識は、住宅地の入口のような場所にあり、しかも藪に向かって「ここから歩いて5分」と指し示しています。 昨夜の雨で山道が濡れ滑り易くなっているので、娘を抱きかかえて藪に分け入っていきます。 これが大変な重労働で、娘は重いは、足元は濡れ落ち葉で滑り易くなっているわで、5分歩いてもちっとも着く気配が有りません。 息が上がってしまって、途中で休み休み更に山道を分け入るとようやく広場のような所に出ました。 悔しい事に、広場の奥には舗装された道が続いており、どうやら自動車で入ってこれたようです(自宅に帰ってから調べた所、我々が脇道に入った場所より更に東に行った所に、道が繋がっていました)。
 大きな石と鳥居、そして案内板が設置されている黄泉比良坂は鬱蒼とした森の中とのイメージとは異なっていましたが、山道を上がってきた事でそれなりの雰囲気を感じる事は出来たように思います。

平濱八幡宮

黄泉比良坂[9:20] − → R9 → 平濱八幡宮[9:30]

 黄泉比良坂から9号線沿いに少し松江方面に戻った所に、平濱八幡宮がありました。 同じ境内の中に、平濱八幡宮と式内神社が寄り添うように建っています。@@@@@@。 境内を掃除されている宮司さんに挨拶をして神社をあとにしました。

平濱八幡宮
 
武内神社
 

出雲大社の元宮

平濱八幡宮[9:50] − → R9, R432 → 神魂神社[10:05]

 ここ神魂神社は、出雲國神仏霊場には含まれていませんが、出雲大社の元宮と云うことでちょっと寄り道をして、参拝する事にしました。 入り口は整備されており、鳥居を潜って坂を登って行くと手水が有り、その脇の急な階段を上がった所が境内になります。@@@

神魂神社
 

立派な神社

神魂神社[10:05] − → R432, K53 → 熊野大社[10:40]

 当初は諦めていた熊野大社ですが、案内板を見ると車で15分位の所と書いてあり、折角ここまで来たのだからと寄る事にしました。
 今まで比較的こじんまりとしている神社を巡っていたので、熊野大社の大きさにちょっとびっくりです。 @@@@@

熊野大社
 

先生、ちゃんと引率して下さい

熊野大社[11:10] − → R432, K247 → 八重垣神社[11:25]

 八重垣神社に着くと、今までの神社とはうって変わって中学生らしき一団でごった返しています。 どうやら修学旅行のようですが、引率している先生も、生徒達と一緒になって騒いでいます。 社務所も鏡の池に浮かべる占い紙を求める子供達で一杯です。 一体、神社とはどのような場所と説明して引率して来ているのでしょうか。 恋占いの場所か何かと勘違いしている感じが強くします。 神様は仏様と違って、願いを叶えてくれるばかりの存在ではありません。 時には、祟ったり、取り憑いたりもします。 修学旅行で訪れるのなら、そういう事まできちんと理解させた上で、参拝させて貰いたいものです。

八重垣神社
 

こんなに食べられません

八重垣神社[11:50] − → レストラン西洋軒[12:10]

 松江市内に戻ると昼食を予定している西洋軒に向かいましたが、駐車場が有りません。 店の周りをくるくると走り回っている間に、たまたま駐車場を見つけ、何とか車を止める事が出来ました。  レストランは京橋川沿いに有り、正面には「カラコロ工房」が見えます。 ここはオーソドックスな洋食が食べられるお店でオムライスやハヤシライスが有名です。 ご多分に漏れず、我々もオムライスとハヤシライスをオーダーしました。 ところが料理が出てきて驚いた事には、思っていた以上に量が多いのです。 味はいかにも洋食屋の老舗といった感じで美味しく頂けますが、兎に角量が多くてびっくりでした。

   
レストラン 西洋軒
オムライス
ハヤシライス
プリン

お墓だけなのに

レストラン西洋軒[13:00] − → 月照寺[13:15]

 食事を終えると松平不昧公の墓所である月照寺をお参りしました。 受け付けで入園料を払い、御朱印を頂く場所を聞いたとたんに、パンフレットを返せと言われました。 訳が判らずに居ると、御朱印を授けた人には割引特権で入園料が半額になり、受け取った入園料を返すのでパンフレットを返して欲しいとの趣旨でした。
 お寺に入ると、お墓ばかりでこれと言った建物もなく、こんな事なら御朱印だけ頂いて、さっさと佐太神社へ行けば良かったと後悔しました。

月照寺
 

ベゴニアに埋め尽くされた空間

月照寺[14:00] − → R431 → 松江フォーゲルパーク[14:20]

 月照寺で意外と時間を喰ってしまい、フォーゲルパークに着いたのは14時で、残念ながら「ペンギンのお散歩」には間に合いませんでした。 次の予定を見ると、14時半から「ペリカンへの餌やり」が有ります。 見学コースを逆行して、水鳥池を目指しました。 ここでも中学生らしき一団が居り、先を争って餌やり用の手袋を受け取っていました。 騒ぎに巻き込まれてもと思い、少し離れていた場所から見学していました。 餌のやり方を見ていると面白い事に気付きました。 男子生徒は、餌の鯵を遠くに投げる事に夢中で、結果的にいつも同じペリカン目掛けて餌を投げていましたが、女子生徒は寄ってきているペリカン達を見わたして、餌が貰えていないペリカンに投げてやっていました。 こんな所にも、性差が現れるのかと思いました。 そうこうする内に、中学生達は餌やりに飽きたのか、殆ど居なくなってしまいました。 まだ、餌の鯵が残っていたので、娘も挑戦してみましたが、残念ながら上手く投げることが出来ず、目の前に鯵が落ちてきた白鳥はきょとんとしていました。
15時からは「フクロウの飛行ショー」が有ります。 センターハウスに戻るとよく見えるように前の方に陣取りました。 この時間帯はベンガルワシミミズクが飛行を見せてくれました。 飼育係のお姉さんの指示に従って飛ぶ姿は雄大で、見応えのあるものでした。
 ショーを見終えると、見学順序に従って園内を一回りしました。 芝生広場でストレスが溜まっていた娘を放牧していると、ハヤブサを連れた係の方に会いました。 現在訓練中との事でしたが、見とれてしまって写真を撮るのを忘れてしまいました。 残念です。 最後に、お決まりのコースで鳥の餌付けを済ませ、フォーゲルパークを後にしました。

餌を待つペリカン達
出番を待つふくろう
つぼの上でちょっと一休み
黒鳥の親子
珍しいバナナの花
ペンギン達
美しい球根ベゴニアの花々

「らんぷの湯」がお休みでがっかり

松江フォーゲルパーク[17:00] − → R431, R9 → 東横イン出雲市駅前[17:40]

 ガイドブックで事前調査していた際には、駅を挟んだ反対側に「らんぷの湯」という温泉設備があるとの事でしたので、楽しみにしていたのですが、生憎月曜日がお休みとの事で、残念ながら利用する事が出来ませんでした。 ゆっくりと足を伸ばして温泉に浸かれるとあてが外れてしまいました。

大丈夫かな

 気を取り直して夕食の鰻屋に向かいます。 地図では歩いても行けそうな距離だった事と、途中で薬局を探して薬を買いたかったので、歩いて向かいました。 駅前通りで薬局を探すものの見つからず、結局途中にあったジャスコの中にある薬局で目的のものを見つけることが出来ました。 更に鰻屋を探しながら歩いたのですが、なかなか見つける事が出来ません。 もう諦めて引き返そうかと思った矢先にそれらしき建物が見えました。 慶応元年創業の老舗割烹との事ですが、夕方にもかかわらずお客がいる気配がありません。 恐る恐る中に入って見ると、近所の小母さんという感じの年配の女性客が一人いるだけで、あとはシーンと静まり返っています。 それでも入ってしまった以上、店を出るわけにも行かず、小部屋に案内され予定通り「うな重」を注文しました。 でて来た料理は普通のもので、味も満足できるものでしたが、我々が食事をしている間も他のお客さんが来る事は有りませんでした。 ガイドブックに載っている位なので、繁盛しているのかと思っていましたが、そうでもなさそうです。 こんなもので商売が成り立つのか他人事ながら、心配です。

武志屋本店
うな重

四才児お礼まいり

東横イン出雲市駅前[8:30] − → R431 → 一畑薬師[9:20]

 予定より早めではありましたが一畑薬師に向かいました。 前回とは異なり西側からアプローチしましたが、東側より道がよく、またカーブも少ないので快適に山に登る事が出来ました。 駐車場に車を止めると、昨日同様強い風に吹き飛ばされそうになりながら、お寺を目指します。 一昨年、お蕎麦を頂いたお店の柴犬は、今年も元気そうにしていましたが、家内曰く、「2代目じゃないのかな」。
 祈念の受け付けを済ませ、境内で記念撮影をしたり、だるまのおみくじを引いたりしている内に、ちらほらと本堂の中に入って行く人を見かけます。 指示された時間にはまだ早いものの、折角なので前の方に座ろうと我々も本堂に入りました。 祈念の時間が近づくにつれ、堂内に入って来る人々は増え、最終的には入りきれない程の人が集まったようでした。

 時間が来ると、まずは@@@
 ご祈祷が終わり、焼香を済ませると今度は、「草踏み神事」です。 一昨年の経験を生かし、前の方に陣取りました。 驚いた事にお坊様の後に続いて、本堂の周りを一周し終えても、まだ歩き始められない方々がいらっしゃいました。 一体、全部で何人位の方々が参加されたのでしょうか。 その後、お坊様のお話を伺い、解散となりました。

一畑寺
 一畑寺(いちばたじ)は、出雲神話の国引きで名高い島根半島の中心部、標高300メートルの一畑山上にある。 「目のお薬師様」として、古くから全国的な信仰の広がりを持つこのお寺は、1300段余りの石段(参道)でも有名である。
 創開は、平安時代寛平六年(894)、一畑山の麓、日本海の赤浦海中から漁師の与市が引き上げた薬師如来をご本尊としておまつりしたのが始まりで、与市の母親の目が開いたり、戦国の世に小さな幼児が助かったことから、「目のやくし」「子どもの無事成長の仏さま」はじめ、諸願に霊験あらたかなお薬師様として篤く信仰されいる。

駐車場の看板
本殿に続く石段
薬師堂

案内図にだまされた

一畑薬師[11:15] − → 鰐淵寺[11:55]

 予定より少し早くご祈念が終わったので、出雲大社に向かう途中で鰐淵寺に寄る事にしました。 鰐淵寺は宍道湖側(南側)からは道が無く、日本海側(北側)に回ってから山を登って行きます。 カーナビでは寺までまだ距離がありそうな場所に第一駐車場があり、車を止めましたが、これが失敗でした。 娘を途中から抱っこして濡れている参道を上がっていくのは一苦労です。 しかも山門の向こうに車が止まっているのを見たときには、ドッと疲れが出てしまいました。
 鰐淵寺は@@@

鰐淵寺
 

とんでもない所へ

鰐淵寺[13:00] − → 八雲[13:30]

 鰐淵寺から日本海側まで戻って来ると、道路標識が「右 出雲大社」と出ています。 カーナビは来た道を引き返すように指示していました。 同じ道を走るのはつまらないと道路標識に従ったのが大きな間違いでした。 道幅はとても狭く、最初は日本海に面した崖に張り付いたような道を、次には集落の中の民家の裏道を抜けるような生活道路を、最後は林の中の林道のような道を通る羽目になりました。 極めつけは最後に出雲大社に抜けた所でした。 なんと本殿と神楽殿の間の道で、いつも大駐車場から拝殿に向かう際に横切っていた道でした。 その道を通っている間は、何か、出雲大社の中を横切っている感じを受けてしまって、妙に恐縮してしまいました。

満員御礼

 祭日と有って駐車場は大混雑です。 暫く待って、誘導員の指示に従って車を止めました。
 さて、今回はいつもの「荒木屋」とは趣向を変えて、参道の途中にある「八雲 東店」で出雲そばを頂きました。一階は超満員で、比較的空いている二階に上がりましたがここも一杯です。 少し待って、相席で何とか席を確保する事が出来ました。  荒木屋は4段でも5段でも同じ割子なのですが、八雲では割子毎に種類が異なっています。 私が五色割子を家内と娘は三色割子を頼みました。 五色の内訳はとろろ、生卵、大根おろし、かつお節、揚げ玉です。 私が次々に新しい種類のものを食べているのに目が行ってしまったのか、娘が思いの外食べてくれず、結果的には私が6段分、家内が4段分食べることになりました。 出雲そばは大好物ですので、一向に構わないのですが流石にお腹が一杯になりました。

八雲 東店

すごい人だかり

 流石に出雲大社です。 駐車場が一杯だったように、境内も多くの人々で賑わっていました。 ちょうど式年遷宮用の仮宮を境内に仮設している所で、境内もいつも以上に狭く感じました。 拝殿を挟んだ反対側では、お神楽の舞台が設置されていて、お神楽が上演されていました。 今まで(八重垣神社を除く)は、参拝する方が殆どいない所ばかりでしたので、人に圧倒されてしまい、早々に立ち去る事にしました。
 また、出雲大社では新しく出来た「歴史民族博物館?」の見学も予定していましたが、時間の都合上これも今回は見送りとしました。

出雲大社
 縁結びの神・福の神として、全国の人々に親しまれている出雲大社は「大国主神」をおまつりし、本殿は国宝になっている。 また、日本で最も古い神社建築の形式をもったいわゆる『大社造り』で、伊勢神宮の『神明造り』とともに代表的な神社建築である。
正面の拝殿は、昭和34年に再建され、桧造りの美しい色艶と長さ8メートル、重さ1500キロの大しめなわが参拝客の目をひき、荘厳さに思わず気が引き締まりまる。 拝殿の奥が大国主神を祀る、国宝出雲大社本殿で、瑞垣・玉垣に囲まれており、瑞垣の門を八足門といい普通一般にはここから拝する。正月5日間はこの門が開かれ、楼門前で参拝出来る。

海は大荒れ

出雲大社[14:30] − → K29 → 日御碕神社[15:10]

 帰り際も相変わらず駐車場は混雑しており、駐車場から出るのも一苦労です。 日御碕神社へは海岸沿いの道路を通りましたが、風が強い影響で海の荒れは収まりそうも有りません。
 神社で参拝を済ませるとすぐそばにある「グラスボート乗り場」まで行ってみました。 一応、係の方が居て運行はしているようですが、海は相変わらず大荒れなので、今回も見送る事にしました。

日御碕神社
 日沈宮は、神代以来現社地に近い海岸(清江の浜)の経島に御鎮座になっていたが、村上天皇の天暦二年に勅命によって現社地に御遷座致されたのである。 経島に御鎮座の由来を尋ねるに、神代の昔素盞嗚尊の御子神天葺根命が清江の浜に出ましし時、島上の百枝の松に瑞光輝き「吾はこれ日ノ神なり。 此処に鎮りて天下の人民を恵まん、汝速に吾を祀れ。」と天照大御神の御神託あり。 命即ち悦び畏みて直ちに島上に大御神を斎き祀り給うたと伝えられている。

 神の宮は神代以来現社地背後の「隠ヶ丘」に鎮座せられていたが、安寧天皇十三年勅命により現社地に御遷座せられ後「日沈宮」と共に日御碕大神宮と称せられる。

イカくさ〜い!

 日御碕灯台の駐車場に車を止めて、後部座席のドアを開け、寝ぼけている娘に「何か臭わない?」と問いかけたところ、くんくんと辺りの臭いを嗅いで、にたーっと笑って一言、「イカくさ〜い!」。
 帰りに買ってあげると約束し、灯台まで歩かせました。 灯台に着くと今度は、灯台に登りたいとダダをこねます。 何年か前に灯台の上まであがった事が有りますが、急傾斜でしかも靴を脱がなければならないので娘を抱いて登ることは到底不可能です。 一人で登れるようになったらねと、言い聞かせてイカ臭い土産物街に戻りました。 約束どおり、焼きイカを一杯買い、お店で食べさせました。 食べ終わった娘は満足したようで、車に乗せて動き出すとすぐに寝てしまいました。

日御碕灯台

ついでにもう一つ

日御碕灯台[16:00] − → K29 → 長浜神社[16:50]

 日御碕灯台を16時に出発したので、もしかするともう一箇所廻れるのではないかと、長浜神社を目指しました。 神社の入口に駐車場が有りましたが、神社までかなり距離が有りそうです。 娘が寝てしまっているのですが、置いていくには遠すぎます。 よく見ると、参道の脇に細いながらも車が通れる道が有り、上にも駐車場が有りそうです。 脱輪しないように気をつけながら上がって行くと、第一駐車場が有りました。
 参拝して御朱印を頂いている間に家内が調べたところ、ここは先ず神門の脇の竜へ蝋燭を捧げてから参拝するのが慣わしであることが判りました。 参道を通らずに、脇から入ってしまったのが失敗の原因です。 拝殿に近い場所にある駐車場まで車で来てしまうと、時々このような失敗をしてしまう事がありますが、それはそれで仕方ないですね。

長浜神社
 

 また、拝殿の前で面白いものを見つけました。 出雲の国名の由来となったもので、「出」の字型に木が組んであるものです。これは「巌藻(いづも)かけ」と呼ばれるもので、この地方では忌明けの後、海で身体を浄めた証しに海岸の海草をもって神社へお参りします。 お供え物でもあるこの神聖なる海草は「いづも」と言われ「出雲」の語源になったものです。 巌藻かけには実際に海草が供えられていました。

   
 

カーナビも役に立つ

長浜神社[17:00] − → R9 → 江津I.C. → 山陰、中国、広島、山陽自動車道 → 大竹I.C. → 自宅[20:30]

 長浜神社でカーナビの行き先を自宅に設定すると国道54号線、中国自動車道ルートではなく、国道9号線、浜田自動車道ルートを示しています。 確かに長浜神社まで来てしまっているので、国道54号線を使うには少し戻る事になります。 ここは一つカーナビに従おうと、国道9号線で西へ向かいました。 国道9号線は東行きは混んでいるものの、西行きは比較的空いています。 時々、ローカルなスピードの遅い軽自動車が割り込んで来ますが、まずまずのスピードで移動出来ました。 54号線に比べると、道の高低差も少なく、相対的に楽に感じます。 その内、山陰自動車道の江津ICの案内が出、スムースに高速道路に乗ることが出来ました。 結果的にはカーナビの指示に従って正解だったようで、時には役に立つものだと見直してしまいました。
 今回は20寺社中12箇所に参る事が出来ましたので、今後は機会を見て、20箇所制覇を目指したいと思います。


訪問場所のご案内

名称
内容
住所
電話番号
備考
夢みなとタワー ランドマーク 〒684-0046 鳥取県境港市竹内団地255-3 0859-47-3800
ル・ミストラル レストラン 〒684-0046 鳥取県境港市竹内団地255-3
夢みなとタワー4F
0859-47-3860  
ウエダの洋菓子/和多見町店 洋菓子 〒690-0005 島根県松江市和多見町76 0852-22-1203  
島根県立美術館 美術館 〒690-0049 島根県松江市袖師町1-5 0852-55-8311
東横イン 松江駅前 ホテル 〒690-0003 島根県松江市朝日町498-10 0852-60-1045
旨味牛たん 玉田屋 居酒屋 〒690-0845 島根県松江市西茶町58 0852-25-6089
西洋軒 レストラン 〒690-0847 島根県松江市片原町111 0852-22-3434
弁慶の里道の駅本庄 道の駅 〒690-1114 島根県松江市野原町401-8 0852-34-1528  
松江フォーゲルパーク 動植物園 〒690-0263 島根県松江市大垣町52 0852-88-9800  
東横イン 出雲市駅前 ホテル 〒693-0001 島根県出雲市今市町971-13 0853-25-1044
武志屋本店/茶寮 食事 〒693-0001 島根県出雲市今市町本町1626-2 0853-22-6421  
そば処 八雲 食事 〒699-0701 島根県出雲市大社町杵築東276-1 0853-53-4827  



Copyright (C) N2 & K2 Ishimaru 2007-2009. Allrights reserved.