最終更新日; 2007年05月21日

親父達と一緒に [2007/03/16〜19]

新山口

自宅 − → 岩国IC → 山陽自動車道 → 南山口IC → 新山口駅

 東京に住んでいる妹が休みを取れそうとの連絡が入り、親父と妹を連れて山口県内観光を計画しました。 大阪から移動して来る親父達には新山口で一泊してもらい、朝、ホテルまで迎えに行きました(後になって考えると失敗でした。 下関に泊まってもらえば良かった)。

功山寺

新山口駅 − → 小郡IC → 中国自動車道 → 小月IC → R2, 9 → 功山寺

 ホテル前で親父達を乗せた後、功山寺に向かいました。 長府の町中は年度末の道路工事で予定の道が通れなくなっています。 今まで遊歩道だと思っていた川沿いのコースを通るなど迂回はしたものの、スケジュールより少しずつ早めに行動していたお陰で、予定より30分も近く早く到着してしまいました。 暖かかった2月の勢いなら丁度桜の見頃だったかもしれないのですが、3月に入り寒い日が続き、桜も一休み状態で、まだ咲く気配もありません。 「吉兆」での昼食は11時からですので、30分強の時間を持て余してしまいました。

功山寺
 元応二年虚庵玄寂禪師開創で金山長福寺と号した。
足利尊氏、足利直冬、長門守護厚東氏、大内氏等の帰依を受け隆盛を誇った。 弘治三年大内義長が毛利元就に敗れ仏殿で自刃をした大内氏終焉の地であり、その後の戦乱で寺も荒廃し中世に誇った大内文化も衰退する。 慶長七年毛利秀元が修復、寺門を興隆し、慶安三年功山寺と改称する。 元治元年三条実美等七卿が潜居中に高杉晋作が門前で義兵の旗挙げをした維新発祥の地でもある。 門前通りから入る総門は創建当初の建築で老朽化し、掲額の“海右第一峰”右側の“不許葷酒入山門”の石牌に古刹感が漂う。 因に海右の右は山号の金山の金と共に西を意味し西方第一の禪刹の呼称か。 更に老楠・楓等の聳える参道に続く雄大な二層の山門は参拝客を圧倒する。 又山門の柱間より見る国宝仏殿は幽玄な額入りの絵のように幻想的であるが、境内では檜皮葺の重厚な建物となる。 隣の法堂から奥に書院七卿の間がある。

吉祥

 お昼は功山寺境内にある「吉祥」での御粥御膳を予約しておきました。 ここ「吉祥」は季節に合わせて、毎月御粥の内容が異なり、今月は「もずく」が準備されていました。 オンシーズンには、予約を入れるのも難しい吉祥ですが、季節外れの平日ともあって、客は我々のみの貸切状態でした。
 「もずく粥」は意外と美味しく、親父達にも好評でひとまずホッとしました。 娘はじっとして居られない様で、他のお客様が居ない事を良い事に座敷で一人で踊りまくっていました。

かゆ御膳 「弥生」版
中庭

長府毛利邸

功山寺 - → 長府毛利邸

 腹ごなしも兼ねて近くの長府毛利邸まで散策しました。 長府毛利邸は、長府毛利家14代当主の毛利元敏公の邸宅で、明治三十六年から大正八年まで使われていたそうです。 早春でお庭も準備中らしく、苔も茶色いままで松の緑だけが目立っていました。
 相変わらず娘はお屋敷の中を駆け回っており、捕まえるのに苦労しました。

長府毛利邸入口
お庭

赤間神宮

長府毛利邸 − → R9 → 赤間神宮

 早起きをして流石に疲れたのでしょうか。 赤間神宮に着く頃には娘は寝てしまい、そのまま車に残して行こうとしたら、何かのはずみで感づかれ、結局抱っこしての参拝となりました。 赤間神宮は平家と縁が深い神社で紋は「あげは蝶」が羽を広げた形を使っています。 母方の祖母は、能登の時国家の出身で、家紋は「あげは蝶」が羽を閉じたもので、何か親近感を覚えました。
 境内には関門大橋を一望する事が出来る場所があります、橋との間にマンション等背の高いビルが立ち並んでしまい、関門大橋は切れ切れにしか見る事が出来なくなっていました。 ちょっと残念です。

赤間神宮
壇之浦の合戦で源氏に敗れた安徳天皇は平家一門と共に壇之浦に崩じ、赤間関紅石山麓阿弥陀寺境内に奉葬された。 建久二年 朝廷は長門国に勅して御陵上に御影堂を建立させた。 明治維新の後、阿弥陀寺を廃し 御影堂を改めて天皇社と称せられ明治八年十月七日勅命をもって官幣中社に列し、地名に依り社号を赤間宮と定め、社殿を造営、その後昭和十五年には官幣大社に列格し、宮号を改めて赤間神宮となった。

唐戸市場

赤間神宮− → R9 → 唐戸市場

 ガイドブックで調べたらしく、妹が下関名物の「ふくカレー」と「くじらカレー」を手に入れたいと言い出したので、赤間神社近くの唐戸市場に向かいました。 ところが着いたのが14時過ぎで当然市場は終わっています。しかも商店も殆どシャッターを下ろしており、居るのは閉店間際の寿司等の叩き売り目当てのお客さんばかり。 そんな中でも幸いな事に、目的としていた「ふくカレー」と「くじらカレー」をゲットする事が出来ました。 いつの間にか別行動していた家内はどこからか「鯨の竜田揚げ」を手に入れ、こちらも皆さんに大好評で、市場を見学する事は出来なかったものの、楽しい一時を過ごす事が出来ました。 駐車場から出るときに気付いたのですが、観光客向けの「カモンワーフ」は隣の建物で、そこであれば苦労せずに各種のカレーを手に入れることが出来たのかもしれません。

瑠璃光寺

唐戸市場 − → 下関IC → 中国自動車道 → 小郡IC → R9 → 瑠璃光寺

 下関を後に再び山口市内に戻りました。 目的地は瑠璃光寺です。 香山公園の駐車場に車を止めると、瑠璃光寺までは歩いての移動です。 しばらく来ない内に、この一帯はすっかりと整備されていて、ちょっと戸惑ってしまいました。
 五重塔は相変わらず美しく、来るたびに雪景色の中の五重塔を見てみたいという思いが募るのでした。

瑠璃光寺
 瑠璃光寺は、文明三年(1471)に陶弘房の夫人が夫の菩提寺として吉敷郡仁保村に建立したもので、最初は安養寺と称していた。 その後、明応元年(1492)に弘房随身の薬師如来を本尊とし、寺号を瑠璃光寺と改めた。 仁保から現在の場所に移ったのは元禄三年(1690)のこと。毛利輝元が萩入りし、香積寺を萩に引寺し、跡地に仁保から瑠璃光寺を移築しました。

サビエル記念聖堂

瑠璃光寺 − → サビエル記念聖堂

 サビエル記念聖堂も再建されてから初めての訪問です。 とても近代的な建物になってしまい、昔の趣は残っていませんでした。 教会で演奏していたパイプオルガンの音響に娘がちょっとびびっていましたが、後は例の如く、そこら中を走り回っては、我々に叱れる事を繰り返していました。

新サビエル記念聖堂

梅乃屋(湯田温泉)

サビエル記念聖堂 − → 湯田温泉

 梅乃屋は湯田温泉街の真ん中辺りに位置しています。 食事は部屋食の「ふく会席」で、とても美味しく頂きました。 皆で食事している時には興奮してしまって殆ど食べなかった娘ですが、食事を終え、親父と妹が自分の部屋に帰り、食事を下げるように係の方に連絡して来て貰った途端に、残っていた「ふく雑炊」を食べ出し、係の方に迷惑をかけてしまいました。
 お風呂はこじんまりとしていて、食事前と朝起きてすぐの2回堪能しました(食事の後は、酔っ払ってしまい、危ないので遠慮しました)。  お茶菓子として出されていた「ゴボウ煎餅」が意外とおいしく、お土産に求めて宿を後にしました。

ふく会席
朝食
梅乃屋

秋芳洞

湯田温泉 − → R435 → 秋芳洞

 公営の駐車場探しに迷いながらも、何とか第二駐車場を見つけ車を止めました。 朝が早かったせいか、殆ど車が止まっていません。 鍾乳洞の入口までの商店街もまだ店開き前でした(何故か、店の前の池にも鯉がいませんでした)。
 鍾乳洞に来るのは13年振りですが、鍾乳洞入口の通路が変わっています。 そういえば、数年前に台風か何かの被害で通路が流されてしまい、新しく架け直したというニュースが流れていた事を思い出しました。 また、鍾乳洞の内部は、かなりコケが生え緑色に変色している部分が目立ちました。 これもニュースでやっていましたが、白熱灯等の照明の光と熱で鍾乳石にコケが生えてしまい、鍾乳石が崩壊する危機にさらされているのだそうです。 対策としては、熱を出さない発光ダイオードなどに代替することを検討しているようですが、まだまだ時間がかかりそうです。
 娘は妹が気に入ったらしく、ずっと手を繋いでもらいながら、鍾乳洞の中を歩き通しました。

秋芳洞入口
黄金柱

秋吉台

秋芳洞 − → 秋吉台 → 秋芳洞

 黒谷支洞の黒谷口まで行った後、引き返しエレベータで一時、外に出ます。 秋吉台案内所から坂を登って行くと、秋吉台のカルスト展望台に辿り着きます。 秋吉台案内所からもなんとかなだめすかして、娘を歩かせました。
カルスト台地は山焼きの後で、一面焦げ茶色の台地が広がっていました。 もう少し暖かくなると、一面緑一色に埋め尽くされるのですが、この時期は殺風景です。 かなり強く風が吹いており、肌寒さを感じましたが、娘は一人気を吐いて展望台のスロープを駆け回っていました。

秋吉台

浜屋(釜飯)

秋吉洞 − → K31 → 仙崎

 秋芳洞から出ると、両側の商店街は店開きをしていました。 不思議な事に、店の前の池には鯉が泳いでいました。 鯉にも営業時間が有るのでしょうか。
 秋芳洞の後に、別府弁天池に寄る予定にしていた事をすっかり忘れて、仙崎に向かってしまいました。 お陰で、湯本温泉を見せそこなってしまいました。

仙崎港の駐車場に車を止めると、お昼を予定している浜屋へ向かいました。 ここは釜飯で有名なお店で、13年前もここで食べた事を記憶しています。  うに釜飯はもちろん美味しく頂きましたが、意外と好評だったのが鯛釜飯です。 「うに」とは違ってあっさりとした味付けの中にも、潮の香りがして、こちらも美味しく味見をさせて頂きました。 値段を考えると、こちらの方がお勧めかもしれません。

うに釜飯

青海島

仙崎港 − → 青海島 → 仙崎港

 お腹が一杯になったところで、青海島を一周する観光船に乗り込みました。 通常ですと、青海島の周囲を一周してもらえるのですが、この日は風が強く、外海には出られないとの事で、途中で引き返す「赤瀬コース」でした。
 13年前は風と波飛沫を直接感じる事が出来る普通の観光船でしたが、今回は下の写真にあるような鯨の形を模した完全に密閉された船で多少の波でも平気です。 実際に海に出てみると、非常に快適で日差しを浴びてかえって暑いくらいでした。 途中、引き返す前に少しだけ外海に出ましたが、波のうねりの規模が比較になりません。 この状態で5分も揺られれば船酔い間違い無しです。 ふと隣にいる娘を見ると、船が上下するたびにキャーキャーと楽しんでいます。 重力加速度が体にかかるのが大好きな困った娘です。

シータス
ピンクシータス
潮を吹くシータス
 
花津浦

松陰神社

仙崎港 − → R191 → 松陰神社

 仙崎で観光船を堪能した後に、萩市内へ向かいました。 松陰神社は本殿が工事中でした。 特に見所も無く、御朱印を頂くとすぐ隣にある今日のお宿へと向かいました。

松陰神社

萩本陣(萩)

松陰神社 − → 萩

大きなホテルで丘全体がホテルの敷地のようになっています。 チェックインを済ませると、先ずはモノレールに乗って見ました。 このモノレールは、元々山の中腹にあった露天風呂に移動する手段として用いられていたそうですが、最近、1Fに新しく温泉施設をオープンしたために山の中腹にあった露天風呂は閉鎖されてしまい、現在は山頂の展望台への移動手段としてのみ使われているそうです。 山頂からの眺めは抜群に良く、萩の町を一望にする事が出来ます。 夜も運行しているので、夜景はさぞ綺麗な事と思います。

 食事は今一つでした。 ふく料理も出ましたが、昨日美味しいものを頂いたばかりであまり感動はありません。 仲居さんの接客対応も出来ていなくて、どちらかと言えば不満が残る対応でした。 一方、風呂は新しく出来ただけの事はあって、そこそこのものでした。 「椿の湯」と「紅葉の湯」それぞれに7種類の風呂が回遊式に配置され、ぐるっと一周する事が出来、朝と晩では男湯と女湯が入れ替え制ですので、頑張れば一泊で14種類の風呂を楽しむ事が出来ます。 当然、晩と朝の二回入りましたので、全てを楽しむ事が出来ました。 娘もたまたま妹と風呂で一緒になって、色々な風呂を楽しんだようです。

萩本陣
奥萩モノレール
展望台から眺める笠山方面
 
夕食
朝食

萩散策

萩本陣 − → 萩

 萩市内の観光といっても範囲が広く、また明治維新にあまり興味もないので、今回は趣向を変えて船上からの萩観光にトライして見ました。 萩城跡の駐車場に車を止めて、指月小橋横にある遊覧船のりばに向かいました。

萩八景遊覧船に乗って

 9時前に着いてしまったのですが、お年寄りばかりの係の方は快く舟を出す準備をしてくれました。 一番乗りだったらしく、我々だけで貸しきりです。 娘に小さな救命胴衣を着せると遊覧船に乗り込みました。 3月中旬とは云え、朝の川面の風は冷たく舟に用意されていた毛布と携帯カイロは有り難かったです。
 萩八景とは三代藩主の毛利吉就がお抱えの絵師らに命じて、萩城下の佳景を選ばせたもので、阿武川の三角州にある萩の町の周囲を取りまくように作られたものです。 萩八景遊覧とは云っても、残念ながら八景の内の3カ所を巡るに留まりますが、それでも水面から見る萩の町は普段とは全く異なる佇まいで、朝の風とともに清々しい気持ちになりました。

萩八景遊覧船のりば
乗せて頂いた舟
旧田中別邸
観音院
指月山

夏みかんゼリーを求めて

 萩といったら夏みかんゼリーです。 何処に行っても売っているのでしょうが、我々は必ず旧球場跡地の駐車場入口に店を構えているところで買い求める事にしています。 今回は夏みかんゼリーに加えて、「マーマレードの缶詰」というものが売られていましたので、興味半分に購入しました(後日、家で開けてみると文字通りマーマレードの缶詰でした。 別の容器に移して保管する必要がありますが、意外と美味しいものでした)。

笠山

萩 − → R191 → 笠山

 萩の笠山でちょうど「椿まつり」が開催されているとの事でしたので、市内散策は取り止めて笠山に向かいました。 「椿まつり」は2月上旬から3月中旬に行われていて、多くの観光客で賑わうそうです。

萩ガラス工房

 椿の原生林に向かう途中にある萩ガラス工房を訪れました。 活火山であるここ笠山で産出される石英玄武岩を原料として作られているのが萩ガラスで、熱につよく堅く薄い緑色をしています。 干支のグラスなども有り、手が出そうになったがなかなかのお値段で、ちょっと遠慮させて頂いた。 家内は小さな花瓶を求めていました。

椿の原生林

 桜とは逆に椿はピークを過ぎて名残の椿となっていました。 最盛期に展望台から眺めると、まるで赤い絨毯を敷き詰めたように見えるそうですので、ちょと残念でした。
 昨日歩き回った娘は、流石に足に疲れが溜まっていた様ですが、露店の「焼きイカ」をだしに何とか歩かせる事に成功しましたが、我々が予想していた大きな焼きイカとは違い、かなりガックリしていました。 当然の事ながら、帰りは抱っこでした。

椿の花々
枯れ始めている椿(笠山黒)
椿の林

津和野散策

笠山 − → R191, K31, R9 → 津和野

 3日目の最後の予定は津和野です。 今回は、素直にカーナビに従って運転したおかげで、比較的短時間で移動する事が出来ました。 町営の駐車場に車を止めると、昼食を予定している能濃に向かいました。

能濃

 元々は(今でも)喫茶店だったお店で、郷土料理の「うずめ飯」を食べる事が出来ます。 中に入ると地元の常連さんと我々のような観光客とが半々で、一種独特の雰囲気を醸し出していました。 暫く待つと、「うずめ飯」が出てきました。 「うずめ飯」とは、しいたけ、にんじん、かまぼこ、豆腐などをさいの目切りにしたものを昆布出しで煮たものをご飯の下に埋めてたお茶漬けのような食べ物ですが、これが意外とおいしくさらさらといけてしまいました。

うずめ飯

お堀の鯉は食傷気味

 お腹が一杯になったところで、津和野の町並みを散策しました。 津和野の町はお堀に沢山の鯉がいる事で有名です。 また子供達は、何故か鯉に餌をやるのが大好きです。 という事で、鯉の餌を買いまいたのですが、多くの観光客が同じように鯉に餌をやるためか、どの鯉も食傷気味で見向きもしません。 これには娘もちょとがっかりです。

大風呂敷を探して

 ここで突然、妹が大きな風呂敷が欲しいと言い出しました。 民芸品店などを探しましたが、紙の町だけあって紙製品は多々あるもの、布である風呂敷を取り扱っている所はなかなか見つかりません。 ひょっとしたら「安野光雅美術館」に有るかもしれないと、美術館のミュージアムショップに立ち寄りました。 カルタ柄の大風呂敷があり、妹はこれでOKと買い求めて行きました。 思い出の品となると良いのですが。

太鼓谷稲成

 普段は鳥居を潜って上まで登るのですが、流石に草臥れてしまい車で上がって参拝しました。 御朱印を頂くのに手間取ってしまい、皆を待たせながらの参拝となりました。 もう少しすると周りの山々の若葉の緑に、神殿の朱が映えてとても綺麗です。

 津和野は日曜日だけあって、そこそこの混み具合でした。 参拝を終えると津和野を後に岩国に戻りました。

いちご狩り

岩国駅前 − → R181 → 周防大島

 4日目は岩国近郊プラントして「いちご狩り」を計画しました。 おなじみの「ファームランド」であれば自信を持ってお勧め出来たのですが、残念ながら平日は営業していないとの事でしたので、次善の策として周防大島の「周防大島元気村」でのいちご狩りを計画しました。 ここには名物村長さんが居て、良くローカル局などが取材している所ですが、半分趣味でやっているような雰囲気もあり、親父達に満足してもらえるか心配でした。
 結果的には、「ファームランド」を知っている我々としては今一つの印象が拭えませんでしたが、いちご狩りが初めてだという親父達にとっては、楽しい体験だったらしく、一安心でした。
 
もう一つ残念な事は、大島大橋の袂に「せとみ」という釜飯の美味しいお店があるのですが、ここも月曜日はお休みとの事でしたので、今回は断念せざるを得ませんでした。 観光には月曜日は向いていないのかもしれませんね。

ビニルハウスの中
水耕栽培のいちご
収穫

錦帯橋界隈散策

周防大島 − → R181 → 錦帯橋

 錦帯橋界隈も先日来の寒波で桜がお休みしてしまったようで、一面の桜を見せる事が出来ませんでした。 いつもは川面に見える魚の陰もなく、休日明けの月曜日は皆さんお休みモードに入っているかのようでした。
 4日目に入り、流石に疲れたのかしきりに抱っこを迫る娘も、吉香公園で猫を見つけた途端に、一目散に追いかけて行ったのにはちょっとびっくりしました。

解散

錦帯橋 − → 岩国I.C. → 山陽自動車道 → 小郡駅 → 広島空港

 4日間の日程を全てこなし、親父達を広島空港まで送っていくと、そこで解散となりました。 自宅に連れて行くことが出来なかった事や、13年前に友達と回ったプランに縛られてしまい、後から考えるともう少し効率的なプランも立てられたのではないか等と反省点もありますが、全体としては楽しい時間を過ごす事が出来ました。 次回は、もう少しエリアを絞ってじっくりと楽しみたいと思います。


訪問場所のご案内

名称
内容
住所
電話番号
備考
吉祥 食事 〒752-0979 下関市長府川端1-2-3 0832-45-1600  
唐戸市場 市場 〒750-0005 下関市唐戸町5-50 0832-31-1440  
サビエル記念聖堂 教会 〒753-0089 山口市亀山町4-1 083-920-1549  
梅乃屋 宿泊 〒753-0056 山口市湯田温泉4-3-19 083-922-0051  
浜屋 食事 〒759-4106 長門市仙崎祇園町4137-5 0837-26-1436  
青海島観光汽船 観光船 〒759-4106 長門市仙崎字漁港南4297-2 0837-26-0834  
萩本陣 宿泊 〒758-0011 萩市大字椿東385-8 0838-22-5252  
萩八景観光船 観光船   0838-25-3139  
萩ガラス工房 ガラス工房 〒758-0011 萩市大字椿東越ケ浜4区1189-453 0838-26-2555  
能濃 食事 〒699-5605 島根県鹿足郡津和野町後田イ52−2 0856-72-0238  
安野光雅美術館 美術館 〒699-5605 島根県鹿足郡津和野町後田イ60−1 0856-72-4155  
周防大島元気村 農園 〒742-2103 山口県大島郡周防大島町大字西屋代和田 0820-79-3593  



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