最終更新日; 2009年07月11日

神社巡りは難しい [2006/10/13〜15]


ちょっと遅れて出発

自宅 - → 岩国I.C. → 山陽、中国、名神高速道路 → 瀬田西I.C.

 今年の法事旅行も大津に一泊して、琵琶湖近隣の寺社仏閣巡り(建部大社、石山寺、三井寺、近江神宮、日吉大社)を計画しました。 盛り沢山の計画を立てましたが、果たして全て回れるでしょうか。

 

ちか定でお昼を

瀬田西I.C. - → ちか定

 瀬田西I.C.で高速を降りるともうお昼過ぎです。 建部大社に直行する予定を変更して、まずは「ちか定」でお昼にしました。 ちか定は、鰻や鯉など琵琶湖で採れる淡水魚を素材としたお店です。 私は「ひつまぶし」を、家内は「うな重」を注文しました。 鰻の焼き方は関西風なので、蒸さずに焼くだけなのですが、家の近所で食べるものとは違い、ふっくらとして脂も乗っています。 家内共々、とっても満足して次の建部大社に向かいました。

ひつまぶし
ちか定

建部大社

ちか定 - → 建部大社

 ちか定から車で10分位の所に、建部大社があるはずでした。 が、カーナビの指示に従うと住宅街に入ってしまい、目の前の神社に辿り着けません。 カーナビの地図で周辺の道路を調べてみると、この住宅街から神社に抜ける道はなさそうです。 一度、広い道に戻り、改めて神社を目指して進むと、ようやく神社の参道らしきところを見つける事が出来ました(実は後になって判った事ですが、この参道は一方通行だったようです。)
 御朱印を頂いている間、家内と娘は池の鯉と戯れていました。 裏はすぐに住宅街ですが、やはり神社の境内は凛としていて気持ちが洗われる思いがします。

建部大社
 景行天皇の四十六年神勅により御妃布多遅比売命が、御子稲依別王と共に住まわれた神崎郡建部の郷に日本武尊の神霊を奉斎されたのが当社の草創であって、その後天武天皇白鳳四年当時近江国府の所在地であった当瀬田の地に迂祀し、近江一之宮として崇め奉ったのが現在の当大社である。

石山寺

建部大社 - → R422 → 石山寺

 建部大社でのお参りを済ませ、石山寺に向かいます。 石山寺には駐車場がなく、川辺の少し離れた場所にある駐車場に車を入れました。 駐車場から山門までの間にはぽつりぽつりとお店が開いています。 駐車場もその辺りのお店が共同で運営している様でした。 拝観料を払って境内に入ると、トイレがありその正面に石段が続いています。 ここで娘をトイレに行かせなかったのが大失敗でした。 更に階段を上がって、本堂についた所で娘がトイレに行きたいと言い出しました。 係の方に聞いてみると、先程の石段の下まで戻らないとトイレはないとの事で、家内に抱っこさせてトイレに向かわせました。 そんなこんなで、ゆっくりと参拝できずに石山寺を後にしました。

石山寺
 聖武天皇の勅願により天平勝宝元年良辧僧正によって開基され、歴朝の尊祟あつい由緒ある寺院である。本堂は懸下木造建築最古のもので、内陣は平安中期。外陣は淀君の修補になるもの。本尊観音は勅封となっている。 堂内「源氏の間」は紫式部が「源氏物語」を書いたところと伝えられている。

日吉大社

石山寺 - → R422, R161 → 日吉大社

 石山寺からはホテルの前を通り、三井寺や近江神宮の前を抜けて日吉大社に向かいました。 ホテルでの夕食時間を17時半からと勘違いしていたせいで、三井寺と近江神宮参りは断念しました(実は19時半からだったので、どちらかは参拝する余裕があったのですが)。 日吉大社は比叡山の麓にあり、鬱蒼とした森の中に佇んでいました。 日も暮れかかり、人気の無い境内を散策するのは違った意味で気持ちの良いものでした。

日吉大社
 都が平安京に遷り、京都が日本の中心になると、当社が都の表鬼門(東北)に当たることから、国民並びに都の鬼門除け更には国家の鎮護、方除け、魔除け、災難除けの祈願の社とされ、延久三年(1071)後三條天皇の行幸がなされ、以来歴代の慣例となるほどとなった。土木建築の守護神として武家の崇敬も篤く、武家が一国の城主に封ぜられると、その城及びその封ぜられた国の鎮護の神として分霊を遷し奉られた。伝教大師が比叡山に天台宗の延暦寺を建立し開宗されると、天台宗の護法神、あるいは伽藍神として仏教とも深い関係を持つに至り、「日吉山王」と称された。

琵琶湖ホテル

日吉大社 - → R161 → 琵琶湖ホテル

 今回は予約通りの部屋でしたが、それでも前回と遜色なく、贅沢な一時を過ごす事が出来ました。 前述の様に夕食の時間を間違えてしまい、時間つぶしにホテル界隈の薬局を探しがてら散策しました。 路面電車有り、裏ぶれた商店街有りとなかなか楽しい散策でしたが、娘を抱っこしながらの散策は辛いものがありました。

墓参り

琵琶湖ホテル - → 大津I.C. → 名神、北陸自動車道 → 金沢西I.C. → 内灘I.C. → 能登有料道路 → 和倉I.C. → 信行寺

 翌朝、ホテルを出ると後は能登半島に向かうだけです。 朝食のバイキングを食べ過ぎたお陰で、昼食休憩を取る事も無く快適に和倉温泉に到着しました。 但し、途中能登有料道路では分岐部分で停車していたり、いきなりUターンしたりと挙動不審の車が数台おり、ヒヤリとさせられる事も何度かはありましたが。

 本堂でお経を上げて頂いている間、娘は比較的おとなしく座っていました。 春の佐賀での法事では、お経を上げて頂いている間、暴れまくっていたので、それに比べれば少しは成長したのでしょうか。

フローイント和倉

 旅館に入ると、早めの七五三のお祝いを妹と親父から貰い、ご機嫌になった娘を連れて大浴場に浸かりました。 おむつも取れ、温泉に行くにも大分楽になりました。 浴槽の泡の出る部分にはちょっとびびっていましたが、それでも楽しそうに温泉に浸かっていました。

まだ残っていたぶどう

和倉温泉 - → 和倉I.C. → 能登有料道路 → 白尾I.C. → ぶどうの木 → 金沢駅

 和倉温泉を出発する前に、ご住職達にご挨拶し墓参りを済ませると、「ぶどうの木」に向かいました。 比較的大きなお店にもかかわらず、カーナビで検索出来ません。 この辺りだろうと地図を睨みながら走っている内に、降りるべきインターチェンジを通り過ぎてしまい、一つ先まで行って引き返す羽目になりました。 しかも津幡バイパスが事故の影響で大渋滞しており、予定よりも30分以上余計にかかってしまいました。
昨年より1ヶ月程遅く、既にぶどうの収穫が終わっているのではと心配していましたが、幸い「ぶどうの木」ではぶどうがまだ実っていて、数種類のぶどうを求め、その後お土産を買いに金沢駅へ、そして小松空港へと向かいました。

ぶどうの木
ぶどう棚

なんと同じだった

金沢駅 - → 金沢西I.C. → 小松I.C. → 中佐中店

 空港へ向かう途中、昨年見つけたうどん屋に立ち寄りました。 相変わらず混んでおり、暫く待たされた後、お目当てのうどんのフルコースを存分に頂きました。 親父や妹の口に合うかちょっと心配でしたが、「美味しい!」と食べてくれてホッとしました。 妹達も何時も空港でうどんを食べていたらしく、そこよりも美味しいなどと会話をしていましたが、帰り際にお店のパンフレットを見ていた妹が、「いつも食べていたお店と同じだ。」と一言。 思わず、皆で笑ってしまいました。

ぶどうの木

父たちを見送って

中佐中店 - → 小松空港

食事の後は、空港まで親父達を見送りに行きました。 娘は名残惜しそうにしていましたが、最後は諦めたらしく、今回の旅行で初めて親父に抱っこして貰いました。 妹に抱かれる分には平気なのですが、年配の男の人にはなかなか慣れてくれません。

帰途に着いた

小松空港 - → 小松I.C. → 北陸、名神、中国、山陽自動車道 → 大竹I.C. → 自宅

 小松空港を出たのが15時近くになってしまい、出来れば帰りに寄ろうと考えていた滋賀の多賀大社参りは当然、見送りとなりました。 後は途中、休憩などを挟んでひた走り。 なんとかその日の内には、家に帰り着く事が出来ましたが、やはり能登からは長い道のりでした。 予定していた神社は、私の勘違いで回る事は出来ませんでしたが、今回も楽しい旅行をする事が出来ました。 回りそこなった三井寺、近江神宮、多賀大社には是非とも次の機会に訪問したいと思います。


訪問場所のご案内

名称
内容
住所
電話番号
備考
ちか定 淡水魚料理屋 滋賀県大津市玉野浦7-4 077-545-5224  
琵琶湖ホテル ホテル 〒540-0041 滋賀県大津市浜町2-40 077-524-7111  
ぶどうの木 ぶどう園他 〒920-0171 石川県金沢市岩出町ハ50-1 076-258-0001  
中佐中店 食事 石川県小松市城南町119 0761-21-7533  



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