最終更新日;2006年05月30日

肥前、筑後の神社巡り [2006/05/13-14]


豪雨の中を

自宅 - → 岩国I.C. → 山陽、中国、九州、長崎自動車道 → 佐賀大和I.C. → 光照寺

 父方の祖父の17回忌と祖母の7回忌の法事が佐賀で行われるので、法事を兼ねて遊びに行って来ました。 但し、法事が11時からなので早朝5時頃の出発となり、ちょっと厳しかったです。 またあいにくの荒天で、土砂降りの中の移動となりました。 おかげでサービスエリアに立ち寄る回数も少なく、9時半頃には佐賀大和I.C.に到着しました。

 朝、慌てて出てきた事も有って娘の靴を持ってくるのを忘れ、佐賀大和I.C.近くのジャスコで購入しました。 このジャスコは非常に良く利用させて頂いており、前回佐賀に来たときはなんと3回も利用してしまいした。

法事中は大騒ぎ

 10時半頃に寺に着くと殆どの親戚は集まっていました。 知らない場所に連れて来られ、暫くはおとなしくしていた娘も次第に慣れてくるとお寺の中は運動会状態です。 法事が始まり暫くはおとなしくしていたものの、飽きてくると奇声を上げるは、積んである椅子に登るは、廊下を走り回るはと大騒ぎでした。

肥前一宮へ

光照寺 - → 佐賀駅 → R264, 263 → 與止日女神社

 法事が思っていた以上に早く終わり、父と妹を佐賀駅まで送ると時間が余ってしまいました。 こんな事なら宿泊せずとも日帰りが出来たものを、とぼやきつつ、予定を繰り上げて肥前一宮である與止日女神社に向かいました。

與止日女神社
 欽明天皇二十五年(564)に創祀され、朝廷の御崇敬篤く、日本三代実録・延喜式・大日本一宮記・神社考その他の諸書に載せられています。 別名河上神社、俗に「淀姫さん」とも呼ばれています。

 神社に向かう途中で目に飛び込んできたのが嘉瀬川の上を泳ぐ鯉のぼりの群れです。 とにかく圧巻でした。 神社に来て見ると神社の横から対岸に向かって何本かのロープが渡してあり、神社が企画して鯉のぼりを揚げているとの事でした。 引き続きいらなくなった鯉のぼりを募集しているようですので、年々規模が大きくなっていくのでしょうか。
 境内では珍しく露天商が出ていましたが、お参りをしている間に店をたたんでいなくなってしまいました。

嘉瀬川の上を泳ぐ鯉のぼり達

 前回、周防国一宮 玉祖神社では、遠慮してしまい御朱印を受け損ねてしまった事を教訓に、今回は社務所らしい宮司さんのお宅を訪れて無事に御朱印を頂く事が出来ました。 社務所に禰宜さん達が常駐されていないような小さな神社では、積極的に宮司さんのお宅を訪問しないと御朱印を集める事は難しいと改めて思いました。

折角の五社参りが

與止日女神社 - → 道の駅「やまと」 → 佐嘉神社

 與止日女神社から更に北上して道の駅に向かいました。 九州内の道の駅3つ目です。 スタンプを押し、更に北上して三瀬を目指そうとしましたが、意外と遠い事が分かり断念、佐賀市内に戻り佐嘉神社に立ち寄る事にしました。

 佐嘉神社は佐賀城の北東の方角に位置しています。  ちょうど鬼門の位置なので、魔封じの意味もあるのでしょうか。 社務所で御朱印を頂いていると、鳩の餌、鯉の餌が売っていました。 家内がそれらを買い求めたとたんに一羽の鳩が家内の手に飛び乗って来ました。 慌てて餌を受け取ると今度は私の腕の上に飛び乗って来ます。 随分、図々しい鳩がいたものです。 鳩と鶏に餌がやれて娘は大喜びしていましたが。

佐嘉神社
昭和八年(1933)に創建され、鍋島藩十代藩主の鍋島直正とその子直大を祀っています。 直正は、西洋文化をいち早く取り入れ、日本最初の反射炉を設けて大砲をつくった人物です。 また、教育制度の充実、医学の普及など数々の功績を残しています。

 拝殿でお参りをしていると「五社参り」のスタンプラリーというのが目に入ってきました。 スタンプラリーには目がありません。 どうやら佐嘉神社、松原神社の境内で五社参りが出来そうです。 早速、スタンプを押しながら参拝に廻りました。 ところが、四社目の松原恵比寿神社にも五社目の松原稲荷神社にもスタンプが置いてありません。 暫く辺りを探して見ましたが、それらしきものは有りませんでした。 折角のスタンプラリーが中途半端に終わりとても残念です。 仕方なく、神社の周りのお堀にいる鯉に餌をやり、佐嘉神社を後にしました。 後から考えてみると、松原神社を廻った所で17時を過ぎてしまっていたので、禰宜さん達に片づけられてしまったのかもしれません。

夕食を堪能して

佐嘉神社 - → 東横イン 佐賀駅前 - → ホテルニューオオタニ佐賀

 佐賀駅周辺でおいしいお店を雑誌、インターネット等で探しましたが適当なものが見つかりません。 和食になると「むつごろう」や「わらすぼ」など珍味とはいえ、美味しいと思えない材料を使った料理が出てきてしまいます。 しかも2歳の幼児連れですので、店の選択も難しくなります。 そこで思いついたのがホテルでの食事です。 ニューオオタニであればそこそこの料理が期待出来、子連れでもOKでしょう。 タクシーでホテルまで移動し、レストランに案内して頂きました。
 レストランのボーイに案内された席の横には丁度娘と同じくらいの子供がいる家族で好都合です。 食事は佐賀牛を使ったステーキコースとドイツフェアコースを頼みました。 どちらも美味しく、特に佐賀牛のサーロインステーキは口の中で蕩けるようなやわらかさで、絶品でした。 やはり食事場所としてホテルを選んで大正解です。

ひよこを貰って

ホテルニューオオタニ佐賀 - → 東横イン 佐賀駅前

 ホテルではツインで頼んでいましたが、思った以上に広くて快適で、サービスの朝食もおにぎりや味噌汁があり、十分満足出来るものでした。 ここで云っても仕方ありませんが、ホテル長崎の朝食バイキングに比べてはるかにましな朝食でした。

 チェックアウトの際にロビーに置いてあったマスコットの「ひよこのぬいぐるみ」を背伸びして取り、大事そうに抱えていた娘を見てフロントのお姉さんが、奥から新しいぬいぐるみとミニハンドタオルを出してきてプレゼントしてくれました。 娘は大喜びで、その後旅行中ずっと抱きかかえていました。 コンプライアンス問題でいろいろと話題に挙がっている東横インですが、佐賀に関しては大満足です。

鷺さん、ごめんなさい

東横イン 佐賀駅前 - → 香椎神社

 佐賀駅で自宅用のお土産を少し購入して、最初の目的地である香椎神社に向かいました。 カーナビの軌跡を見ると今回3度目となる道を通り、神社に向かいます。 小振りながらも塗り直したばかりらしく、輝くばかりの拝殿と本殿でした。 楠の緑と好対照で綺麗です。
 社務所で御朱印を頂いている間に、家内と娘は神社の周りのお堀で蛙を見ていました。 そこへ鷺がやって来て、朝食にと蛙を食べようとした所で娘が騒ぎ、驚いた鷺は逃げてしまいました。 蛙としては命拾いをしたかも知れませんが、折角の朝食を邪魔された鷺には悪い事をしました。

香椎神社
安元三年(1177)頃に地頭 窪田因幡守 藤原利常が筑前国香椎宮を矢櫃の森(現香椎神社の西方)に歓請したが、その後天明年間に現在地に社地替になったと伝えられている。
 社殿正面の門は一間一戸の四脚門で屋根は切妻・本瓦葺である。

命懸けの参拝?

香椎神社 - → 須賀神社

 次は小城に向かいます。 前回、小城清水に鯉の洗いを食べに立ち寄った際にとても気になっていた神社で、村岡屋総本店の前にあります。 案内板を読むと千葉城が有ったところで、今は須賀神社というそうです。
 鳥居を潜り階段の下に立つと、階段がそそり立って見えます。 階段の幅が狭く、手摺の位置も高い為、娘を抱きかかえての登山?となりました。 階段の勾配は急で幅が狭く、途中2回ほど休憩を入れましたがそれでも登りきった時には息も絶え絶えでした。 上からの眺めは辺り一円を見渡せる程の絶景ですが、足元を見ると足が竦んでしまうような高さです。 娘を抱きかかえての下りはとても無理と断念、林の中を抜ける回り道でゆっくり降りる事にしました。 後で聞いた話によると、石段は153段あるそうです。 小学生らしき子供達が、登り下りで競争していましたが、我々にはとても真似できません。

須賀神社
 当神社は桓武天皇延暦二十二年(803)の創建と言われ、当初は「清祠」と称し、肥前佐賀・杵島・小城三郡の崇廟神社として栄えたと、古記にある。
 後に肥前国の地頭職であった千葉大隅守平胤貞は正和五年(1316)鎌倉幕府の命により、九州下向の際、京都祇園社 現在八坂神社の御分霊を勧請し、千葉氏の守護神として、代々の城主は懇ろに奉斎した。祭神は尚武・愛情・病災消除・農商工業の神として御神徳を有して居られ、古来より近郷近在の人々の深い信仰を集めている。

百年庵で食事

須賀神社 - → 百年庵

 昨年秋に食べそこなった百年庵で昼食を取りました。 ちょうど昼時で店は結構混んでいます。 私は「うどんセット」を家内は「シーフードスパゲティ」を頼みました。 いつもここの乾麺を茹でて食べているのでわざわざここに来てまで「うどん」を食べなくてもという意見もありましたが、出てきたのは手打ちの釜揚げで、いつもの乾麺とはまた違った趣で美味しくいただけました。 スパゲティも太めの冷麦と云った感じの麺で、意外といける味でした。
 食事の後、隣接している井上製麺で、昨年秋に購入した分を食べ尽くしてしまった「うどん」と「そば」を買い足して、千栗八幡宮に向かいました。

百年庵

もう一つの肥前一宮

百年庵 - → 千栗八幡宮

 百年庵から30分位で千栗八幡宮に到着です。 町の真中に小高い丘があって丘全体が神社といった雰囲気です。 鳥居の前のスペースに車を止めると神社に向かいます。 ここも須賀神社程の勾配はないものの、鳥居を潜るとすぐに石段が連なっていました。 帰りがけに石段の数を数えて見ると147段有りました。 須賀神社は153段との事ですが、気分的には300段近くあったような印象が残っています。
 石段の下に説明書きがあり、「栄光を目指した少年がこの石段で足腰を鍛えた」とあります。 誰の事かと想像しながら読み進めていくと、柔道の古賀義彦さんの事であることが分かりました。 そういえば、石段を登る際には少年がトレーニングに励んでいました。

千栗八幡宮
千栗八幡宮は、聖武天皇の神亀元年(724年)当時の肥前國養父郡司壬生春成がご神託を蒙り創建したと伝えられている。
 古来、宇佐神宮の別宮として聞こえ、平安時代には式外五所八幡別宮(大分宮、千栗八幡宮、藤崎八幡宮、新田神社、鹿児島神宮)として朝廷からも篤い尊崇を享けていました。また全国に一宮制が確立していくとともに当宮も肥前一宮と称されるようになった。

 御朱印を頂くために宮司さんと話をする機会を得て、「千栗(ちりく)」の由来について伺いました。 とても親切な宮司さんで、言い伝えでは栗(くり)を逆さまにして植えた所、千の栗の木が生えた事から来ているとの説もありますが、栗を中国語では「り」と読む事から「ちり」から「ちりく」になったのではとの説もあるという事です。
 またこの神社はお粥神事でも有名で昨年は、米麦などの作物の出来はまずまずだが、事故や地震は「大いに見ゆ」と災害が多い年とのご託宣が出た5日後に福岡西方沖地震地震が発生、一昨年は「風多し」とのご託宣に対し台風の当たり年にと非常に良く当たるそうです。 ちなみに今年は特に問題となるご託宣は出なかったとの事でした。
 更に説明しながら奥の方で何か探されていると思ったら、一人一つずつ「丸ぼうろ」まで頂いてしまい、感謝感激でした。

お礼参り

千栗八幡宮 - → 水天宮

 娘を妊娠した時に家内の両親が東京の水天宮にお参りをして下さったのですが、その後お礼参りが出来ていませんでした。 今回、神社巡りを計画するに当たって地図を見ていると千栗神社のすぐそばに水天宮の文字が。 高良大社への通り道でもあり、お礼参りを兼ねて、訪問することにしました。

筑後川

 佐賀県から筑後次郎と呼ばれる筑後川を渡り福岡県へ、橋を渡る際に北側にこんもりと茂る楠の杜が見えますが、道路規制の関係で大きく迂回しないと辿り着けません。

 水天宮に着くと境内は緑で一杯です。 香りの元は分かりませんでしたが、境内には柑橘系の良い香りがしていました。 社務所の近くには、長鳴き鳥が飼われており、不思議と娘が話し掛けるとそれに応えるようにときの声を上げてくれます。 佐嘉神社に続いて鶏と触れ合う機会が多い旅行です。

水天宮
 寿永四年(1185)、三月二十四日 壇ノ浦の戦の後、高倉平中宮に仕えていた官女 按察使局伊勢は千歳川(現筑後川)の辺り鷺野ヶ原に遁れ来て初めて水天宮を祀った。時に建久初年(1190)であった。 この頃は未だ筑肥の界も明らかでなくただ荒漠たる原野であったという。 伊勢は後に剃髪して名を千代と改め、里人に請われるままに加持祈祷などを行っていたが、御霊験あらたかにして、尊崇するもの日増しに多くなり尼御前と称え慕い社名を尼御前神社と呼ばれるに至った。

筑後一宮へ

水天宮 - → 高良大社

 水天宮から久留米の中心街を抜けて高良大社に向かいます。 高良山?の中腹に白っぽい建物が見えますが、あれが高良大社でしょうか。 かなり高い位置に有ります。 山を上がって行くと、中腹辺りに参道入口の鳥居が有りました。 元気があればここへ車を止めて、登山をしたのですが、今日は朝から階段の上り下りでかなり足腰に疲労が溜まっています。 そのまま車で上まで上がり、お参りを済ませました。
 展望台からここと対をなす千栗八幡宮を探しましたが、地図がなく若干霞んでいたこともあって良くわかりませんでした。

高良大社
当社は延喜式内名神大社で、古くは「高良玉垂宮」と申しました。 歴代皇室の御尊崇たいへん篤く、嵯峨天皇の弘仁九年(816)十一月名神に列し、新階は貞観十一年(869)三月従一位、宇多天皇の寛平九年(897)には正一位へ進まれました。 鎌倉時代まで御造営はすべて勅裁によって行われ、筑後国一の宮・九州総社・鎮西十一ヶ国の宗廟と称えられました。

さあ帰りましょう

高良大社 - → 久留米I.C. → 九州、中国、山陽自動車道 → 岩国I.C.

 時間があれば門司の九州鉄道記念館に寄ってとも考えていましたが、高良大社で既に16時近くにになり、寄り道せずに家に帰る事にしました。 今回の旅行では、思う存分神社巡りが出来、また、御朱印帳への記帳の数も増えて大満足でした。 次のターゲットは石見、出雲、伯耆地方ないしは琵琶湖周辺の神社・仏閣巡りです。


訪問場所のご案内

名称
内容
住所
電話番号
備考
ニューオオタニ佐賀 ホテル 〒840-0047 佐賀市与賀町1-2 0952-23-1111  
東横イン 佐賀駅前 ホテル 〒840-0801 佐賀市駅前中央1-10-36 0952-23-1045  
百年庵 食事 〒842-0123 神埼市神埼町的1779 0952-52-2625  



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