最終更新日;2004年02月23日

美保神社[2003/04/27*]  (’03 神社紀行 第3弾)

またも日本海へ

大竹I.C. − → (山陽、中国、米子自動車道)→ 米子I.C. → 美保関

 冬の間は日本海側になかなか行けないこともあって、春になってからは日本海側にばかり旅行している気がします。 今回は、神社紀行第3弾として島根県の東端、美保神社へ行って来ました。
 GWにもかかわらず思ったより道は空いています。 米子自動車道に入ってしばらくすると、右手に大山が見えてきました。 前回、米子道を通った際には、土砂降りかつ濃霧という最悪の天候で、大山どころか100m先も見えない状況でしたので、今回見ることが出来て感激です。 頂上付近には、まだ雪が残っています。
 米子I.C.を降り境港市を目指して走ります。 鳥取県と島根県を結ぶ「境水道大橋」というとんでもない橋を渡り、美保関町に入りました。 何がとんでも無いかというとその高さです。 橋の下を大型の船舶が航行する事から頂上は海抜40mの高さがあります。

先ずは腹ごなし

駐車場(岸壁) − → 阿川

 美保神社の駐車場となっている港の岸壁には焼きイカの屋台を出しているおばちゃん達がちらほらと。 ここはグッと我慢して、お昼と取ることにしました。 目指すはガイドブック(神社紀行)に掲載されている沖磯料理の「阿川」です。
 ちょっと時間が早かったせいか、お店には一番乗りです。 ここは名物のイカや季節の地魚を盛り込んだ沖磯定食が有名だそうで、我々も早速この沖磯定食を注文しました。 しばらくするとイカのお作りや蟹など次から次へと料理が運ばれてきます。 お昼にはちょっと多い位の量で、しかも新鮮な魚介類でとてもおいしいです。 もし美保関へ来る機会があれば、是非ともおすすめしたいお店です。

お昼を食べた活魚料理屋さん

お参りは東から西へ

阿川 − → 客人社 → 天王社 → 地主社

 お腹が一杯になったところで東側の客人社からお参りする事にしました。 客人社と天王社は客人山の上に、地主社は山の麓に住んでいる方の庭先といった所にありました。 特に、地主社の参道と思われる所が近所に住んでおられる方の庭になって居たのが印象的でした(地域に密着しているのか、不遜なのかは判りませんが)。

客人社
祭神は大国主命です。 ここでは、青柴垣神事で新しい當屋を神籤で決める神事が執行され、諸手船神事も、客人社の麓の港で行われる。
天王社
祭神として三穂津姫命を祀っている天王社は客人山にあり、この山は天照大神の使いとして、三穂津姫命が稲穂を持って天下った天孫降臨の山といわれている。
地主社
祭神として事代主命と御穂須須美命の二柱が祀られている。 この地主社は、古代祭祀の跡といわれる環状列石(ストーンサークル)の上に建つ社で、この地域では一番古い鎮守社である。 事代主命の御陵と伝え、青柴垣神事で神饌を献じる。

仏谷寺

地主社 − → 仏谷寺

 地主社から町の中を東に抜けると仏谷寺の参道へとつながる道に出ます。 仏谷寺には重要文化財が安置されているそうなのですが、時間の関係もありちょっとお寺を覗いただけで、本来の目的地である美保神社へと向かいました。
 途中、太鼓醤油店でおみやげの甘露醤油を買い込んでしまい、またもや重い荷物を持っての参拝となってしまいました。

仏谷寺
浄土宗で、聖徳太子が創設したと伝えられる由緒ある寺。 隠岐に流される後鳥羽上皇・後醍醐天皇が、風待ちのためここを行在所としたといわれ、本堂に両天王の木像を安置している。 境内の宝物殿・大日堂には薬師如来坐像・聖観音立像など重要文化財の5体の仏像が安置されている。 また、江戸時代、放火の罪で火刑に処せられた八百屋お七の恋人、吉三ゆかりの地蔵がある。

 
仏谷寺の正門

美保神社

仏谷寺 − → 美保神社

 二の鳥居をくぐり参道を抜けて、神門を通ると美保神社の拝殿です。 日本海側の神社は何故か白木のままの造りのものが多くて、心を落ち着かせる佇まいを感じさせます。

美保神社
 2柱の御祭神をお祀りする美保神社の本殿は、大社造りを2棟並べて装束の間でつないだ特殊な造りで「美保造り」と呼ばれ、国の重要文化財に指定されている。 向かって左手が漁業・商業を始めとする生業の守護神・事代主神が鎮座されている右殿、向かって右手が農業と子孫繁栄の守り神・三穂津姫命がおられる左殿である。 檜皮葺の屋根と、装飾を排した直線的な造りがかえって凛として美しい。 神社の歴史は古く、奈良時代以前にすでにこの地にあったとされるが、戦国の世の戦乱ですべてを焼失。現在の本殿は文化10年(1813)の造営、拝殿は昭和3年の建築である。 ご祭神である事代主神とはゑびす様のことであり、美保神社は全国各地にあるゑびす社3385社の総本社である。

二の鳥居
左の狛犬
右の狛犬
神門
拝殿
鯛の張り子
 

 神門から入って右手にはえびす様と異名をとる事代主命を祭ってあるだけあって、大きな鯛の張り子が奉納されていました。
 また、境内にあった「若宮社」には「糺社」が御同座されているとの札が掛けられていました(これは後になって理由がわかりました)。

若宮社
 美保神社境内にある末社で、天日方奇日方命を祀っている。

糺社

美保神社 − → 糺社

 美保神社を出て、五本松公園の方に歩いていくと糺社がありました。 といってもすぐ後ろの山を工事している関係で、元々のお社とは別に臨時のお社が出来ていました。 ほとんど真裏で工事している状態で、これでは神様もうるさくて大変。 久延毘古命が若宮社に一時避難している理由がよく判りました。

 
糺社
 祭神は久延毘古命で、一本足の案山子のこと。 大国主神が美保碕を訪れたときに、海上からくる不思議な神の名前を尋ねた。誰も答えられなかったが、久延毘古命だけが「あれは少彦名命です」と答えたという。

五本松公園

糺社 − → 五本松公園

 民謡「関の五本松節」で有名な五本松公園は、港からリフト乗り場まで結構な坂道を登り、リフトに乗って2分位で到着する。 例によって途中の太鼓醤油店で求めた甘露醤油が腕にずっしりと負荷を掛け、先に車に置いてくれば良かったとちょっと後悔しました。
 五本松は現在、3代目が成長しつつあるところで、まだまだ若木で目印になるには数年はかかりそう。 五本松公園の頂上には休憩出来るちょっとした広場があり、その奥に続く道をたどって行った所に御穂社という小さな社を見つけた。 出来たばかりらしく、左右の狛犬がまだ白く光り輝いていました。

左の狛犬(吽)
御穂社
右の狛犬(阿)

 重い醤油瓶を抱えての登山で結構お腹もすいてきたので、移動前に駐車場で売られていた「焼きイカ」にありつくことにしました。 タレガちょっと甘く、七味が欲しいなと思いつつ、新鮮なイカはやはり美味しく、あっと云う間に一杯食べてしまいました。

大根島の牡丹園

美保関 − → R47 → 大根島

 せっかくここまで来たのだからと、大根島によって行くことになりました。 はじめは境港側から大根島に行けると考え、境水道大橋を渡ったのですが、道が今ひとつ判りません。 しかたなく、再度境水道大橋を渡り美保関町側からようやく大根島にわたる事が出来ました。
 大根島では、目についた牡丹園に入り牡丹を観賞、ちょうど見頃できれいな花々を写真に納めることが出来ました。

帰宅の途に

大根島 − → 松江 → R54 → 三次I.C. → 中国、山陽自動車道→ 大竹I.C. → 自宅

 水木しげるロードには寄れなかったものの、帰りがけに大根島の牡丹園まで堪能した旅を終え、自宅に帰ることにしました。 前回ほどハードではなかったものの、今回もそこそこ歩き回り、良い運動になりました。
 次回は、神社紀行第4弾として母の七回忌のついでに、能登の気多大社にお参りに行こうと考えています。


訪問場所のご案内

名称
内容
住所
電話番号
備考
阿川 食事処 〒690-1501 松江市美保関町美保関506-1 0852-73-0538  
太鼓醤油店 醤油 〒690-1501 松江市美保関町美保関547 0852-73-0539  
五本松公園 公園      
江島ぼたん園 庭園 〒690-1401 松江市八束町江島167-1 0852-76-2020  



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