最終更新日;2004年10月20日

飛鳥でサイクリング [1996/09/23]

ふと飛鳥へ

堺市 − → JR・阪和線 → 天王寺/あべの橋 → 近鉄南大阪線 → 橿原神宮前 → 近鉄吉野線 → 飛鳥

 夏も終わり秋たけなわのある日、「明日香に遊びに行こうか」と突然、明日香村に行くことにしました。 飛鳥・奈良時代が好きで一度は行ってみようと思っていたので、ちょうど良い機会です。 今回はサイクリングをしようということで、自動車ではなく電車を使って移動する事にしました。

高松塚古墳

飛鳥駅 → 高松塚古墳

 駅前で自転車を借りて、高松塚古墳へ。 高松塚古墳は飛鳥歴史公園の一角に有りました。 高松塚壁画館の横まで自転車で入り、それから奥は徒歩です。 古墳は、予想以上に小さく、回りは竹林で囲まれていました。 また、ちょっと離れた所に文武天皇陵が有りました。

 高松塚古墳は、直径約16m、高さ約5mの円墳で、昭和47年(1972)3月の発掘調査によって、古墳内の石槨内から極彩色の壁画が発見されました。 壁画には、あの有名な人物群像に加え、中国の思想に基づく四神の図(青龍、白虎、玄武(亀と蛇)、朱雀)と日像・月像があります。 保存上の理由で公開されていませんが、隣接したところに壁画館があり、石槨の発見時の姿の復元模型などが展示されていました。

鬼の雪隠・俎(まないた)

高松塚古墳 → 鬼の雪隠・俎

 高松塚古墳から北に1000m位離れた所に鬼の雪隠・俎があります。 鬼の雪隠・俎とは元々ペアで古墳の石室を形成していたものと思われます。 理由は判りませんが、その石室の上部が180゜転がったものを雪隠、土台の平らな方を俎と呼んでいます。 昔この辺りの言い伝えとして、「鬼が人を捕まえて俎の上で料理をして、その後に雪隠で用を足した。」と云うものが残っています。
 俎の方は見えなくもありませんが、雪隠の方はちょっと無理があるような気がします。 昔の方は、発想が豊かだったのだなと感心させられます。

天武持統天皇陵

鬼の雪隠・俎 → 天武持統天皇陵

 東に200m位で天武天皇(大海人皇子)と持統天皇(鵜野讃良(うののさらら)皇女)が合葬されている古墳に到着です。 秋とはいえ、さすがに汗をかいてきました。 天皇陵の木陰が気持ちよいです。
この辺りの時代の話しは大好きなので、その内コーナーを設けたいと考えています。
 それにしても合葬させるなんて持統天皇も余程天武天皇が好きだったのでしょうか。

亀岩

天武持統天皇陵 → 亀岩

 田圃のあぜ道にひょこっとある大岩です。 よく見ると確かに亀に見えます。 実はこの石は、少しずつ方向を変えていて、西を向いた時には大和一円が泥沼の底に沈んでしまうという、恐ろしい伝説が語り継がれています。

橘寺

亀岩 → 橘寺

橘寺
 もともとは橘の宮という欽明天皇の別宮があったが、宮を改造して創建されたのがこの橘寺で太子創建七カ寺の一つであり、当時は東西870m南北650mの寺地があり、金堂、講堂、五重塔など66塔の建物があった。681年失火により10房焼失、1148年落雷で五重塔焼失、鎌倉時代に三重塔が再建されたものの1506年に多武峰大衆により焼かれ、寺はその面影を失った。 江戸時代には正堂や念仏堂まで大破し僧舎が一棟だけになったという。1864年再建され、江戸中期より天台宗(以前は法相宗)となった。現在は太子堂、経堂、観音堂、鐘楼などがある。飛鳥では南面の伽藍が多いが、橘寺は珍しく東面している四天王寺式。

 亀岩から東に500m位で橘寺に着きます。 途中、キンモクセイが満開で何とも云えぬ薫りが漂っていました。 秋真っ盛りです。
 ここは聖徳太子誕生の地で、後に聖徳太子自らが寺を建立したと伝えられています。境内には、善悪2つの顔を表していると云われる二面石があります。

川原寺跡

橘寺 → 川原寺跡

 川原寺跡に行く途中、久しぶりに大きな道を横切りました。 ずっとあぜ道のような所ばかりでしたので、何故かホッとします。

石舞台古墳

川原寺跡 → 石舞台古墳

 川原寺跡からは車道を自転車に乗って南下しました。 1km程で石舞台古墳に着きます。 石舞台古墳周辺は非常に整備されていて、公園となっています。 駐車場に入ろうとする車でかなり渋滞していました。 こんな時だけ、サイクリングで良かったなと思う一コマです。
 古墳というだけあって石舞台の周りはお堀になっています。 お堀端に彼岸花に混ざってピンクや白の花があり、何の花だろうと注意深く観察したところ、彼岸花の色変わりでした。 白い彼岸花はここで始めて目にしました。
 肝心の古墳は予想以上に大きく、特に石室内の一枚岩には圧倒されました。 休憩所でのどを潤し、次の飛鳥板葺宮跡に向かいます。

食事

石舞台古墳 → めんどや

 ちょうどお腹もすいて来たので、お昼にしました。 ガイドブックを参考にすると「めんどや」というのが有ります。 ここの名物は「飛鳥鍋」だそうです。 飛鳥鍋とは、野菜と大和地鶏を牛乳とダシをブレンドした汁で煮込んだものですが、我々は遠慮しておくことにしました。

伝飛鳥板蓋宮跡

めんどや → 伝飛鳥板蓋宮跡

 お腹も一杯になったところで飛鳥板蓋宮の跡に行きました。 ここは中大兄皇子等による蘇我入鹿暗殺の場とされているところで、大化の改新幕開けの舞台であったと伝えられている所です。 皇極天皇の命により造営された宮で、名前の通り屋根は板葺きであったといわれています。 今は、礎石と思われる大きな石が並んでいるだけの広場が田んぼの真中にあるといった場所です。

酒船石

伝飛鳥板蓋宮跡 → 酒船石

 次に酒船石を見に行きました。 この石は小高い丘の上にある竹やぶの中にあるので、麓まで自転車で移動し後は階段です。 ここまで自転車を漕いで大分疲れているので、階段を上がるのも一苦労です。
   石の長さは5m、幅2.3m、厚さ1mの花崗岩のこの石は酒船石と呼ばれています。宇宙人のメッセージを思わせるような模様が特徴です。昔お酒を搾(しぼ)るのに使ったとか、薬を使うのに使ったとか色々な説があるようですが実際の所は謎です。ただ、この石の近くで水を引く土管や石棺が発掘されていることから、この石に水を引いていたのは確かなようです。

飛鳥寺

酒船石 → 飛鳥寺

 飛鳥寺には仏師鞍作止利が造ったといわれる日本最古の大仏がありました。 飛鳥寺から少し離れたところには、大化の改新で討たれた蘇我入鹿の首塚もありました。

飛鳥寺
 飛鳥寺は596年に蘇我馬子が発願して創建された日本最古のお寺です。 その後、寺名を法興寺、元興寺、飛鳥寺と変えています。 奈良市にある元興寺は平城京遷都にともないこの寺が移されたものです。

(写真)

欽明天皇陵

飛鳥寺 → 岡寺駅 → 飛鳥駅 → 欽明天皇陵

 飛鳥寺から欽明天皇陵へ向かうつもりが、道を間違えたらしく岡寺駅前に出てしまい、仕方なく近鉄線沿いの道を南下して飛鳥駅へ向かい、改めて欽明天皇陵を目指しました。

猿岩

欽明天皇陵 → 猿岩

 猿岩は欽明天皇陵の中にありました。 天皇陵が柵に被われているためちょっと見難い位置にありました。

疲れた...お家へ帰ろう

猿岩 → 飛鳥 − → 近鉄吉野線 → 橿原神宮前 → 近鉄南大阪線 → 天王寺/あべの橋 → JR・阪和線 → 堺市

 駅前の喫茶店で一息入れて、電車に乗って帰ってきました。 意外と高低差が有り、サイクリングは思った以上にきつかったです。 飛鳥周辺で今回回れなかった所が結構あるので、今度は自動車で来ようと考えています(結局、果たせませんでした)。





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