最終更新日: 2007年10月15日


HBSでおおはしゃぎ [1994/09/23〜25]

小郡駅

JR・小郡駅 − → 小郡IC → 中国自動車道 → 小月IC → 長府

 今回は高校時代の部活の仲間が夫婦同伴で山口で遊ぼうという事になり、小郡駅集合の旅が始まりました。
 小郡駅でレンタカーを借り、出発です。 先ずは長府を目指して、高速道路を利用しての移動となりました。

忌宮神社

駐車場 − → 忌宮神社

 長府の公民館?前の駐車場(一応、観光客用の駐車場)に車を止めると忌宮神社まで散策しながら移動しました。 秋のお彼岸と言ってもまだ暑く、歩いているうちに汗が滲んできます。 このおかげであとでえらい目にあいました。

忌宮神社
 仲哀天皇が熊襲討伐のため七年間にわたり仮の皇居とされた豊浦宮跡といわれ宮に付属して斎宮を建て神祇を祭られたのが忌宮の起こりと伝えられる。  また、仲哀天皇が崩御されその御遺体をここより南方の土肥山に仮埋葬(殯斂)し神霊を鎮祭し豊浦宮と称した のち聖武天皇の神亀五年筑前国橿日宮から神巧皇后の神霊を勧請して忌宮と称し さらに応神天皇を祀り豊明宮と称した三殿別立の古社であったが中世における火災で豊浦宮、豊明宮が焼失 忌宮に合祀し一殿となったという 幾度の兵乱や火災により社殿の焼失をみたが大内・毛利両氏の崇敬篤くその都度、造営改築が行われた 現在の社殿は明治十年六月に造営されたものを昭和五十六年に改修したものである。
(写真)

乃木神社

忌宮神社 − → 乃木神社

 乃木神社は妙にやぶ蚊が多く、刺されまくってしまいました。 ところがふと横を見ると平気な顔をしているのも居ます。 どうやら噂通り、B型の人間が集中的に襲われ他の血液型の連中はあまり被害に遭わなかったようです。

乃木神社
(写真)

功山寺

乃木神社 − → 功山寺

功山寺
 元応二年虚庵玄寂禪師開創で金山長福寺と号した。
足利尊氏、足利直冬、長門守護厚東氏、大内氏等の帰依を受け隆盛を誇った。 弘治三年大内義長が毛利元就に敗れ仏殿で自刃をした大内氏終焉の地であり、その後の戦乱で寺も荒廃し中世に誇った大内文化も衰退する。 慶長七年毛利秀元が修復、寺門を興隆し、慶安三年功山寺と改称する。 元治元年三条実美等七卿が潜居中に高杉晋作が門前で義兵の旗挙げをした維新発祥の地でもある。 門前通りから入る総門は創建当初の建築で老朽化し、掲額の“海右第一峰”右側の“不許葷酒入山門”の石牌に古刹感が漂う。 因に海右の右は山号の金山の金と共に西を意味し西方第一の禪刹の呼称か。 更に老楠・楓等の聳える参道に続く雄大な二層の山門は参拝客を圧倒する。 又山門の柱間より見る国宝仏殿は幽玄な額入りの絵のように幻想的であるが、境内では檜皮葺の重厚な建物となる。 隣の法堂から奥に書院七卿の間がある。

吉祥

 お昼は東京から来た友人の奥様が十二分に下調べをしていた功山寺内にある「吉祥」での御粥御膳です。 季節に合わせて、毎月御粥の内容が異なり、今回は9月だったのでくり粥御膳でした。 吉祥は人気があるようで予約を入れていないとなかなか入るのが難しいそうです。

火の山公園

功山寺 − → 駐車場 − → R2 → 火の山公園

 関門海峡が眼下に見下ろせ、関門海峡大橋も巌流島も良く見えます。

赤間神社

火の山公園 − → 赤間神社

赤間神社
壇之浦の合戦で源氏に敗れた安徳天皇は平家一門と共に壇之浦に崩じ、赤間関紅石山麓阿弥陀寺境内に奉葬された。 建久二年朝廷は長門国に勅して御陵上に御影堂を建立させた。 明治維新の後、阿弥陀寺を廃し御影堂を改めて天皇社と称せられ明治八年十月七日勅命をもって官幣中社に列し、地名に依り社号を赤間宮と定め、社殿を造営、その後昭和十五年には官幣大社に列格し、宮号を改めて赤間神宮となった。

蛍泉荘(湯田温泉)

赤間神社 − → 下関IC → 中国自動車道 → 小郡IC → 湯田温泉

 本日の泊まりは山口まで戻って湯田温泉です。 夫婦3組とはいえ、部屋を3つも占領するのは気が引けたので、男女2組に分かれて寝ることにしました。

秋芳洞

湯田温泉 − → R435 → 秋芳洞

秋吉台

秋芳洞 − → 秋吉台 → 秋芳洞

別府弁天池

秋芳洞 − → 弁天池

浜屋(釜飯)

弁天池 − → R316 → 仙崎

仙崎

青海島

仙崎港 − → 青海島 → 仙崎港

(萩)

仙崎 − → 萩

 ここでは3組の夫婦対抗卓球大会で大いに(異様に)盛り上がりました。 熱戦に次ぐ熱戦で2時間余りの間にへとへとになるまで戦いました。

萩散策

萩市内散策、菊屋家住宅

ザビエル記念聖堂

萩 − → R262 → 山口市内 → ザビエル記念聖堂

ザビエル・カンパーナ

 最後の食事はサビエル記念聖堂の下にあるサビエル・カンパーナでの昼食になりました。 ここはちょっとおしゃれなイタリア料理のお店で、皆で好きなものを頼んでわいわいと楽しい食事を過ごしました。

解散

山口市内(ザビエル・カンパーナ) − → 小郡駅

 楽しい時間はアット云う間に過ぎてしまう、という事でスタート地点の小郡駅に戻り駅でレンタカーを返して解散となりました。 友人からしてみればはるばる山口という感じでしょうから、そう度々という訳にもいかないでしょうが、また機会を見つけて集まれればと思いました。


訪問場所のご案内

名称
内容
住所
電話番号
備考
吉祥 食事  
火の山公園  
蛍泉荘  
浜屋 食事  
フェリー  
宿  
ザビエル・カンパーナ 食事  



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