第1話


 僕の彼女はサイコさんだ。
 妄想癖が強くて自分をムー大陸の戦士の生まれ変わりだと信じている。
 
 ムー大陸である。

 何故そんな使い古されて、今では小学生でも笑い飛ばしそうな伝説を持ち出してきたのか、僕には到底理解できない。
 
 彼女の話では、なんと彼女の前世はムー大陸に存在した王国に仕える巫女であり、魔法使いであり、つまり戦士であるという。彼女を含めて七人の仲間がいて、そのうちの一人が僕らしい。そして僕は前世では回復魔法を使える僧侶。

 自分が僧侶、坊主だったなんて初耳だった。でも知ったからといってどうにもならないが。

 僕は前世で彼女の恋人だったから、血よりも濃い魂の結びつきによって、転生した現世でも恋人同士という定めにあるという。そのことは聖書はおろか死海文書、諸世紀、竹内文書、金烏玉兎集、失われたムー大陸等、ありとあらゆる古代文書に書かれていると言うのだ。

 ほんとかよ。思わず言いたくなる。

 でも僕はそんないかがわしいものを調べる気にはなれない。調べろと言われるかもしれないが、そんな酷なことは言わないでくれ。

 全ては彼女の思いこみと勘違いによる、事実無根の虚構だ。

 さらに彼女は前世では遠隔視、空中浮遊、予言などの特殊能力を持っていたという。故に巫女であり、魔法使いであり、戦士だったと彼女は言っている。

 ずいぶんと芸達者な戦士だったようだが、僕は彼女が風船のように宙に浮かぶところは見たことがない。また遠くを見れるのなら彼女にコンタクトレンズは不要なはずだ。おまけにくじ運も悪い。お年玉付き年賀葉書の切手すら当たらないのだ。いや、それはそれで凄いかもしれないが。

 誤解のないように言っておくと、僕は回復魔法なんて使えない。教もカミサマも信じてない。クリスマスや初詣に宗教的な意味を感じるわけがない。だから前世で僧侶と言われてもピンと来ない。

 それでも前世が僧侶なら、僕はよっぽどの生臭坊主だったに違いない。

 彼女の話によると前世と現世での誕生の狭間で悪意ある波動(電波?)を受けたため、今は使える能力が制限されているという。全ての能力が使えるように覚醒するには現代に転生した仲間の協力が必要であり、仲間は彼女を含めて七人。僕を見つけることができたから、残りはあと五人なのだそうだ。

 仲間を見つけてどうするのか。
 
 そう聞いた僕に彼女は真顔で答えた。

「決まってるじゃない。敵と戦うのよ」

 かつて敵はムー大陸を滅ぼしたという。僕や彼女は前世で敵との戦いに敗れ、ムー大陸とともに滅びた。そして現代に転生して、敵との最後の戦いに臨み決着をつけるのだそうだ。

 あー、なんかそんな漫画あったな。

 現世で敵は五大陸機関と名乗っている。今、世界で起きている異変や戦争の八七%は国家と民族性を破壊するために前述の機関が仕組んだことであり、このままでは世界は彼らが選別したごく一部の人間しか生き残れない新秩序の構築された統一帝国となってしまうらしい。敵の目論みはそれだけではない。最終的には「大いなる存在」と呼ばれる、かつて外宇宙から飛来した超生命体の復活こそが彼らの真の目的で、そのために膨大な数の人間がこれまでに、またこれからも生贄されるのだという。

 またCIA、NASA、各国の王室などは全てこの五大陸機関の支配下にあり、諜報活動や破壊工作、国民の洗脳といった陰謀に従事している。破滅の時は刻一刻と近づきつつあり、それを阻止して地球に平和をもたらすのは、僕たち覚醒した七人の戦士であると言うのだ。

 ………そう言われてもなあ。

 たったの七人で世界的規模の組織と戦えと言うのか。
 無理だって。

 何というか、そう本屋に行けば新書でも文庫でも腐るほど置いてある、「UFOはNASAが隠してる」とか「ユダヤの世界征服の陰謀」とかチープなタイトルのついたトンデモ本と同レベルの世界観だ。

 僕はゲームはあまりやらないが、いわゆるRPGだってもっとマシなストーリーを用意してるに違いない。
 
 ところで彼女の探す仲間だが。

 彼女が言うには、仲間が揃いきっていないワケは、敵が絶えず世界に流し続ける、悪意ある波動によって妨害されているからだそうだ。その波動の力で彼女は肉体的にも精神的にも蝕まれ続けているという。

 また僕たちは敵の配下である新興宗教団体の監視下にあり、朝の目覚めから夜の秘め事まで盗聴しているらしい。彼女がそれに気がついたのは朝の祈りの最中に、二人の留守中(僕たちは同棲してる)に黒服の男たち(MIB?)が部屋に侵入し、盗聴器を設置していくというビジョンが飛びこんできたから、だそうだ。自分は巫女だからこういったビジョンが飛びこんでくると、彼女はいつも説明してくれる。

 ただの被害妄想だと僕は思うが。

 でも本当に盗聴器が仕掛けられているなら大変だ。さすがに僕だって二人がSEXしてる時の声を盗聴されたくないし、されて悦ぶ趣味も無い。だから探してみたのだが、当初の予想通り盗聴器は一つも出てこなかったので安心した。だが盗聴器の存在を信じて疑わない彼女は、専門の業者に依頼して徹底的に調べてもらう手段に出た。

 もちろん結果は同じだった。
 それでも盗聴器が仕掛けられていると頑なに信じ続ける彼女はある日、ついに盗聴器の在りかが分かったと興奮した口調で僕に言ってきた。

 なんと身体に盗聴器を仕掛けられていたらしい。そう言われた瞬間、確実に僕の時間は止まった。

 なんでも僕と再会(僕からすれば出会いだが)する半年前に彼女は一度献血をしていた。もしも自分の仲間が病人で未だ前世の記憶が戻っていないとしたら、自分に流れる巫女としての血を輸血すれば、その秘められし力に触発されて仲間も覚醒するだろうと思って献血したらしい。
 
 善意には違いないが気の長い話だ。

 だがそれは敵の罠で、注射針から敵が開発した超マイクロ有機型盗聴器を体内に埋め込まれてしまい、あげく採取された自分の血液が悪用されるだろうと彼女は一方的に思い、ひどく悔やんでいた。

 しかし彼女も負けてない。
 祈りで得たビジョンから、体内に埋め込まれた盗聴器の対抗手段はハーブティー(何故?)であることをつきとめた。敵の開発した超マイクロ有機型盗聴器は、ハーブティーの効用に弱いらしい。ジャスミンティーや烏龍茶では効果が無いという。というわけで彼女は毎日ハーブティーを飲み、万が一、ということで僕も三食おやつの時間も飲まされている。

 いい迷惑だ。

 そしてヒーリング能力を持つ僕(もちろんそんなもの僕にはないけど)と再会したことで、彼女は肉体的にも精神的にも回復しつつあるらしい。

 何と言うか、実に彼女はエキサイティングだ。派手な格好は嫌っているくせに頭の中は正反対だ。信金の窓口係よりも少女漫画家かSF作家にでもなった方が、その荒唐無稽な妄想も役立つのではないか。

 彼女は仲間を見つけるのにも必死だ。一日二回、朝と晩に祈りを捧げるのが彼女の日課で、その時に自分の思念波を飛ばして、未だ見ぬ他の仲間に自分の居場所を知らせているくらい必死なのだ。

 それよりも結婚適齢期なのだから花婿を探す方が重要だろ、と思ったが花婿はきっと僕だろう。

 そもそも出会いからして困ったものだった。

 慢性的な不眠症に悩まされている僕は、夜の街をただあてもなくさまよっていた。明け方近くになってようやくわずかな眠りを得る。そんな日々を繰り返していた。

 ある夜、一人で飲んでる時に彼女から声をかけられた。最初は逆ナンパかと思った。で、一緒に飲んでいるうちに前世とか超能力とか宗教じみた話がちらほら出て、実は勧誘か?と思った。それでも、その時は下心の方が優先していた。冗談でホテルに誘うとあっさりとついてきた。と言っても、実はそのへんはよく覚えていない。したたかに酔いがまわっていたせいだろう、記憶が不確かだ。それでも朝になって自分の隣に女が寝ていれば、だいたいのことは想像がつく。

 本当に困ったものだ。

 特に僕が。

 つきあいはそこから始まり、すぐに同棲状態となった。もしもあの時誘わなかったら、きっと彼女はストーカーになっていたに違いない。それでも悪くはない。信金に勤める彼女は綺麗だし、料理もできれば掃除もしてくれる。

 でも彼女はサイコさん。

 彼女は言う。僕が夢に出てくる前世の恋人と同じ顔だから、この人が私の恋人だと直感で理解した、と。
 僕が彼女の恋人である理由はそれだけなのだ。

 ある意味、残酷だ。

 だがそれでも僕は彼女とつきあっている。身の回りの世話はしてくれるし、頼めば小遣いも都合してくれる。彼女の貯金はかなりのものだ。それは仲間を探したり敵と戦うための軍資金なので、だから僕は小遣いを彼女にせびる時は、仲間を探しに行くとか、敵と戦うのに武器が必要だとか適当なことを言う。そうすると彼女は気前良く金を出してくれる。

 傍から見れば僕はヒモで、そして彼女は都合の良い女だ。

 だからきっと僕の方が酷い。

 罪悪感に駆られての償いに、といわけではないがバイトもなくて眠れない夜は、彼女の語る昔話を聞いている。もちろん内容は前世の話だ。そして聞く気になれない夜は彼女を抱く。サイコさんであろうと女であることに違いはない。おかげで不自由しなくなった。

 前世の出来事を彼女はいつも事細かに話す。その展開は実にドラマティックでファンキーだ。笑いを堪えるのが大変だ。

「あなたは覚えていないの?」

 時々、聞かれる。そんな時は、ああそうだったねと言うか、まだ記憶が完全に戻ってないと言っては口裏を合わる。それで万事うまくいってる。

 彼女は前世でのことは本当によく話すが、現世での過去のことは話たがらない。つきあい始めてすぐに親元から離れて一人暮しをしていると知ったが、実家がどこなのかは知らない。家族が何人いるのかも知らない。

 まあ、僕としては結婚するつもりはないので、だからご両親に挨拶にいく必要もないから、知らないところで何も問題ない。

 僕が覚えているかぎり、彼女の家族については、一度だけ来歴否認めいたことを言ったぐらいだ。

「あんなの本当の両親じゃない。本当の両親は、きっとどこか別のところにいる」

 でも僕は彼女の家庭環境に興味は無い。彼女が現在のような妄想を抱くようになった一因があるのかもしれないが。

 それに彼女の敵とは自己の内側に引きこもった彼女が捏造した前世での物語に必要なだけで、実際は存在しない。過去に特殊な能力を持っていたというのは、自分を特別視してほしいだけ。仲間というのは単に友達が欲しいのだ。それにヒーリング能力なんてものがあるなら、僕は真っ先に自分の不眠症を直す。

 でも彼女はそれらを認めない。もはや前世での物語は彼女のアイデンティティだし。

 彼女が捏造し続ける前世の物語は、ある日を境によりいっそう加速する。その原因となったのが、まさか見つかるとは思いもしなかった仲間だった。

 桜前線が北上しつつある三月某日。

 その日、コンビニのバイトから帰宅すると彼女が出迎えてくれた。いつもと雰囲気が違った。普段よりも嬉しそうで、そう文字通り満面の笑顔で彼女は言った。

「三人目が見つかったの」

 例えるなら、子供が自分の親に新しい友達ができたと言うように。

 その時の僕の衝撃を何と表現するべきか。

 例えるなら女性から「生理が………来ないの」とか「できちゃったみたい」と言われたぐらいの衝撃か。

 彼女ならその荒唐無稽な妄想のみで妊娠することも可能だろう。正確に言うなら想像妊娠というヤツだ。受胎しているわけでもないのにつわりがあったり、胎動を自覚するといった妊娠兆候が出現するというもので、妊娠願望や妊娠恐怖が引き金になって起きるものらしい。

 想像や妄想で妊娠の兆候が現れるとは人体の神秘だ。「病は気から」とは言ったものだ。彼女の場合なら「思念波を浴びて妊娠した」とか言いかねない。

 言いそうだ。

 言われたらどうしよう。

 どうしようか。

 話がそれた。

 とにかく、それぐらいのインパクトだった。
 
 三人目はまだ小学生ぐらいの少女だった。

 笑えば可愛いのだろうが、感情そのものが欠如してるのではないかと思うほどの無表情。髪は腰まで長く伸びているが、貧弱で薄汚れている。身だしなみに気を使えば色の白い美少女と呼べなくもない。

 少女の名は市ノ瀬千恵。

 精神に障害を持っていて、また自閉症らしい。両親は数年前に交通事故で他界し、父方の祖父の手で育てられていたが、その祖父も先月の初めに心不全で鬼籍に。その後は施設に預けられていたという。

 ただし彼女の自己申告による話なのでどこまで信用できるか分からない。物語の捏造こそ、物事をでっち上げる技能に長ける彼女の得意技だ。

 その捏造された物語によれば、千恵の両親と祖父が他界したのは敵の陰謀。この三人が顕在だったら、少女と僕たちはもっと早く再会(転生したから再会なのだ)できた。また施設も敵の下部組織が運営しているもので、千恵がそのまま施設にいたらその超能力は全て敵に奪われていた。だからそうなる前に、彼女自身が施設へ乗り込んで少女を救ってきた。

 それが真実ならずいぶんと思いきった行動をしたものだ。敵の施設にたった一人で行くとは、勇猛果敢を通り越して無謀だ。なぜパートナーの僕を連れていかなかったのか不思議なくらいだ。

 もちろん彼女の話が嘘でも本当でも、連行されなくて良かったと僕は思っている。心から良かったと思う。本当に良かった。

 これで残るはあと四人。

 本当に仲間が七人揃ったら彼女はどうするのだろう。

 分かっていることは、七人揃っても彼女の言う特殊能力は目覚めない。最初からそんなものは存在しない。

 それに狂人が七人いたところで何ができる?

 仮想の敵に対して何らかの行動に出るとしたら、例えば道行く人を敵だと思ってナイフで刺せば、それこそ病院送りだ。でなければ今すぐ彼女を病院に連れていくべきか。ついでに僕も診てもらおう。それとも彼女と別れるほうが先決か。

 だがそうしないのは何故だろう。

 やはり僕も半歩以上狂気の側へ踏み込んでいると考えるのが妥当かな。

 一度紹介しただけで、彼女がサイコさんであることを見抜いた友人からは、「なんであんな女と付き合っているんだ?」と聞かれたことがある。僕は「金のためだ」と答えた。

 ある意味、正しい。

 せっかくの金づるだ。サイコさんとはいえ、このまま手放すのは惜しい。

 それが本心なら僕は酷いヤツだ。でも、自分がサイコ野郎呼ばわりされるよりはずっとマシだ。

 さて、件の千恵ちゃんだが。

 正直な話、僕は自閉症とはどういうものなのか知らない。だからそれが自閉症特有の症状なのかも分からないが、とにかく千恵は一日中部屋の隅で辞書や新聞やタウンページとにらめっこしている。飽きもせずに。

 何がおもしろくてそんなものを読んでいるのか、僕には理解できない。

 ぜひそのおもしろさを教えてほしいが、あいにく千恵は僕の言葉に反応してくれない。

 一つのベージを穴が開くほどじーっと見つめて、飽きるとページをめくる。そんなことを一日中続けている。

 飯は置いておけば勝手に食うし、生理現象がくればトイレへ行く。風呂は奈津美が入れて、身体も彼女が洗ってやっているようだ。僕に対しても千恵に対しても奈津美は常に献身的だ。

 たまに僕らは彼女のお人形なのではと考える時もある。

 僕はそれでもかまわない。彼女がサイコさんであることを除けば、僕は今の生活に不自由はしていないし。千恵はそんなことも考えないだろう。千恵はただ辞書やタウンページを読み続けるだけだ。そう読み続けるだけなのだが、この時の僕にはそんな千恵の行為に意味を見出すことができなかった。

 僕が千恵の行動の意味を知るのと、僕の彼女がサイコさんであることを本当に後悔するのは、そんなに先のことじゃない。

 ほんのちょっと、もう少しだけ後のことだった。



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