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K's Room Odds & Ends

 Vol.1「ゆう君」誕生

平成13年4月8日(日)

 妊娠10ヶ月目に突入していた奥様が、夕食の用意をしていた頃、「お腹が痛い」と言い出した。

 恵比寿様のようにお腹を膨らませた奥様は、このところ「痛い!」「お腹張る!」と言う回数が事の他多くなっていた。

 でもどうやら、今回の痛みとその間隔は、「たまごくらぶ」に書いてある、“これが病院へ行く見極め時!”のそれと症状がすごく似ているようだ。しかし、お互い今回の出産が初めての体験、「たまごくらぶ」には、“初めての出産、間違えやすいその兆候”というのが、この上なく丁寧に掲載されていて、その症状ともそっくりである。予定日にもまだ一週間は早いこともあり、「やっぱそうかなあ?」「違うんじゃないの?」と、ひたすら困惑するばかりであった。そして、その日はそんな会話を悶々と繰り返しながら、眠れぬ夜を過ごすだけなのであった。

平成13年4月9日(月)

 眠れぬ夜と言いながらも爆睡していた僕は、翌朝早く「やっぱり、そうみたい」と、目の周りに隈をため込んだ奥様に起こされた。

 当日は慌てないようになどと、自分なりにシュミレーションはしていたが、やはりその時になると妙に慌てている自分に気付く。あらかじめ用意してあった入院用のバックを担ぎ、奥様とともにタクシーに飛び乗り病院へと向かった。

 病院に着くと、辺りの様子、看護婦の動きがやけに慌ただしい事に気付いた。

 総合病院の月曜の早朝ということで、外来受付が混み合っている事、ちょうど満月の夜で、昨夜から奥さまと同じ症状の妊婦が、軒並み詰め掛けた事が原因のようだった。待合室の椅子に腰掛けている奥様は、数分間隔で訪れる陣痛に息も絶え絶えの様子だった。

 やがて助産婦さんの簡単な検診があり、順調に行けば“午後には、出産”との見通しが立った。奥様にはベッドがあてがわれ、後はお子様の誕生を待つばかりとなり、取り敢えず僕らはホット一安心だった。

 その後、出産の過程というのはつくづく思い通りにはいかない物だと思い知らされる。

 病院のベッドに横たわる奥様の体には、小刻みな陣痛が現われたり、また遠のいたりを繰り返し、“午後には”の予定が、そのまま夜もどっぷりと更けていってしまった。

 三人部屋の一つ向こうのベッドでは、分娩室へ入るもう間際という女性が、まるで麻酔なしの手術でもやってるんじゃないかと思わせるような悲鳴を発していた。付き添っている家族の、盛んに励ます声が聞こえ、やがて奥様もあんなふうになってしまうのだろうかと思うと、僕もとても冷静な気分ではいられなかった。しかし、そんな痛み苦しむ妊婦や、狼狽する家族を励まし、夜通し冷静に対処する看護婦さんの姿には、まったく頭が下がる思いだった。

平成13年4月10日(火)

 「ゆう君」が登場したのは、夕方の4時2分だった。

 「ゆう君」と言うのは僕らの息子の名前である。名前はあらかじめ決めてあった。もちろん、「ゆう」という名前ではない。一応、誘拐などの危険を考慮して、実名の公表は避けたい。犯人でなくとも真っ先に狙われてしまうほど可愛いからでもある。本当は写真の公表も避けたいところだが、皆さんにもどれほど可愛いのかを知って欲しいので、その辺のリスクは親の責任で負う事としようと思う。

 まあ、そんな事とは何の関係もなく、入院から30時間余り、奥様は本当に頑張り、長い長い格闘の末、彼はこの世に生を受けてきた。

 飛び出した瞬間の泣き声の大きさ、看護婦さんが手に抱えてみせてくれた彼の手足の逞しさには本当に驚いた。

 生まれる寸前まで、ただただ健康でいてくれればとだけ願っていた親父の不安は、病院中に響き渡ったその声の大きさで一度に吹き飛んだ。何せ病室のドアから入院中の女性達がいっせいに顔を覗かせたほどだったのだ。

 そして、体を清められ、看護婦さんに抱かれて親父の元へやって来た彼を見た瞬間、親父は突然の絶望感に襲われた。

 顔が、「ガッツ石松」なのである。

 

 

 「せめて、奥様に似てくれよ」と、祈りつづけたもう一つの儚い思いは、その時はもろくも崩れ去った。自分の不遇だった青春時代を思い返し、これから先訪れるであろう我が子の苦しみを思い、その場所に一人立ち尽くした。「可愛いお子さんですね」と、おちゃらける看護婦の声も虚しく“この子を愛せるのだろうか?”と、一抹の不安に駆られた親父なのであった。

 しかし、しかしである!彼の手足の長さと、その大きさを見た瞬間、親父の心は突如として沸き立った。

 彼の将来の職業が決まったのである。それは「プロゴルファー」だ。

 日時を同じくして、アメリカではマスターズでタイガーウッズが見事な優勝を果たした事も偶然ではないはず。希有な才能を持ったタイガーを倒せるのは、やはりすばらしい素質に恵まれた「ゆう君」をおいて他にはいないはずである。

 「待ってろよ、タイガー!」すやすやと寝息を立てる我が子を抱いて、一人気色ばんでくる親父であった。

平成13年4月11日(水)

 何はともあれ息子が元気な事、奥様も順調な事を、僕は神に感謝した。

 そして、病室のベッドに横たわる奥様の隣に、1日おいてやって来たゆう君を見た時、僕はもう一度神に感謝する事となった。

 「ガッツ石松」状態を無事に脱出したのである。

 あの生まれた直後の姿は仮の姿、昆虫で言えばまだ脱皮前のさなぎというところだったのだ(そう考えると、ガッツ石松本人は、どうした事なのだろう)。そして、洗濯桶のようなプラスチックのベッドに入れられた彼は、その時まさに天使へと変身していたのだった。

 

  

平成13年4月12日(木) 

 あかちゃんは訳もなく泣くし、“うんち”もすることを知る事となった。

 抱っこしてみようにも、隣のベッドのカーテン越しに聞こえた「だめだよそんな抱き方じゃあ、首が据わってないんだから、死んじゃうよ!」と、あかちゃんを知る先輩が、新しいお母さんを叱り付けているような声が聞こえ、それで、一度に親父はビビッテしまった。

 顔を目一杯紅潮させて泣くわが子を見て、ひたすら一緒に悲しくなるだけの情けない親父なのであった。

 ちなみに泣いた顔は、「ダメ親父」である(うわあ、ふる!)。

 


次は
Vol.2「ゆう君」わが家へやって来る 

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