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K's Room Odds & Ends

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On The Road

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22才の夏は、終わりなき疾走の日々だった

第三章 夏の終わり


 軽トラは、白煙を吹き上げながら榛名山を登っていった。

 伊香保温泉は榛名山の中腹にある。アクセルを目いっぱい踏み込んでいるこの状態では、燃料にとっては非常にまずい。そんなことは、いくらメカに弱い僕でも十分承知しているのだが、走り出したら今更もう引き返す気にはなれない。流れ出る汗をよけるため、タオルを頭に捲きつけ、僕は鼻息荒く白煙吹き上げる「青い軽トラ」を走らせた。

 どうにかこうにか温泉街に辿り着いた。目当ての公衆浴場を探して走り回るうちに、浴衣の観光客が下駄を突っかけて歩いているような細い道に迷い込んでしまった。

 “確かこの辺りに露天の風呂が”などと、何の確証もない太古の記憶を探りながら、くねくねとした一方通行の道を走った。

 対向車とすれ違うのに立ち往生したり、行き止まりからユーターンさせたりしながらも、“もうこうなったら、何が何でも、ひとっ風呂浴びてやるぞ、露天風呂だ〜”と、完全に意固地に陥っていた僕であった。

 伊香保温泉街の中を、散々見当違いに車を走らせながらも、何とか目当ての露天風呂に辿り着く事が出来た。思ったより高かった入浴料には、ちょっとショックだったが、結局のところ、思い通り“露天風呂でひとっ風呂”は達成出来た。

 硫黄の臭いを体からプンプンさせながら、再び塗装したての「青い軽トラ」に乗りこむ。その頃には夕方の気配が始まっていたが、昼間の太陽に照りつけらていた車の中は、温泉の湯に浸かっている状態と何も変わらず、運転席にもぐり込んだ僕は、瞬く間に再び汗みどろになってしまった。自分の体をまじまじと見て、この温泉には一体何か意味があったのだろうかと、考えずにはいられなかった。

 

 温泉街から渋川市へと戻り、再び17号線を北上、まもなく国道を外れて、渓谷沿いの道を西へと走っていく。左手には渓谷の川の流れを見て、右手には濃い緑を満々と繁らせた山の斜面が迫まる。

 日も大きく傾き出した頃、信号待ちで止まった車内には蝉しぐれが一度になだれ込んできた。本当ならば、涼しさに心が和むような時間帯であるはずなのに、この時、僕の体は気が気ではない思いに沸き立っていた。

 “ガソリンがやばい”のであった。

 地図で見ると、目的地まではもう数キロといった場所まで来ている。しかし、燃料の残りを示す針は“E”のラインをもう既に下回り、これ以上は動く気配を見せない。

 さっきガソリンスタンドの前を通り過ぎたときに、究極のケチケチ根性が頭をもたげ、そのまま通り過ぎてしまったことを今更ながら悔やんだ。

 

 やがて、今日一日の自分の行動は、ここで完全に“凶”と出た。

 走行中に1度目のエンスト。

 “や、やばい”

 慌ててハザードランプを出し、車体をガードレール際に寄せた。後続の車が、何食わん顔で追い抜いて行く。走行中にエンストを起こすと、何事もなかったかのようにエンジンが止まり、実に静かに車が停止するものなんだなあと知り、それどころではないはずなのに妙に関心したりしていた。

 取り敢えず僕は屋外に出て、ガソリンが少しでも回るよう、車体を揺すってみた。

 何とかそれで、エンジンが再び掛かった。

 “頼むぞ、このまま行ってくれ”と神に祈りながら、再び車を発進させたが、その祈りも通じず、百メートルも走らずに2度目のエンスト。

 この時点で、もう車は、押しても引いても、ウンともスンとも動かなくなってしまった。

 額からどっと汗が流れ落ちてきた。

 ほとんど日の暮れた辺りには、数件の民家が見えるだけで、ガソリンスタンドなどは到底見当たらない。最後に通りすぎたスタンドからも、もう数キロは走ってしまっている。

 山間の道、呆れるほどの蝉時雨に包まれ、嫌になるほどの心細さが押し寄せてきた。

 “ああ、温泉になど寄らなければ”自分のアホさ加減に程々嫌になり、僕はすっかりと落ち込んでしまった。

 ガードレールに座りこみ、薄闇の中谷底を流れる川をしばし見下ろしこのまま身を投げようかと・・・。すると、ふと大場さんの顔を思い出した。困った時の、大場さん頼み。取り敢えず僕は、東京の大場さんに電話を入れてみることにした。

 

 程なく見つけた公衆電話から、事の次第を一通り告げる僕に、「取り敢えず電話帳から近くのガソリンスタンドを探して、ガソリンを持って来てくれるように頼んだらいいよ」と、大場さんは事も無げに言った。

 さすが年の功などと、自分の知恵のなさを棚上げて、僕は勝手に感心しながら、そこに備え付けてあった電話帳をめくってみた。

 電話ボックスに書いてある住所を手掛かりに、知らない土地の電話帳を必至に捲り、それでも何とか一件のガソリンスタンドを探し当てることが出来た。

 電話に出たガソリンスタンドの人に一通りの事の次第を告げると、何だか迷惑そうな声で、「配達は5リットルからで、別に手数料が掛かりますよ」と言った。

 自分の遊び心と、けちけち根性のせいで、しなくてもいい出費が更にかさんでしまった。スタンドの人がポリタンクで運んでくれたガソリンを給油して、再び車が動いたことに喜びを感じつつも、またまた僕はしょぼくれて、山間の夜道を目的地目指して走り出した。

 それでもなんとか目的の自動車屋へ到着し、取り敢えずは無事に車を納めることができた。そして、受取書にサインをしてくれた自動車屋のおじさんに、「ここから近い駅はどこですか」と聞いてみた。

 ここへ向かってくる道中、道路と平行して単線の線路が走っていたので、帰りはこれで帰ればいいと、僕は見当を付けていた。

 「駅は直ぐそこにあるよ」と、そのおじさんは、道路の少し先を示した。

 

 

 JR吾妻線、その駅の名前は「市城」と、いった。

 単線で、しかも第三セクターの駅である。ずいぶんと小さな造りのその駅を遠くに見留めた時、自分が帰ろうとしている方向の電車が発車していくのが見えた。

 “げげ、今日は本当についてないなあ”僕は自分のアホさ加減を棚に上げつつ、そう呟きながら、取り合えず「市城」駅へと向かった。

 車道から駅へ向かうまっすぐな未舗装の道を下って行った。

 小さな駅舎の入り口をくぐり、改札口の上に掲げられた“木製”の時刻表を見上げた。今の時間と照らし合わせてみると、次の電車がどうやら最終らしい。取り合えず電車があることにホッとしつつも、発車の時刻を確認して僕は愕然とした。

 “あと軽く2時間はある”

 すぐ横に掛かっている時計と交互に、時刻表を何度も確認してみても、紛れもなく後2時間、電車は来なかった。僕はあんぐりと口を開けたまま、本当に今日中に東京まで帰れるのだろうかと恐ろしく不安になった。

 執務室の中に、人がいるのが分かった。透明なガラスに幾つも空いた穴から、中にいる駅員さんに、渋川まで出たいのだが、他にバスか何かは走っていないかと、ダメだろうなと思いつつも僕は聞いて見た。

 ガラスを隔てた向こう側には、歳にして20代後半の若い駅員さんが一人いた。

 その人は座っていた机からのっそりと腰を上げると、とても重大なことでも告げるかのように、ゆっくりと僕に近づいて来た。

 そして、ガラスの向こうに立ち止まると、僕の顔をじっと見つめ、「バスは、この時間では走ってないですよ」と、言った。

 そうですかと、肩を落とす僕を見て、その駅員さんは「どちらまで行かれるのですか」と、聞いてきた。

 東京ですと、答える僕に、駅員さんはそうですかと一言言った切り、なんだかとても残念そうに俯いた。

 やっぱり田舎だからなあ、今日は一日すっかり駄目な日だなあと、僕はもう完全に諦めることにした。

 

 後二時間もの間どうしようかと思った。辺りがこう暗くては、とても周辺の散策というわけにもいかない。

 どうやらこの場所に留まり、やがてやって来るであろう電車を待つ他はなさそうだった。

 

 駅舎は、鉄板で囲まれたような妙に安易な造りだった。執務室の中の広さは分からないが、乗客がいられるスペースは、四畳半くらいの和室の広さくらいしかなかった。壁には、地元の名産品を紹介したポスターや、ハイキングコースの案内、そしてその中には、ご丁寧な事に、伊香保温泉の観光案内まで張ってあり、僕はことさらガックリと落ち込んだ。

 片隅には椅子がいくつか申し訳程度に並べてあった。僕は大きくため息を吐きながら、その椅子に腰掛けた。

 ボーっと壁を見るともなく見つめていた僕の側に、気が付くと、さっきの駅員さんがヌボーッと立っていた。

 僕はびっくりして身を引いた。

 「よかったら、麦茶でもうどうですか?」

 その駅員さんはそう言うと、お盆に乗せて運んできた麦茶の入ったグラスを僕に差し出した。

 僕は驚きながらも、ありがとうございますと言って、そのグラスを受け取った。

 駅員さんは、自分のために用意していたもう一つのグラスを手にしたまま、おもむろに僕の隣の椅子に腰掛けた。

 「東京からですか?」その駅員さんは、そう僕に言うと、ポケットからハイライトを取り出し、おもむろに火を着けた。

 勤務中にタバコはまずいんではないかと僕はふと思ったが、特に気にはしないことにした。

 「はい」と答える僕に、僕の家は熊谷なんですよとその駅員さんは言った。

 駅員さんとこうして喋っている事に不思議なものだなあと思いつつ、「ずいぶんと遠いですね」と、僕は答えた。

 「そうなんですよ」と、その駅員さんは言うと、何だか少し淋しそうに背中を丸め、深々とタバコを吸い込んでから、まるで溜息でも付くように、フーッと長く煙を吐きだした。

 

 その駅員さんの名前は、小島さんと言った。

 別に聞きもしないのに、自分から名乗ったのだ。

 痩せた小柄な体で、一昔前のグループサウンズ「ザ・スパイダース」の頃の、マチャアキのように髪を長く伸ばしていた。

 

 「国鉄の民営化に、反対したばかりにねえ」小島さんは言った。

 何と言っていいか分からず、「はあ」とだけ僕は答えた。

 手渡された麦茶を一口飲んでみる。冷たい飲み物は本当に助かったけど、砂糖が入っていたのにはまいった。

 「それまでは、本庄の勤務だったんですよ」小島さんは言った。本庄と言えば、東京から向かって熊谷の少し先である。

 「本庄なら近かったですね」そういう僕に、「左遷ですよ、まあ、早い話が、飛ばされたんですよ」と、小島さんは言って、人の良さそうな顔で笑った。

 それから小島さんは、あの頃が分かれ道だったとか、いやと言えない性格で組合の副委員長までやらされていたとか、はたまた、通勤は毎日二時間だとか、この駅を通る人は全員名前を知っているとか言ったことを、ぽつぽつと語り続けた。それはまるで、僕に語っているというよりは、自分自身への再確認といったように僕には思えた。

 「学生さんですか?」小島さんはまた聞いてきた。そうですと答える僕に、

「勉強だけは、ちゃんとやっておいた方がいいですよ、でなければ僕のようになっちゃうから」と、小島さんは言った。

 何だかすっかり雰囲気が暗くなってきたので、僕は思いきって話を変えようと辺りを見回し「ずいぶん小さな駅ですよね!」と、努めて明るく言ってみた。

 しかし、良く考えてみると、これは小島さんに更に追い打ちを掛けてしまったようで、小島さんは、「はい」とだけ一言言うと、前屈みになってタバコを深く吸い込んだ。

 駅には、誰もやってこなかった。時折山沿いの道から、通り過ぎる車の音が聞こえるくらいで、後は虫の声と、僕らの声だけだった。

 「貨車で出来てるんですよ」小島さんが言った。意味が分からず聞き返す僕に、「この駅舎、貨車で出来てるんです」と、言った。

 僕は部屋の中をぐるりと見渡してみた。床と天井は張り物がしてあって、それとは判らないが、壁を良く見てみれば、波打っている鉄の形状がまさしく貨車だった。

 「へえ〜」と、驚く僕に、「これだと固定資産税が掛からないらしいんです」と小島さんは言った。

 

 それから、電車がやって来るまでの間、僕らは実に色々な話をした。僕も自分自身のバイトのこと、そして、今日一日のことなども話した。帰れるのかどうか不安な僕に、小島さんは自分の手帳をめくって、きちんと帰れることを確認してくれたりした。

 列車の到着する時間が近づく頃には、時間を忘れる程話も盛り上がり、互いに軽い友情まで芽生えたような気分になっていた。

 

 「元気で、頑張って下さい」一両編成の車両に乗り込む僕に、小島さんはそう言った。

 帽子を被り、旗を持った小島さんは、型通りに最後の列車を発車させた後、窓から顔を出す僕に、ホームからいつまでも手を振ってくれた。

 本当ならばただ通り過ぎるだけだったであろう駅なのに、JR吾妻線、貨車が一つ置いてあるだけの「市城」駅は、僕にとって何とも言えない印象に残る駅となったのであった。

 

 

 仕事自体にはこれと言って不満もないのだが、結局のところは、なかなか思った通りの収入が得られなかった。実際問題、日々の生活が掛かっていた身としては、このままこの仕事を続けているわけには行かなかった。

 収入が得られないという理由を考えていってみると、ある程度は、自分自身の責任であるのだが、ある程度はやはりこの仕事のシステム自体に大分無理があるという他なかった。

 自分に責任があるというのは、たまに“おいしい”長距離の仕事などが入ったときに、ついつい遊び心が沸き立ち、わけもなく周辺の観光をしてしまったり、名物の上手いものを食べてしまったり、お土産を奮発してしまったりといった無駄遣いがかさむ事だった。

 システムの問題だと感じるのは、何といってもガソリン代を気にする点と、余りにもひどい都内の渋滞に、あそこに行ってから、こっちに行ってなどという予定がまったく立たず、一向に思った通りの仕事がこなせないという点だった。

 行き先に指定されるほとんどの場所も、その度に始めて訪れるような場所で、いちいち地図を捲りながら行くおぼつかない足取りでは、到底スムーズに仕事をこなすなどという訳にはいかなかった。

 

 「ガソリンが・・・」などと、大場さんに相談してみた事があった。その時大場さんは、「いい方法があるんだよ」と身を乗り出し、待ってましたとばかりに自分で考案したというウルトラCを教えてくれた。

 それによると、あらかじめビンに詰めたガソリンを、大きな街道の要所要所に隠しておき、そこを通り掛るたびにそれで給油しながら、エンストしないようにしのいで行くといった方法だった。

 大場さんは、例の時間が止まってしまいそうな程おっとりとした口調で、その時にはきちんと栓を締めておくんだとか、簡単には見つからないように土の中に“埋めておく”とか、いった細かい注意点まで教えてくれた。

 この話が、結局のところは半分辞める方向に傾いていた僕の気持ちを、完全に突き落とす決定打となってしまった。

 

 

 このアルバイトを通じて経験した出来事が、後に僕がまともな社会人となるべく、就職すると同時に否応なく変化を強いられた時期に、自分の中ではっきりとした糧となっていることに気づいた。

 地平線すら見えそうな広大な「空き地」大黒埠頭のど真ん中でエンストした時には、通り掛かりのとトラックに頼み込んで近くのガソリンスタンドまで乗せていって貰ったこともあった。

 新車のベンツを引き受けたときには、友達まで乗せて、遠く海まで一日中ドライブしてしまったこともあった(これでは、いくらバイト代を貰っても足りない!)。

 外国へ輸出するために、8人掛けのバンを15人掛けくらいに改造した車を受け取ったとき、途中で給油しなければならず、てっきりディーゼル車だと思い込んでいたガソリン車に、軽油を給油してしまい、車がまったく動かなくなったこともあった。

 呆れるほどのこうしたトラブルの連続に、右も左も分からない“アマちゃん”な学生が、闇雲に打開策を探るべく奔走し、それでも、何とかかんとかその場を納めてきた。

 その結果、「やれば、何とかなる」。そんな確信を掴んだ僕は、いまだにそんな訳の分からない自信を持って、日々を過ごしている。

 “陸送”のアルバイトを辞めてすぐ、レストランでの仕事を僕は見つけた。内容は結構ハードだったし、散々こき使われたけれど、まかないが付く飲食店での仕事は、余計な出費もなく、何より冷房の聞いた場所で過ごせる日々がたまらなく快適に思えた。

 今でも街の中で、赤枠で縁取られた臨時ナンバーを貼った、“陸送”の車輌を見ると、あの猛暑猛暑と天気予報が言い続けていた夏を、そして、大場さんのことや、市城の駅で出会った小島さんの事を、思い出さずにはいられない僕であった。

(完)

K's Room

東京大田区バドミントンサークル



 

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