骨髄ドナー体験記 (その5 骨髄採取)

◆20 入院
day-1日。入院は採取前日の午前10時。
入院受付を済ませ、通された部屋は10階の210棟16号室、5人部屋だった。
空きベッドが一つあったので、実質4人。私のほかは皆患者さんのようだった。
(皆頭髪がなかった)
しばらくすると、担当となる看護師さん(篠原涼子似のUさん)が現れ、アンケートと体温計が渡される。
アンケートは家族構成や、病歴、介護の要不要、食事の嗜好などを問うものであったが、私は至って健康なので特に記入することもない。嫌いな食べ物に「干しぶどう」と書こうか迷ったが、食事に出るはずもないので書かず。
ひと通りアンケートを書き終えた後、それに基づいて別室で面談。院内の説明やルールを話してもらった。午前中は、このほかレントゲンをとっただけ。

午後にUさんが採血に来たので、左腕はとりにくいよとアドバイス(献血のときはいつも右腕)。
あと、副主治医のK女医が用紙を持参して5分ほどカンファレンス。用紙には、またまた「手術により死にいたる場合もあります」なんて記載がある。オイオイ、そんな紙にサインできるかー!ってサインしたけど。
それ以外は、ドナーと言うことでサービスしてもらったテレビカードでテレビを見たり、持参した本を読んだり、院内を徘徊して過ごす。(ロビーに、私が挫折したのと同じ1000ピースのジグソーパズルが飾られていて苦笑い)
明日より3〜4日風呂へ入れないので、入浴するよう言われていたのだが、すっかり忘れていた。当日、入院の前、朝風呂にはいっていたのだが、一応ササッと入る。
夕食は、6時ごろ。サラダの中に干しぶどうが入っていてびっくり。アンケートに書いておけばよかったと後悔する。鉄分補給のためと思って我慢して食べたが、全体的にちょっと量が少なく感じた。売店でパンでも買ってもても良かったのだが、寝ているだけでカロリーを消費していないのでやめておく。
夜の8時ごろ、お髭の麻酔医S先生が登場。夜遅くまでご苦労様です。
点滴ルートを確保するため、左腕に油性マジックで×印を書かれ、その上から貼る麻酔薬をされる。
9時に消灯なのだが、TVを見ていて、10頃寝た。

◆21 骨髄採取
day0日。採取当日。
朝6時ごろ目が覚める、今朝は朝食無しなので腸が動かず便意は無い。7:00ごろ夜勤の看護師から生まれて初めての浣腸を受ける。大腸に生暖かいモノが入っていくような感覚はあった。すぐに便意をもよおしたのだが、「なるべくガマンするように」との指令を受けていたので、トイレの中でギリギリまで我慢する。
 もう我慢の限界!となったところで全開大放出。全部出きった後にも腹がいたい。
そう、下痢をしたときに腹が痛くなる、あの感じ。10分くらいトイレに篭ってしまった。同室の人ゴメンナサイ。
 手術は9:00からだが、8:00頃にストレッチャーがくる。私は手術着に着替える。下はふんどし(T字帯)一丁である。(どうせはずされるのだろうが・・・)
手術室に運ばれるまでの間、浣腸をしてくれた夜勤の看護師さんと歓談。「手術の前に、麻酔が聞いたかどうか確かめるのに、1から10まで数を数えさせるから、もし2まで数えられたらほめてあげる」といわれたので、その気になる。
9:00前、いよいよ出発。担当看護師に交代となり、Uさんがストレッチャーを押す。
手術室は地下なので、ストレッチャー用のエレベーターが来るまでホールで待つ。手術は9:00からが多いのでいつもこの時間は、エレベーターはラッシュだそうだ。私はドナーだから健康体。一般のエレベーターで地下にいっても良かったんだけど、ストレッチャーの上で寝たまま待つ。ふと天井を見上げれば、蛍光灯が間引きされている。ココでも経費削減なのね。
ようやく来たエレベーターも相乗りであったが、ようやく地下へ。ここからは手術担当の看護師にバトンタッチ。
地下の手術フロアは冷えていた。病原菌の繁殖を抑えるためなのか、手術が肉体労働のためなのかわからないが寒い。
手術室に入れば、リラックスさせるためかクラシック音楽が流れている。
いよいよ手術開始である。麻酔医が左腕の×印に麻酔用の針をさす。まったく痛くない。ちょっとボーっとしてきたところで、マスクをかぶせられる。
足が冷たいですと言ったところまでは覚えているが、あっという間に意識を失う。
数を数えるどころでは無かった。
次に気がつけば、そこはもう手術室の外。地下の廊下であった。
主治医に「何cc採りましたか?」と聞けば1,000ccとのこと。半分、朦朧としながらも、ベッドに載せられ自室に戻った。

◆22 術後
手術が終わったのは12時前であった。全身麻酔が切れるのは案外早い。1時には完全に意識が戻っていたのだが、局部麻酔が効いているため下半身はまったく動かない。
左腕には点滴が刺さっており、酸素マスクもしていた。
 ただ、この酸素マスクが逆に息苦しかったので、Uさんに頼んではずしてもらう。(もちろん飽和酸素濃度を計ったあと)。のどが渇いていたのでついでに水を飲ませてもらう。う〜ん、殿様気分。
 とにかく、下半身が動かず、テレビを見られる体制も取れないので、本をとってもらってそれを読みふける。そうこうしているうちに、足に痺れを感じてくる。ちょうど長時間正座をして感覚がなくなった足先がしびれるようなあの感覚。それと同時に空腹も感じてきた。今日は、朝食・昼食と2食抜きだから当たり前か。
16時過ぎに、コーディネーターさんが来る。私の骨髄液が無事に患者さんの元に届いたそうだ。一安心である。
 体調を聞かれたので、今の下半身の状態を話すと、ひどく心配そうにしていた。下半身不随になっちゃったと思ったのかな?
おなかがすいていると言うと、売店で何か買ってきてくれるというが、あと2時間もすれば夕食なので、遠慮した。
 18:00夕食前には、足も動かせるくらいまで麻酔が切れてきた。麻酔が切れると今まで感じなかった下半身の違和感を覚えた。尿道カテーテルである。
 主治医との相談で、感覚が戻ってきたなら尿意も感じるであろうとのことで、はずすことにする。結構奥まで入っていたらしく、抜くときには妙な感じがした。なんか自分のモノでは無いみたい。まだ麻酔が残っているのかも。
それはそうとして、Uさんにもちんちん見られた。お粗末さまでした。
麻酔も切れれば、点滴が入っていることを除いては元の状態に戻っていた。夕食も全部平らげ、テレビを見ていたのだが、ふと立ち上がった瞬間に、一瞬ブラックアウト。
調子に乗っていた。やはりヘモグロビンが少ないようだ。

◆23 げっぷ
移植後の夜、カテーテルを抜いてから始めてのお手洗いでのこと。
カテーテルで尿道が傷ついたのか、おちんちんがしみた。
しみるから、「ちょろちょろ」としかだせない。
でも、「ちょろちょろ」だと残尿感が。
痛くっても、最後だけは勢い良く!!
その瞬間、おちんちんが、げっぷした。
「げぼっ」って音だった。
多分、カテーテルから尿管に逆流した空気が出ただけなんだけど、
笑いの”つぼ”にはまってしまい、トイレの中で点滴のスタンドをカタカタ鳴らせながらしばらく肩震わせて笑ってしまった。
あまりにおかしくって、おちんちんの痛みなんかどっか飛んでいってしまったゼ。

◆24 翌日
day1日。一日安静にしている。抗生物質と生理食塩水を交互に点滴する以外は何もすることは無い。Uさんが採血しに来たが、ずっと右腕で採血していたので、今日は左腕から。一発で血管当てたからほめてあげた。
あとは日がな一日テレビを見たり、本を読んだりパズルをしたり。
 ただ、土曜日だと言うのに、主治医が傷口の確認に来た。ホント、医者っていつ休んでいるんだろう?「綺麗な傷口ですね。」といわれたが、採取痕をほめられてもなぁ。
さて、こんなんだからドナーになったと言う実感があまりない。しかし夕食後に見ていたテレビで偶然にも政府広報、夏目雅子さんを題材にしたCMを目にし、「移植を希望する約1,000人の方が 白血球の型が合わず移植を受けられません」と言うメッセージを見て、かすかな腰の痛みとともに「俺も1000人のうちの誰かのドナーになったんだ」という実感が湧いてきた。

◆25 退院
day2日。前日のうちに点滴もはずれ、傷口も順調とのことなので、あっという間の退院となる。
あさ、9:00コーディネーターさんが見え、48時間後アンケートに答えた。それにしてもコーディネーターさんも日曜の朝っぱらから、ご苦労様である。
 することが無いので昼食をとって帰宅した。

◆26 術後検診
day14日。手術から二週間、術後検診を行った。既に腰に痛みは無い。
採血と問診と、傷口の確認だけである。
採血室のおばちゃんにチョット意地悪をして左腕で取らせたら、案の定、血管をはずした。毎日、何十、何百も取っている採血室のセンセイがである。針を刺したままグリグリやってようやく、ピューって血が出てきた。その血液の数値はまったく異常なしとのこと。これで私の全ての行程は終了である。
しかし、患者さんは闘いの真っ只中。ちゃんと正着してくれたのか、GHVDに悩まされていないか?感染症などにかかっていないか?
がんばれ!私の兄弟。

◆27感謝状
ある日、筒状の配達物が届いた。来ると知っていたのであまり驚かなかったが、厚生労働大臣名の感謝状である。わざわざ額を購入し、飾ってある。

◆28 3ヶ月アンケート
このころになると、ドナーになったことすらすっかり忘れてしまうときがある。
そんな時、3ヶ月アンケートが届いた。
また提供したいかの問いには、何の迷いも無く、「はい」に丸をつけた。