京福電気鉄道 嵐山線(嵐電) モボ101形 路面電車 「京紫塗装」 |
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[2両所属](MODEMO社製)NT141・NT142 | 「編 成」へ |
RANDEN Tram Car Type MOBO 101 (Kyo-murasaki color) |
嵐山本線(四条大宮~嵐山)
北野線(帷子ノ辻~北野白梅町)
京福電鉄は1910年(明治43年)3月、日本の電気鉄道発祥の地、今の大宮周辺にあたる朱雀野村と今の嵐山に当たる嵯峨野村の間に開通した嵐山電車軌道がはじまりです。京都の西の方を走る京福電車嵐山線(嵐電)は今もたくさんの乗客を乗せて健在です。1918年(大正7年)4月に京都電灯と合併。1926(昭和元年)3月に北野線北野駅‐帷子ノ辻が開通し、今の路線の基盤が完成し、さらに1928年(昭和3年)には嵐山本線を複線化し、さらに福井県でも鉄道路線を開通させました。京都電灯が解散すると、1942年(昭和17年)3月に京福電気鉄道が独立。また、愛称は「嵐電(らんでん)」で一部は路面区間を走ることもあり、西大路三条付近、太秦広隆寺付近などには併用軌道が存在しています。路面電車として分類されることも多いです。
なお、福井県では越前本線、三国芦原線、永平寺線も運営していたが二度にわたる列車同士の衝突事故を起こし、事業存続を断念し、2003年(平成15年)7月20日より、第三セクターの「えちぜん鉄道」が運行を引き継ぎ、永平寺線はひっそりと廃止になっています。
「モボ101形」は1929年(昭和4年)の全線複線化に備えて登場。フォールディングステップを備えたボギー車でいわゆる「嵐電旧型車」スタイルを確立しました。その後1975年(昭和50年)に全金属製車体に更新(厳密には廃車→新造名義)されました。そして1982年(昭和52年)にワンマン化、1990年(平成2年)からは冷房化が行われ現在も嵐電で活躍中です。
100周年を記念して嵐電カラーも変わります。2013年(平成25年)現在は101・104・106号車が新しい標準塗装の京紫≪KYO-MURASAKI≫に車体色を更新しています。
カプラー:付属 |
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モボ101 | ![]() |
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