サラエボ

ユーゴの解体過程で「多民族」の共生を模索した人々の存在に、旧ユーゴ内戦に反対する人々の希望があると思った。「セルビア人勢力」包囲下のサラエボでは、モスレムの妻を殺された「セルビア人」の男の家に泊めてもらった。男の父親はセルビア共和国のベオグラードにいた。男はボスニアの「民族」による分割に反対してサラエボに留まっていた。

夫と息子の眠る墓の前にたたずむ 近代都市の中には懐かしの井戸があった
セルビア教会もカトリック教会もモスクもシナゴーグのある 動くバスは超満員の上にぼろぼろだった
水は運びはこの町の名物となっていた 何度目かの停戦が結ばれた頃のある日曜