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サイトの始まりのこと

縁起:当サイト名前の由来

   

求菩堤山麓妙音天社縁起

何故にメタルサイトが「求菩堤山麓妙音天社」という名前か。そもそも自分の同人でのサークル名を「迦陵頻伽(漢字でこう書いて“カラヴィンカ”と読んでいた)」とつけていたのがはじまりです。サークル名やサイト名の名前を考えていた頃の私は「メタルサイト/サークルだからといって、横文字ってのは面白くない…(註)」なんて思っていて、仏教や神道の音楽の神様、仏様がらみで色々考えてみたのでした。自分のお気に入りを反映させた結果、迦陵頻伽、求菩堤山麓妙音天社、と落ち着いた訳です。

では、そのお気に入りの求菩堤山について少し紹介します。

福岡県豊前市にはその昔、求菩堤山(くぼてさん)という修験道の修行地がありました。豊前の修験道の地ということでは英彦山(ひこさん)の方がメジャーで、英彦山神宮もあることからこちらは参拝者も多いです。かたや求菩堤山は、資料館や、かつての行場にその一部痕跡が残っているのみとなっていて、実際行くのも大変。駐車場はありますが、そこまで行くのに、車一台がやっと通れるほどの林道をぬけないといけません。ややマイナー感は拭い切れませんが、巫女のお気に入りの場所。
“菩提(ぼだい)を求める山”というのは大変よろしい感じです。

求菩堤山岩洞窟の迦陵頻伽私の最大のお気に入りが、求菩堤山と豊前市を結ぶ県道の途中にある、この岩洞窟に刻まれた迦陵頻伽。この岩洞窟は、実際は洞窟というほど深くなく、どちらかというと大きい岩の窪みです。
駐車場はないので車は路肩に駐車し、田んぼのあぜ道を通って行きますが、農繁期は気を使います。

岩洞窟には市と教育委員会が設置した看板があります。以下のような文面です。

福岡県文化財指定 岩洞窟 迦陵頻伽

岩洞窟は、かつて求菩堤の一環であった。間口二十米、奥行七米の岩窟の中に薬師如来が安置されている。高さ四米の岩天上には、極楽浄土にすむ上半身が菩薩、下半身が鳥の迦陵頻伽が刻まれ、彩色がほどこされている。迦陵頻伽は古くは、インドでは音楽の神とされ、浄土では好声で鳴くとされている。仏教上、塔や、堂社の上で鳴いているとされ棟札に聖主天中天迦陵頻伽□(←巫女註:変換不能の漢字が書いてある)とある。
製作年代は平安末、一部に後期の補彩が目につくが、全国的に類例がなく貴重なものとされている。昔は一対であったろうと考えられている。左側は落岩したものであろう。毎年五月八日には、地元の人々によって花供養が行われている。

求菩堤山の開山は、公式には西暦720年の行善となっていますが、求菩堤山縁起では526年の猛覚魔卜仙(もうかくまぼくせん)と説明されているようです。古代北九州には渡来系民がかなりの人数住んでいましたが、新地は猛覚魔卜仙について「名前で渡来系の人だとわかる」と申しておりました。

求菩堤山の本尊は「六所権現(不動明王・如意輪観音・地蔵菩薩・毘沙門天・釈迦如来・虚空蔵菩薩)」。岩洞窟に迦陵頻伽の絵が描かれてあるからといっても、迦陵頻伽を祀っている訳ではないので、少々がっかりしましたが、迦陵頻伽は思いのほか、あちこちの寺院の壁画や梵鐘の意匠に使われています。

このサイトを立ち上げた当初は、いずれもっと詳しく調べて、地図も描いて…などと、考えていたのですが、8年もモタモタしていた間にgoogleやWikipediaが現れてしまったのでその必要がなくなりました。求菩堤山や迦陵頻伽に興味のある方は、その辺りで色々調べて頂ければよろしいのではないかと思います。