いまは 大変だけれど


子供が育つには

なんと手間ひまが掛かることか

手を掛けなければ

育てられない

親は無くとも子は育つ、と

言った人はいるが

親は無くとも、そっと手を

差し伸べた人があったから

子は育ったのだ


人間の子は

一人では生きてゆけない

抱き上げ、慈しみ、語りかけ

飲ませ、食べさせ、

襁褓を替え 着替えさせ

寝かしつけ、眠らせ

泣かせ、笑わせ、

欠伸も しゃっくりも

面倒をみてやらねば


人は おのずから

人になるのではない

狼に育てられた子は

やがて狼に

猿に育てられた子は

いつのまにか猿に なる

人の子とて 人が育てなければ

人にはなれない


物心が付く頃に

何を感じ、何を見、何を聞き

何に触れ、何を嗅ぎ

何を思うか

そもそもの初めが

人になる第一歩

すべてはそこから始まる


昔は 一つ屋根の下に

すべてがあった。

人は その家の中で、

産婆の手で取り上げられ

盥で産湯を使った。

祖父母がいて 兄弟姉妹がいて

仕事場が在って 物売りも来て

外の世界に繋がっていた


隣近所が ゆるやかな家族だった

どの子がどこの子で

どこの子が誰と兄弟で

うちの子と同い年があの子で

あの子の親が誰で

あの家は三姉妹で

叔母様も一緒に住んでいる

なんてこと

皆が知っていた


幼い子が

一人で遊んでいれば

誰かが面倒を見た

子供同士でも

長幼の立場を学んでいた。

人という字は

支えあう人間を示している

というが、あの頃は

まさに それぞれが支えあっていた


世の進歩は

いや、世の中の変化は

家を変え、住まい方を変え

隣近所を消滅させ

人の繋がりを変え

生きてゆく形を変える

子どもの育て方にも

もちろん大きな変化が

生じた


総ては分割され 分散した

住居は世代ごとに

仕事は外の職場に

赤ん坊は保育園に

幼児は幼稚園に

買い物はスーパー コンビニに

効率が第一の世になった


人の遇し方も変わった

年功序列は廃され

成果主義が至上になった

同時に ゆとり、温情、思いやり

相互扶助、猶予など

仕事の場の緩衝装置も

消えて行ったのではないか


育児と仕事

その両立は至難のこと

昔から今に至るまで

多くの母親が悩み 苦しみ

悶え、泣き、怒り、訴え

しかし、解決の道遠く

その結果としての

少子化に 今更ながら

政治も無視できず


かといって

事態打開の道は見えず

問題を先送りしているばかり

それでも 子は育つ

育てなくてはならない

人の子を 人にするために

やさしく こまやかに

そっと触れてやらねばならない


さて そこで

あなたに その役割が

回ってきた。いや、あなたが

その役割を 引き受けた。

去年5月、34年継続した

公文式西柴教室を閉じるとき

京都の母親の介護のため

と、表向き言ったけれど

本心は 違ったはず。


孫の面倒をみるため

孫の母親を支援するため

ではなかったか。

生後半年で 保育園という

世の中に出て行った清ちゃん

その健気さに感じ入ったけれど

振り返れば、清ちゃんの母親も

その頃には ポピーに

預けられていたんだ。


仕事を持つ母親役を

あなたはもうずっと以前から

見事にこなし、立派に

子どもたちを育て上げたのだ

時は巡って あなたは

仕事を持つ母という娘と

保育園に預けられた清ちゃん

を支援する立場になった


あなたが仕事を離れてからの

この一年余り

毎日のような お迎え役と子守役

それは並大抵ではない苦労。

しかし、立ち、歩き、しゃべり始めた

清ちゃんの成長を 

日々、その手で支え、その目で

見続けている幸せを

思いましょう


あなたの京都弁を

清ちゃんが真似する幸せを

噛みしめましょう

あなたに抱かれることを

せがむ清ちゃんの心を

しっかり受け止めましょう

このような喜びは

他に求めても得られない。


大きな孫の柊ちゃんを

日産ギャラリーに案内して

楽しませ、

柊ちゃんが 清ちゃんを可愛がって

大いに遊ばせ、

皆で遊ぶ楽しさを

清ちゃんが「みんなで」と話す

こんなに素敵なことはない。


これは 長く続くことではなく

もうすぐ「大変だったけれど、楽しかった」

という日が来る。

あの頃を懐かしむ日が来る。

いまは なかなか忙しいけれど

しばらく頑張りましょう。

アリアやシャンソンや朗読や

アレンジメントや その他いろいろ

好きなことも やりながらね。  


2010.8.25

   
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