「高所」とは、本来あるべきはずのないものが高い所にあるがゆえにもたらされる意外感、恐怖感を与えるものをいう。
私がトマソンを吹聴しはじめたころは 1990 年ころだろうか、
当時の職場の上司の A さんが酒の席でこんなことをささやいた。
「丸山くんのいうトマソンを友だちに話したら、そいつがいうには身近なところにあるよ、っていうんだ。
何かと思ったらそれが高所なんだ」
「どこにあるんですか」
「ほら、ぼくたちが通勤する S 駅と工場の間の道があるだろ。あそこに薬局があって、その隣が駐車場になって、
その駐車場の隣は普通の民家だ」
「わかります」
「その駐車場を隔てて、薬局と民家の両方に高所ドアがあるんだよ、それも向い合せの」
「それはすごい、凄すぎる」
早速翌日確かめたら、その通りだった。今までまるで気付いていなかった場所に、 かくも美しく向い合せのトマソンがあったとは。「見えども見えず」というのはまさにこのことかと得心したのだった。
気になりつつも写真にとらずにはや十余年。わたしがそこへ行くことはもうない。
もう行くことがないと思っていた場所に、2015 年あたり行く用事ができた。「薬局と民家の両方に高所ドアがある」あたりに行ったら、 民家はなくなり、薬局は建て替えられて高所ドアはなくなっていた。(2024-07-24)
高所ドアの例が、私の所属する合唱団の合宿で普段からお世話になっている宿屋にあった。 以前写真を撮っていてここに掲載していたのだが、どうも削除してしまったらしく見つからない。 現在は合唱団を辞めているので写真を撮りたくとも撮れない。