バスが好きである。普段は使わないが、出張先に行く時はなるべくタクシーを使わず、 バスを使う。会社から支給されるにもかかわらずバスを使うのは、貧乏性だからだ。
1992 年か 1993 年の夏だった。仕事で倉敷市のある寮に2週間滞在した。 駅からその寮まではバスで行く。そのバス路線は珍名の宝庫であることを聞かされていた。 私が降りるべき停留所「ドンドン」を聞き逃さないように珍名のテープ連呼を聞き続けていた。 すると、バスが赤信号で止まった。と同時に、エンジンも止まった。今でいう アイドリング・ストップを、当時からそのバス会社ではしていた。
アイドリング・ストップは環境保護の面などで望ましいと言うことは今になっていえる。 しかし、そのときはそんなことは思わなかった。ただひたすら思い出すのは、 外の暑さと珍名の停留所が入り交じった、何ともいえない岡山特有のけだるい雰囲気であった。
バスといえば、一両に乗客が私だけ、という体験をしたことがある。 二十歳の頃、 中央本線茅野駅(あたり)か信越本線上田駅(あたり)から女神湖に向かって バスに乗ったことがある。このとき、乗車していた客は私だけだった。 職員は運転手一人に車掌一人だった。途中乗客は二人乗り込んできたが、 二人ともほどなくして降りてしまい、ふたたび私一人になった。女神湖で降りるまで、 ずっと一人だった。
バスというのは、えてしてこういうことがありがちだと私は思い込んでいるが、 今の所一人だけというのは先に述べたときが最初で最後である。
電車でびっくりしたことがある。 つれあいと二人で名古屋から近鉄のビスタカーで賢島まで行ったのだが、 私達が乗った車両には他に誰もいなかった。 平日とはいえ夏休みのさなかだったのに、 なぜこんなことが起きたのだろう。
どこかに書いていると思うので省略する。
2009年5月4日から5月5日にかけて、群馬県藤岡市、神流町、上野村をバスで旅行した。以下はバスに主題を当てた旅行記である。
5月4日のバスの旅では、当初朝日交通の本庄駅→神泉総合支所を利用する予定だった。 しかし、この路線のホームページ上での情報は極めて貧弱だ。停留所がどこか、わからない。 調べていくうちに、むしろ日本中央バスの新町駅→上野村ふれあい館を使うのがよいことに気付いた。 良い点は次の通り
不便な点もある
しかし、どうせ観光で時間を使うのだから、便数は少ないことは覚悟することにした。
さて、この日本中央バスの路線は「奥多野線」という名前がついている。 多野という名前は、このバスが通っている地域が多野郡であることから名づけられたのだろう。 このバスは、高崎市から藤岡市、神流町を経て上野村にいたる。 ここで、神流町と上野村は多野郡に所属する。 バスの出発地は高崎市だが、その前は新町という町であった。 また、藤岡市を通るが、ここも合併前は鬼石町という町であった。 旧新町、旧鬼石町のどちらも多野郡に属していた。
当日は予定より早く新町駅に着いた。少し時間があったが、飯を食うだけの場所はなかった。 ひょっとしたらバスで食べられるかと思ったが、来たバスは小型で、とても食べられるだけの余裕はないようだった。 座席は、私の記憶では次の通りである。□が座席を、|が入口を、∥が出口を表す。
∥ ○←運転席 □ □ □ □ | □ □ □ □ □□ □ □□ □ □□
乗車は定刻3分前だった。運転士から、2日間有効なフリー切符を買った。 当初、私たちは宮地という停留所で降りる予定だった。ここから歩いて滝を見に行く予定だった。 しかし、同行人の強い要請により、降りる場所を変更し、ダムサイト入口にした。 バスに乗った他の人たちのなかには、子供連れもいる。子供は思ったよりうるさくないが、大人の男と女がうるさい。
バスに乗ると、いろいろと見えるものが新鮮である。
帰りのバスは混んでいるだろうか?それが一番気になったことである。 ダムサイトは15:18分発の予定である。バスはほぼ定刻に来た。 私たちの不安は的中した。バスは混んでいた。 このとき、外人の男が3人乗っていた。登山の帰りのようだ。 そのうちの二人は席に座っているが、残りの一人は床に寝そべっている。 その一人と、案内人らしき日本人の女が英語でしゃべっている。 立っている乗客も何人かいる。私たちも立ちっぱなしで、 床に寝そべっている不良外人のため、立つ場所が狭くて迷惑だった。 座っている外人は、分厚い英語の本を読んでいた。表紙を見ると、 「日本人の論理」というような表題が英語で書いてあった。
さて、この不良外人の態度は腹立たしかった。あるバス停で誰かが誤って停車ブザーを押したが、結局降りる人はなかった。 不良外人はいったん起き上がり、後ろを通そうとしたが、 通す人がないことに気付くと何やら怒りだし、シャドーボクシングをするのだった。 何を言っているのかわからないが、 英語がわからないことはこういうときにいい。
さて、私と同行人が降りるバス停が来た。今度は、不良外人は寝そべったままだ。 停留所へ来て、私は「すいません、降ります」と日本語でいった。 面倒がる不良外人に向かい、きつい調子で同行人は次のように注意した。 "YOU MIGHT WANT TO STAND UP!" 不良外人は何やらわめいていたが、そこは降りた者勝ちである。
それにしても、日本もなめられたものだと、つくづく嫌になった。
この日は、座れるかどうかという心配に加え、不良外人に会わないといいが、という心配が新たに付け加わった。 乗ってみたら、座れた。またも外人もいなかった。これで一安心。 バスの乗客を見てみると、前日と同じく、子供がいた。ただし、今回は大人も含めてみな静かだ。 子供のうちの一人は、日本人とは異なる顔立ちだ。
この日も発見があった。
私たちは「上野村役場入口」という停留所で降りて、鍾乳洞を目指した。
山から下って「勝山」という停留所まで歩いた。
バス停が行きで降りた所と異なるのは、 上りと下りの道が異なることと、 トイレを探すためである。この勝山という停留所には道の駅上野があるのだが、 停留所を見ただけではそれがわからない。不親切ではあるが、昔の地名を大事にするのだろうか。
バスが来たのは定刻より10分遅かった。 座れたのはよかったが、 嫌な予感が的中した。外人がいた。2人いて、どちらも登山をしてきたらしい。 その後、もう一人外人が乗ってきて、計3人になった。 しかし、前日の不良外人のような態度の悪い者はいなかった (後に示すが、少し嫌な感じの奴はいた)。 最も嫌なのは、むしろやはりツアーの案内人と思しき日本人女性だった。 きのうの案内人と同じ人物かどうかはわからない。 登山の荷物を椅子に載せていていて平然としていたことだ。 荷物は乗客用の椅子に載せず、地面に下ろすものだろう。
埼玉県には昔、両神村という地方公共団体があった。2005 年 10 月 1 日に小鹿野町に吸収合併され、 今では小鹿野町の一地区となった。 しかし、両神(りょうかみ)の名前は両神山や両神温泉などの名前で健在である。 ふと思い立って、つれあいと私は 2010 年 11 月 21 日 から 22 日にかけて、 両神まで一泊二日の旅に出かけた。 以下は両神地区の訪問記である。
私たち夫婦は越谷市で暮らしている。あるとき、市の広報で、両神荘という契約施設があることを知った。
広報には、越谷市民であれば割引対象と書いてあった。これはいい機会だ、
ということで、温泉付国民宿舎 両神荘
(www.ryokamiso-saitama.jp) に行くことにした。
なお、上記サイトのタイトル、つまり <title> </title> 欄には
埼玉県秩父市小鹿野町 温泉付国民宿舎 両神荘
とあるがこれは誤りで、正しくは
埼玉県秩父郡小鹿野町 温泉付国民宿舎 両神荘
である。
埼玉県には秩父市もあるので、誤る理由はわかる。
行く日は、11 月 21 日と 22 日にした。 11 月 22 日が「いい夫婦の日」で、
この日を初日か二日目にするのがいいだろう。そして、
11 月 23 日は所用のため家にいる。かくて、11 月 21 日を初日とするのが必然となった。
公共交通機関によって両神荘に行く方法を調べた。 越谷から行く場合、現実的な方法は鉄道とバスの組み合わせとなる。 両神荘にはバスで行くしかない。バスは次の2種類がある。
なお、西武秩父駅と秩父鉄道の御花畑駅は歩いて5分と近いので、 以下の説明では両駅を同一駅とみなす。 では、三峰口駅か西武秩父駅のいずれかには、電車でどう行けばいいだろうか。 南越谷駅を基点とすると、次の 4 手段が考えられる。以下、駅名の「駅」は省略する。
実際は、行きが a-1, 帰りが b-3 を選んだ。 行きは計画的であった。バスや電車の時刻表を調べて、a-1 がもっともムダが少ないと考えた方法である。 帰りは成り行きであった。出立時刻とバスの時刻表から b が決まり、 電車は同じ経路をとりたくないという理由だけで 3 となった。
なお、上記バス路線は両神荘最寄のバス停である「薬師堂」まで行くバスで、 すべて小鹿野町営バスである。西武秩父からの路線は直通が日に4便と少ない。 「両神庁舎」で「薬師堂」を通るバスに乗り継ぐか、 「両神庁舎」で降りて川沿いに 15 分歩くかすればよい。
さて、鉄道とバスの旅に出かけた。 鉄道の部は秩父鉄道編を参照していただきたい。 以下はバスの旅と宿について記す。
2010 年 11 月 21 日、秩父鉄道の終着駅である三峰口駅に到着した。定刻の 14:56 ぴったりであった。 私は急いで用を足したあと、15:00 発の小鹿野町営バスに乗り込んだ。 両神庁舎行きである。
私たち夫婦のほかには、男女の二人組と女性一人が乗っている。 女性からは小鹿野町営バスについてのアンケートを手渡された。 バスの利便性向上と運行見直しが目的である。 使った区間や時間などに答えたが、 最後の問いには困った。 利用頻度に対する回答の選択肢が、毎日、2・3日に一度、一週間に一度、 月に1度、雨天時のみ、しかない。俺たちのように観光用途で使うときにはどう答えればよいのか。 観光用途を考えていないのか、と文句を言いたくなったが仕方がない。 この場では「雨天時のみ」を選んでおいた。 特に自由記述欄もなかったので、先の文句もつけようがなく、そのまま女性に返した。
駅を出るとすぐに、荒川を渡る白川橋という橋に出る。運転手はバスを橋の上で止まらせ、 「ここから見る荒川の紅葉がよく紹介されるんだよね」と解説していた。 確かに、観光客と思われる歩行者もこの橋から荒川を眺めていたが、 それにしてもどこか微笑ましい。 その後バスは発車して、県道 37 号線を走って両神庁舎に向かう。
バスが目的地に向かっていると、あるハイカーがバスに向かって手を振った。 運転手が止めてドアを開けると、ハイカーは「このバスは三峰口駅に行くか」と聞いた。 運転手が否定し、反対方向のバスを待ってくださいと答えた。 ハイカーは、「反対方向のバスが何時に来るのか」と聞いたら運転手は「わからん」。 運転手でも把握はしていないようだ。 ハイカーはわかったと答えた。どうやら歩いて三峰口駅に向かったようだ。
目指す両神荘の最寄のバス停は「薬師堂」である。私たち夫婦はここで降りた。 また、駅から乗り込んだ男女の二人組もここで降りた。 ここまで、誰も乗らず、また誰も降りなかった。
この停留所の近くに小鹿野町、というより旧両神村の案内図があったので、これを写真に撮った。 この案内図の場所から歩いて 5 分の場所に両神荘がある。 途中、復元された縄文時代の住居を目にした。中は薄暗がりでほとんど見えない。 不気味だった。
両神荘には無事着いた。荷物を部屋に置き、近くを散歩することにした。
両神荘の脇を、小森川という荒川の支流が流れている。ここに沿って散歩した。 まず、川岸に下りてみると、飛石でできた橋があった。せせらぎ橋という。 飛石の間を川の水が速く流れる。 ここを渡るのは後の楽しみにして、川の流れに沿い北へ向かった。 するとすぐに西に曲がり、すぐに立派な鉄橋が見えた。こちらはやわらぎ橋という。 この橋を渡り、川に沿った農免道路という道に出て、今度は川の流れとは反対に向かった。 どこかにせせらぎ橋に入る小道があるに違いない、と思いながら歩いていったが、 道から見えるのは森ばかりで、小道の案内もない。 10 分ほど歩いて見つけた案内板には、すでにせせらぎ橋への道は過ぎているように見えた。 結局元の道を戻ることにした。
さて、せせらぎ橋まで戻り、対岸に渡ってみた。飛石の幅は広く、けっこう勇気がいる。 対岸から農免道路に抜ける小道はあるようだが、その小道が倒木で塞がれている。 この小道は今も通り抜けられるのだろうか。もう 5 時を過ぎて暗くなってきている。 急いでせせらぎ橋を戻り、失われた森の小道に別れを告げた。
食事は午後 6 時 15 分からだ。それまでに風呂を済ませることにした。 温泉に浸り、ゆったりと過ごした。まず内風呂で体を洗い、 そして露天の桧風呂を楽しみ、最後にまた内風呂で体調を整えて上がった。 長い間温泉にいたように感じたが、実際は 5 時 30 分から 6 時ちょうどまでの 30 分だった。
6 時 15 分からの食事は豪華だった。中でも、 シイタケ、サツマイモ、カボチャ 3 種類の天ぷらがバイキング形式で食べ放題となっていたのがすばらしかった。 私は特にシイタケの天ぷらが気に入った。 それから、各種の漬物もありがたかった。なかでもこれはと感じたのは「しゃくし菜漬」だった。 おみやげで買ったほどだ。 追加注文で頼んだ岩魚の塩焼きと豚味噌漬焼きは、どちらも美味だった。 特に豚味噌漬焼きには驚いた。
酒はビール瓶1本とぬる燗2合に抑えた。これで十分酔っ払った。 飯を食べ終わったのは 8 時ごろだろうか。
部屋に戻ってからはすぐに寝てしまった。
せっかく酔いのおかげですぐに寝入ったのに、夜中に目が覚めてからはなかなか寝付けなかった。 それでも疲れはとれたので、朝 7 時に起きて、風呂に入った。 男風呂と女風呂は朝晩で入れ替わる。朝の男風呂は昨晩の女風呂で、ここにある露天風呂は岩風呂である。 泉質は岩風呂も桧風呂も内風呂もみな同じである。朝の岩風呂でも寛いだ。
朝食は味噌汁を除き完全なバイキング方式だ。 全部でこれだけの品があったと思う。
わたしは納豆とパン、クロワッサンを除きガツガツとほとんど食べた。 特に昨日に続き、しゃくし菜漬とシイタケを貪るように食った。
チェックアウトを済ませたのは 8 時 30 分過ぎだった。 三峰口駅に向かう薬師堂発 8 時 38 分のバスには間に合わず、 西武秩父駅に向かう薬師堂発 9 時 28 分のバスに乗ることにした。 しかし、ただ待つのも癪だから、一つ隣の郵便局前というバス停まで歩くことにした。 8 時 50 分ごろだと思う。 この車道はトラックの往来が激しい。どうせなら河原沿いを歩いたほうがよかったと後悔したが、 もう選んだ道だ。引き返せない。 結局 20 分ほど歩き、9 時 10 分には郵便局前に着いた。 次のバス停まで更に歩くことも考えたが、万が一のことを考え、ここで待つことにした。 結果的にはそれが正解で、もし次の停留所まで歩くことになっていたら、 その両神庁舎が見つけられなかった可能性が大だった。 郵便局前で乗ると、バスには客が 7 人ぐらい乗っていた。
旧両神村の市街地はお世辞にも繁栄しているようには見えなかった。 小鹿野町と合併してそうなったのか、合併する前からこうだったのかは定かではない。 小鹿野町の市街地に向かってバスは進んでいく。 私が驚いたのはガソリンスタンドの跡地が少なくとも4箇所はあったことだった。 なぜだろう。 小鹿野の市街地は結構な数の店があった。 気になったガソリンスタンドも、市街地にあった。農協が経営していて、大規模だ。
市街地を抜けて、また回りは山と川の景色になった。 紅葉が目に心地よい。 小鹿野は山にあり、西武秩父駅は市街地だ。だから秩父に向かう道は下りになるはずだ、 と思い込んでいたらバスは登り道を行く。どうやら、峠になっているのだろう。 しばらくして見えたのは「クアパレスおがの」という停留所だった。 豪華な施設である。 実際には「クアパレスおがの」は営業を停止し、そのあと「バイクの森おがの 般若(はんにゃ)の湯」 という施設に衣替えした。しかし、「バイクの森おがの」も 2010 年 8 月末で営業を停止した。 般若の湯も同時に営業を停止したと思われる。 とはいえ、バイクは多く止まっており、ライダーたちが楽しそうに会話をしているように見えた。 勤務先にも、親戚にもライダーはいる。私はバイクの免許さえ持っていないが、 ツーリングを楽しみにするライダーの気持ちも少しはわかる。
その後、秩父ミューズパークを通る。サイクリングセンターなら俺は遊ぶ自信がある。 さらに下ると市街地が見えてくる。山道からの盆地の眺めは山の紅葉とあいまって素晴らしい。 私たちは終点で降りたが、秩父鉄道の駅を使うなら一つ前の停留所である上町一丁目で折りるのがよく、 ここからなら御花畑駅まですぐだ。 バスが終点の西武秩父駅に着いたのは定刻通り 10:12 で、 そこから歩いてお花畑駅に着いたのは 10:20 ごろだった。 もっとも、上町一丁目で降りたとしてもバスの定刻が 10:06 で、 お花畑から羽生方面の電車は 10:05 発だから間に合わない。
あとの旅行記は、秩父電車に乗るでお読みいただきたい。
以前私が「おたる寿司」という回転寿司に入ったときのことだ。 抽選で日帰り旅行に当たるというアンケートを書いた。 ついでに、当選したとき招待したい人を書くようにあったので、つれあいの名前を書いた。 すると、つれあい名義で当たりました、という通知があった。 無料というからには怪しい。ただ、生きている限りは社会勉強である。 同伴で私が参加するのもいいらしい。その場合は 9,800 円が必要である、 というので行くことにした。 最終目的地は諏訪大社(上社)であるが、その前にいろいろ行くところがある。
出発日は 2011 年 7 月 29 日(金曜日)、場所は草加駅東口、少し歩いたところである。 集合は 6 時 10 分、出発は 6 時 20 分である。いやに早い。 バス会社は、有限会社北斗観光バス(www.hokutokankou.co.jp)である。 ここの大型バスに対応しているが、サロンタイプにはしなかったと思われる。 また、灰皿はついていたが、飾りものとして扱うようにとの添乗員の指示だった。 当然であろう。 なお、トイレもなかった。
私は自動車を運転しないし、知人の車に乗ることもほとんどないから、以下の経路情報は信じないのがいいだろう。 草加を出たバスは外環道の草加インターチェンジから美女木ジャンクションで首都高速道路5号池袋線に入った。 荒川の上で完全に渋滞で止まった。このときちょうど 7:00 だった。なぜ金曜日で渋滞するのかわからなかったが、 ひょっとして月末ということで運送用車両が多くあったので混雑しているのかもしれない。 その後も断続的に渋滞は続き、首都高の中央環状新宿線のトンネルを通ったのが 8:00 だった。 そしてその後首都高の4号新宿線と接続した。中央高速に乗ったのは 8:30 少し前と思われる。
中央高速でも少し渋滞した。どうやら事故後の処理で車線が制限されていたのが原因らしい。 トイレ休憩は談合坂のサービスエリアについたのは9:40 だった。9:55 に出発した。 サービスエリアは小中学生が多かった。林間学校だろうか。
談合坂からは快適で、10:10 ほどで一宮御坂インターチェンジについたが、こんなに速かっただろうか。 談合坂から一宮御坂までは 40 km 弱ある。時速 80km であれば 30 分でいくのは計算上ではそうなるが、 大月ジャンクションから西の距離感が今一つわからなかった。 このインターチェンジを降りると、国道 137 号線(通称 御坂みち)があり、ここから各地に連絡する。 このバス旅行では、途中まで御坂みちを使い、そこから石和温泉駅に近い店に向かった。
なお、一宮の名前は、現在の笛吹市の合併前の東八代郡一宮町から、 御坂(みさか)の名前は同じく東八代郡の御坂町からとられている。 御坂みちの名前は、河口湖駅から音楽合宿の宿に行くときいつも通っていたので覚えている。
山梨県の用事は 12:45 に終わり、12:50 に再度一宮御坂インターチェンジにつき、ここからさらに西北を目指す。 諏訪南インターチェンジについたのは13:00ぐらいだろうか。そこから原村の一般道を行き、大門街道(国道125号線)に至り、白樺湖に行く。 白樺湖は 14:00 に到着した。
白樺湖を 16:00 に出発しビーナスラインを通り、途中30分のおみやげ屋休憩を経て諏訪大社(上社)に向かう。 17:20 ごろである。ここは昔、茅野駅から歩いてとんでもなく疲れたところである。 蓼科から帰る参照。
諏訪大社上社を18:10 に出発し、すぐ諏訪インターチェンジに乗った。あとはひたすら東京に向かうだけである。 途中八ヶ岳と赤石山脈(通称南アルプス)は見えたが、残念ながら富士山は見られなかった。 かなり薄暗くなっていたからだ。
心配された小仏トンネル前の渋滞もなく、休憩の石川パーキングエリアまでは快調だった。 小休憩後、出発は 20:00 ころだった。 帰りは板橋ジャンクションまでは同じで、そこからは美女木ではなく江北ジャンクションに向かったと思われる。 そこから首都高速川口線の新郷あたりで降りて、谷塚を経由して草加に向かったと推測される。 最後、草加駅に着いたのは 21:30 であった。お疲れさま。 (2011-07-30)
愛知県春日井市には春日井駅が2か所ある。東海旅客鉄道中央本線の春日井駅と名古屋鉄道小牧線の春日井駅で、両者は全く別のところにある。 さて、東海旅客鉄道の春日井駅近くのホテルに泊まった翌日、犬山城を見に行きたいと思った。 そうなると名古屋鉄道の犬山駅に行きたいのだがどうすべきか。 少し考えて小牧線の適当な駅までバスを使い、そこから小牧線の終点の犬山駅まで行くことにした。 東海旅客鉄道の春日井駅から小牧線の駅にいくバスは、小牧駅行きの一種類しかない。 こんなところを全区間乗る人はふつういないだろうが、やってみることにした。
私が搭乗したのは 2016 年 8 月 15 日の月曜日であった。平日であるにもかかわらず、休日ダイヤである。 これは、8 月 15 日がお盆の期間だからということである。しかし、日本の会社ではお盆も通常勤務にしているところも多い。 この日も多くの人がバスに乗って会社の事務所や工場で降りて行った。
電柱には眼科の看板がいたるところに掲示されている。眼科ということもあり、看板には目のイラストが描かれている。 VOW で見た写真は、電柱の足場ボルトがちょうど目のイラストのところに来ていた。つまり、目に足場ボルトが刺さっているように見えるので、 非常に怖かった。VOW 2 p.16 に、みうらじゅん氏が投稿している写真がそうである。
看板で「ひち」あるいは「ひちや」がよく目に入る。質屋のことだろうが、しとひの違いが強烈に残る。
途中で「ベトコンラーメン」の看板を掲げたラーメン屋があった。ベトコンといえば、 南ベトナム解放民族戦線を思い浮かべる。その他詳細は Wikipedia などを参照。
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