ゴドフスキー:モーツァルトピアノ協奏曲第10番のカデンツァ

作成日:2013-08-04
最終更新日:

意見表明

レオポルド・ゴドフスキーは、モーツァルトによるピアノ協奏曲 Kv365 のカデンツァを書いている。 モーツァルト自身も第1楽章と第3楽章のカデンツァを作曲していて、 ゴドフスキーもそれにならっている。しかし、様式は全く異なる。 モーツァルトも、ゴドフスキーも、作曲者自身の書法で書いているからだ。

ゴドフスキーは、このカデンツァの出版時に序文を寄せている。 大意は、カデンツァは当時のスタイルを真似すればよいというのはまちがっている、 カデンツァは演奏者自身の主観を表明するものだから、というものだ。以下は拙訳である。

モーツァルトのピアノ協奏曲 K.365 の第1楽章と第3楽章のカデンツァを作曲しているとき、 私の主なねらいは、この協奏曲のテーマとなる素材やパッセージを使い尽くすことであった。 そして同時に、現代における和声や対位法、ソノリティ、 鍵盤楽器のイディオムをそのカデンツァに適用して自由を得ることだった。

(中略)

協奏曲で自由なカデンツァを曲のスタイルを模倣して用意することは、 演奏者の当然の特権として考えられている。 これは、カデンツァには原曲のテーマの素材を使った個人的な注釈を適用するためである。

明らかに、このような特性をもつ、度を越した、そして不釣り合いな装飾は、 カデンツァがその協奏曲に対する和声関係を危うくするものであれば、 形式的には悪だろう。 しかし、作曲家の想像力を自由に機能させることに対して、倫理的に異議が唱えられることはほとんどない。 したがって、作曲家のスタイルを忠実に模倣しなければならないという美的理由はほとんどない。

最後に、このカデンツァでは、演奏者は自分の主観による解釈を表現することを期待している。 一方で、作品本体に要求されるのはより客観的な表現である。

原文を以下に掲げる。

In composing cadenzas for the first and third movement of the Mozart. Concerto for two pianos, my principal aim has been to utilize the thematic material and passages of the concerto, at the same time allowing myself the liberty of a more modern application of harmony, counterpoint, sonority, and keyboard idioms.

Provision for the interpolation of a free cadenza in a concerto may be considered. as a privilege granted the performer to supply a personal commentary on the thematic material of the original work. It is a fallacy to assume that the executant is obligated to imitate the style, construction or even the idiosyncrasies of the composer, for the cadenza allows the player an opportunity to reveal his musical, intellectual, emotional, and spiritual qualities - to reveal the scope of his knowledge, the calibre of his logic, and the range of his inspiration.

It is obvious that an extravagant and disproportionate display of any one of these attributes would be in bad form, jeopardizing the harmonious relation of the cadenzas to the concerto. But there exists as little aesthetic reason for a servile imitation of the composer's style as there can be an ethical objection to a free functioning of the performer's imaginative faculties.

Finally, in the cadenza, the player is expected to impart his subjective interpretation of the composer's work, in contrast to the more objective presentation required in the body of the composition.

Leopold Godowsky
New York, June, 1, 1921

第1楽章

カデンツァの開始では、第1ピアノと第2ピアノが異なる動機を引用している。 第1ピアノで引用しているのは121小節からのアルペジオの動機であり、 第2ピアノでの引用は両ピアノが初めて出てくるトリルの動機である。 これらの動機はピアノを変えて交互に繰り返される。

アルペジオの動機ピアノトリルの動機

付け加えるが、ピアノトリルの動機は、下記による 冒頭オーケストラの動機を修飾した例である。

その後転調してハ長調となる。 ここではどちらのピアノも第2主題を扱うが、リズムが異なる。

そのうち、第1主題の下降アルペジオが第1ピアノに現れ、第2ピアノの第2主題と交錯する。

すると、第1主題の後半、ソドレミ主題が第2ピアノで豪快に出てくる。 対旋律の第1ピアノは、ピアノ登場部の推移で使われた音型である。

しばらく錯綜したゴドフスキーらしい個所を経て、 モーツァルトの原曲にある18小節からの経過部を模した音形が現れる。 第1ピアノのスタカートとテヌートから第2ピアノのトリルをなぞればわかる。 飾りがついているので原曲からきていることがわかりにくい。

ここで原曲の18小節と19小節は次の通りである。

この2台ピアノの対話が盛り上がり他の動機も出たところで、 楽譜上急に見通しがよくなる場面となる。

上昇音階とリズムは原曲 177 小節から取られている。

音階が3度となっているのは、269 小節からの投影だろう。 ここからの和音は昔の映画音楽のようで、
Am7 → D7 → Gmaj7 → Em7 → F#-57 → B7
という和声進行をたどる。その後、ホ長調と嬰ハ短調で動機をやりとりしたあと、変ニ長調でいったん落ち着く。

そこでも興味深いからみあいが続く。一端を掲げよう。 カデンツァの 57 小節である。

第1ピアノの右手は展開部の一節である 171 小節からの動機である
第1ピアノの左手は和声のアルペジオでとくにモーツァルトの原曲に対応はしない。 しかし第2ピアノの右手は原曲第2ピアノの89小節にある次の細かな動きを模したものだろう。

また、第2ピアノの左手は冒頭オーケストラの 3小節から4小節を、 次はオーケストラの18小節を意識している。まさに、ゴドフスキー自身のいう、 utilize the thematic material and passages of the concertoを証明するかのようだ。

その後も複雑な転調を経るが、再び変ホ長調に復帰する。このあとは終結に向かってまっしぐらに進む。


第1ピアノは 104 小節のアウフタクトから始まる優雅な旋律をもとにしている (さらにこれは冒頭近くのソドレミの修飾音形ともいえる)。

第2ピアノは 96 小節の右手の行進曲風の動機を利用している。左手はリズムを受け持っているため、 このモーツァルトの原曲に対応するところは考えなくともよいだろう。

これからクライマックスに向かって高まる。 ついにソドレミ旋律を両方のピアノでリズムを分けて鳴らしている。

そのあとも音階やアルペジオなど今までに出た動機があちこちから聞こえてきて盛り上がり、 最後に第1ピアノの上昇音階と第2ピアノのトリルで豪快に締めくくられる。

ここまで、ゴドフスキーのいう thematic material and passages of the concertoを見てきたが、 同時に言及された the liberty of a more modern application of harmony, counterpoint, sonority, and keyboard idioms については触れられなかった。また出直してくる。

第3楽章

こちらのほうは楽章の主題やパッセージは一部の使用に留まっている。しかし、 中間部では第2楽章の主題を引用していて、しかもここがいかにもゴドフスキーらしい harmony, counterpoint, sonority, and keyboard idioms に満ちている。いずれ紹介する。

主題は第2ピアノで変ホ長調で現れる。原曲ではやはり第2ピアノで 99 小節から変ロ長調で提示される、 推移的な動機だ。

この99小節からの動機の和声進行は原曲ではクリシェで、2小節ずつの和声進行が B♭→F→Gm→Dm→E♭→B♭→Cm→F7→B♭のようになる。 (楽譜ではB♭とFのみ)

ゴドフスキーは、和声進行をクリシェにせず、2度ずつ上方に推移させている。つまり、 E♭ →B♭のあとは Cm にせずに B♭7にしている(Fmでないことにも注意)。

一方第1ピアノからは、B♭の同音反復にのせてかすかにピアノ独奏開始時のメロディーが聞こえる。 冒頭のB♭のつぎに、第4拍のC♭とA、そして第2小節の拍頭 B♭、C 、D を拾えばよい。

7小節からは第1ピアノと第2ピアノの役割が交替する。


第1ピアノがカノンを伴った付点リズム、 第2ピアノがアルペジオとなる。第1ピアノの第8小節で、アクセントのあるC♭の2分音符とB♭の4分音符、 そして第4拍の三連符は、次の小節の拍頭 C に解決する。この下降音階は、209 小節の左手から取られている。

なぜこの曲の解説を書いたか

理由は簡単で、2台のピアノのための協奏曲を弾かないかという話がもちかけられたとき、 モーツァルトのカデンツァではなく、ゴドフスキーのカデンツァを弾きたい、 と相手のピアニストとバックの弦楽合奏団に私が強引に申し入れたからである。 本番はいろいろあったが、私はこれが弾けたことに満足している。(2019-09-15)

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MARUYAMA Satosi