へりくだりの表現

作成日:1999-01-23
最終更新日:

1. へりくだりの表現

以下は私の師匠、ふる氏によるまりんきょあての投稿作品です。 まりんきょによるわずかな変更を除きそのままです。

まりんきょさま/ふるより

 自分の肉親のことを他人に対してへりくだって言う表現について気づいた
ことがあり、貴頁に適当かどうか判りませんが、ほかに書く場所もないので
投稿してしまいます。似て喰うなり焼いて喰うなりナスがママキュウリがパ
パ((C)言魔上人)ということでよろしくお願いします。

 愚息、愚妻とは言いますが、愚娘、愚夫とはどうも言わない。「言わない」
ことの証明は難しいので、手近にあった『日本語使いさばき辞典』(あすとろ
出版部,1995年)にてたしかめてみたのですが、やはり、娘と夫に関する謙譲表
現は一切存在しないようです。なぜでしょう。

 この事実は、日本における「男女平等」のホンネとタテマエを結構よく表し
ているのではないかと直観的に思いました。いくらヨソ様に対してでも、夫に
「愚」なんて付けられない。でも妻には付けられる。この意味で、やっぱり家
父長制は生きているらしい。ところが、オトコがタテてもらえるのは収入を稼
ぐ「夫」だけのことであって、収入がない子供の世界では、むしろ可愛い「娘」
の方がチヤホヤされていて偉く、この偉さはヨソ様への謙譲の気持ちに優るか
ら「愚」なんて付けちゃいけない。
 息子なんてそれに比べるとチャチなものである。もっとも、「愚息」は比喩
的に使われることもあるから言葉として定着しているんでしょうか。「愚息が
言うことを聞かないもので」(←今時こんな言い方する奴がいるか)

 結局たいしたことは言えてませんが、いかがなものでしょうか。

    ふる

p.s.上記『辞典』をみて意外だったこと。
1.「細君」は謙譲語であり、「愚妻」と言う場面で同様に使える。
 結構名の通ったライターのエッセイなどで、他人の嫁さんを「細君」と呼ん
でいるのがあったような記憶があり、じつに意外でした。「君」なら尊敬語な
のに「細」がつくと謙譲語なんですね。
2.両親にも「愚」を付けることができる。
「愚母」「愚父」という言葉がありました。私は一度も、見たことも聞いたこ
とも、もちろん使ったこともありませんでした。

2.まりんきょによるちゃちゃとふる氏のお答え

枠で囲んだのがわたしのちゃちゃです。少しだけ手を入れています。

別の辞典(新明解国語辞典第五版)では、「細君」は自分の妻の意味と、 他人の妻の意味の両方があります。 他人の妻を指すときは、主に同輩以下に使うという注記がありました。

 さすがは『新明解』。そうだったのか。

上記辞典には「愚兄」「愚弟」「愚妹」はありましたが 「愚姉」はありませんでした。姉は利口なようです。 「リア王」のことを指すのでしょうか?

 わはははは。小利口というやつですね。

なお、娘、息子を区別しない自分の子供の謙譲表現に「豚児」があります。 これは好きな表現です。なぜ豚なのだろう、といつも不思議な気持ちになります。

 フランスの男は恋人に「モン プティ コション」(僕の可愛い子豚ちゃん) と言うそうです。そういう風に言っておくと、結婚して何十年も経って 「この雌豚め」と罵っても態度を豹変したことにはならないのだそうで。 関係ないですね(^^)

    ふる

3. その後の表現

早速つれあいにふる氏からのメールを見せて 「僕の可愛い子豚ちゃん」と呼び掛けてみました。つれあいは「罪なことを教えてもう」と ぐちっていました。
謙譲をあらわす言葉にはそのほか、「管見」、「寡聞」などがあります。 まだまだたくさんあるのでしょう。

その後、ふるさんから「モン プティ コション」の実例を頂きました。 感謝します。フランスの本場ものです (2001-11-03)。

4.「細君」に対する笛吹きさんからのお便り

私の掲示板でためになる書き込みをして下さる笛吹きさんから、 「細君」に対するメールをいただきました。ありがたいことです。感謝します。

それと、細君についてですが、他人に対する己の妻の称と、人の妻を称する語とどちらもあるようで、 どちらが間違いってこともないのでは? の例 漢書、東方朔傳にあり、師古の注では、”師古曰、細君、朔妻之名、一説、細、小也、 朔自比於諸侯、謂其妻曰小君。”となっています。 これをみると、東方朔の妻の名前が細君だったか、東方朔が、 自分を諸侯にならべるため自分の妻を諸侯の妻の呼び方細君(細は小なりだから、同じってことですね) と呼んだかどちらかですね。 蘇軾の詩にも自分のつまをこう呼んだ例があります。は、書言故事の夫婦類に、”謂人妻、曰細君。” などとあって、中国でもどちらともありです。 小君 諸侯の臣が君主の妻を呼ぶ称。後に転じて、妻の通称となった。細君に同じ。 小君は『儀礼』(ぎらい、儒学の経書である13経のうちの1つなので、これでOKですね)に、”妻則 小君也”とあり、 『春秋穀梁伝』の莊公22年の記事、”葬我小君文姜、小君非君也、・・・・以其為公配、 可以称君也”とあります。 小君は君主ではないが、公の配偶者であるので君と称することができるってことですね。 なんで小君かといえば、『論語正義』によると、小君は君に比べて小と為すってことです。中国の経書の注などは、 こじつけが多いですけどね。 以上のことは、大修館の『大漢和』で調べて、原典にもあたってみました。 (久しぶりです。こういうことするのも) 『大漢和』がなくても、角川の『新字源』でも、けっこう役にたちます。 あんまり、素性のよくない辞典にたよると、 孫引きの孫引きみたいになってしまう惧れありです。ではっ

最後の文は痛い所を突きました。『新字源』を買うことにしましょう。 日本文化のためにも『大漢和』は買うべきなんでしょうけれど。 (私の通っている合唱団の先生のお宅の近くに、 諸橋先生の御子息がおられるとのことでした)。

新字源は 2009 年に古本屋で買いました(2013-01-19)。

新字源の改訂版も某所で手に入れました (2016-06-12)。

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MARUYAMA Satosi