理想のピアニスト(第22回、プログラムの表記) |
作成日:2010-10-12 最終更新日: |
あるとき、ある場所で、あるピアニストのピアノ・リサイタルのプログラムを拾った。 一部趣旨を損なわない範囲で変更・修正して書いてみた。
スカルラッティー | / | 3つのソナタ |
バッハ(ブゾーニ編) | / | シャコンヌ |
リスト | / | ペトラルカのソネット第 47 番 |
/ | 愛の夢第 3 番 | |
(シューベルト) | / | アヴェ・マリア |
ドビュッシー | / | アラベスク第 1 番 |
/ | 月の光 | |
ショパン | / | ポロネーズ |
/ | スケルツォ | |
/ | 小犬のワルツ | |
コープランド | / | 「アパラチアの春」 |
ガーシュウィン | / | 「ラプソディー・イン・ブルー」 |
このプログラムの表記に疑問を抱いた人はいるだろうか。
一般に、同種のモノが複数あれば、それらのモノは異なる。 あとでこれらのモノについて論ずるのであれば、モノに名前をつけるか、 さもなくば番号をつけて区別する必要がある。 音楽の場合にあてはめれば、普通は作者や出版社が作品番号という通し番号をつけるが、 後の研究者が研究のために番号を付与する場合もある。
イタリアの作曲家、ドメニコ・スカルラッティの作品の場合はこうだ。 ドメニコが作曲したソナタはたくさんあるので、 後世の研究者たちはそのソナタに番号をつけた。 研究者ごとに体系が違うが、ともかくその研究者の名前と番号を明らかにすれば、 ともかくも区別はできる。
このプログラムの場合、単に「3つのソナタ」とあるだけで、結局どのソナタかはわからずじまいだった。 残念である。
同じことが、ショパンのポロネーズやスケルツォに関してもいえる。 ショパンの場合は作曲者による作品番号があるからそれを使えばよい。 また、ポロネーズやスケルツォは種類ごとに通番があるからそれを併用することもできる。 念のために調性を追加しておけば完璧だ。 たとえば、ポロネーズ第5番嬰へ短調 Op.44 などのようにする。 ここで追加しておくが、通称があれば作品番号も省略は可能だ。たとえば、小犬のワルツは さきの流儀ではワルツ第6番変ニ長調 Op.64-1 となるが、これよりは「小犬のワルツ」 のほうが一般的である。さらにいえば、 このワルツに関して言えば、表記としては「子犬」のほうが「小犬」より多い。 Google では「子犬のワルツ」は「小犬のワルツ」のおよそ2倍多くヒットする。
リストの「愛の夢第 3 番」やドビュッシーの「アラベスク第 1 番」は この表記でよい。リストやドビュッシーには一般に通用する作品番号はない (リストの作品には整理番号もあるが、あまり一般的ではない)。 ちなみに、リストの愛の夢は計 3 曲、ドビュッシーのアラベスクは計 2 曲ある。 紛らわしいのはリストのペトラルカのソネットで、 この第 47 番というのは、「ペトラルカのソネット」が全部で47 曲以上あるということではなく、 ましてその47曲め、という意味ではない。 リストが作った「ペトラルカのソネット」は3曲だけだ。 それらは「ペトラルカのソネット第47番 」、「ペトラルカのソネット第104番」、 「ペトラルカのソネット第123番」である。
バッハ(ブゾーニ編)/シャコンヌ、とある。 これは、ピアノ編曲の金字塔であり、説明は要しないであろう。 さて、その三行下に(シューベルト)とある。 この文脈ではシューベルト(リスト編)/アヴェ・マリア と解するべきだろう。 せっかくバッハ(ブゾーニ編)とあるのだから、 どちらが作曲者でどちらが編曲者か、はっきりさせるのがいいと思う。
最後の二曲だけ、カギカッコが付されている。これはなぜか。 他と比べてより具体的な標題になっているというのが仮説だが、それほど区別する必要もないだろう。 ちなみに、アパラチアの春はオーケストラ曲、 ラプソディー・イン・ブルーは、オーケストラが伴奏でピアノを独奏とした一種の協奏曲だ。 ピアノ1台でどのようにやったのか、興味がある。
後記:スカルラッティのソナタは相変わらず、どの曲であるかの指定をプログラムに書いてある例は少ない。残念なことである。 作曲者と編曲者の関係は最近認知されるようになってきた。オーケストラ曲や歌曲、他の楽器のための器楽曲をピアノ独奏曲に仕立て上げる編曲者は、 やはり原作者と同様にクレジットされてしかるべきだろう。コープランドの2曲に関していえば、独奏のための編曲もあるに違いない。 事実、ラプソディー・イン・ブルーは私もピアノ独奏版を持っているのだった。(2016-03-21)
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