理想のピアニスト(第20回、ピアノ作曲家108人 続)
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作成日:2009-09-21
最終更新日:
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ピアノ作曲家 108人
再度数えると、ピティナのページには115人いた。前回の検討で省いてよいと判断して再考した結果、
残ったのは105人である。あと3人しか枠がないではないか。
残念ながら、下記の人たちを落とした。有名な作曲家もいるが、
ピアノ曲での傑作がない、という意味である。
- チマローザ
- ディアベッリ
- クーラウ
- プレイエル
- フィールド
- グリンカ
- レスピーギ
- ブリテン
その代わりに入れる人を考えたが難しかった。下記が一応の結論である。
これは、自分が知っている作曲家を明らかに贔屓していることをご了解願いたい。
それでも、これら作曲家の作品を私が弾いたり聞いたりしたことがあるのは、ここの2/3 ぐらいだろうか。
- スヴェーリンク(ネーデルランド) 1562−1621
- バード(イギリス) 1543−1623
- ブル(イギリス) 1562−1628
- ギボンズ(イギリス) 1583−1625
- フレスコバルディ(イタリア) 1583−1643
- ブクステフーデ(ドイツ) 1637−1707
- クープラン、 フランソワ(フランス) 1668−1733
- ラモー(フランス) 1683−1764
- スカルラッティ ドメニコ(イタリア) 1685−1757
- バッハ ヨハン・セバスティアン(ドイツ) 1685−1750
- ヘンデル(ドイツ/イギリス) 1685−1759
- バッハ カール・フィリップ・エマヌエル(ドイツ) 1714−1788
- モーツァルト、 レオポルト(オーストリア) 1719−1787
- ハイドン(オーストリア) 1732−1809
- クレメンティ(イタリア) 1752−1832
- モーツァルト、 W.A.(オーストリア) 1756−1791
- ベートーヴェン(ドイツ) 1770−1827
- フンメル(オーストリア) 1778−1837
- ウェーバー(ドイツ) 1786−1826
- チェルニー(オーストリア) 1791−1857
- シューベルト(オーストリア) 1797−1828
- メンデルスゾーン(ドイツ) 1809−1847
- シューマン、 ローベルト(ドイツ) 1810−1856
- ショパン(ポーランド) 1810−1849
- リスト(ハンガリー) 1811−1886
- アルカン(フランス) 1813−1888
- シューマン、 クララ(ドイツ) 1819−1896
- フランク(ベルギー) 1822−1890
- スメタナ(チェコ) 1824−1884
- ルビンシテイン、 アントン(ロシア) 1829−1894
- ブラームス(ドイツ) 1833−1897
- キュイ(ロシア) 1835−1918
- サン=サーンス(フランス) 1835−1921
- バラキレフ(ロシア) 1837−1910
- チャイコフスキー(ロシア) 1840−1893
- シャブリエ(フランス) 1841−1894
- ドヴォルザーク(チェコ) 1841−1904
- グリーグ(ノルウェー) 1843−1907
- フォーレ(フランス) 1845−1924
- ダンディ(フランス) 1851−1931
- モシュコフスキ(ドイツ) 1854−1925
- ヤナーチェク(チェコ) 1854−1928
- リャードフ(ロシア) 1855−1914
- エルガー(イギリス) 1857−1934
- シャミナード(フランス) 1857−1944
- アルベニス(スペイン) 1860−1909
- パデレフスキ(ポーランド) 1860−1941
- マクダウェル(アメリカ) 1860−1908
- アレンスキー(ロシア) 1861−1906
- ドビュッシー(フランス) 1862−1918
- ディーリアス(イギリス) 1862−1934
- デュカス(フランス) 1865−1935
- グラズノフ(ロシア) 1865−1936
- シベリウス(フィンランド) 1865−1957
- カリンニコフ(ロシア) 1866−1901
- サティ(フランス) 1866−1925
- ブゾーニ(イタリア) 1866−1924
- グラナドス(スペイン) 1867−1916
- ケックラン(ケクラン)(フランス) 1867−1950
- ジョプリン(アメリカ) 1868−1917
- ルーセル(フランス) 1869−1937
- ゴドフスキー(ポーランド) 1870−1938
- スクリャービン(スクリアビン)(ロシア) 1872−1915
- セヴラック(フランス) 1872−1921
- ラフマニノフ(ロシア) 1873−1943
- レーガー(ドイツ) 1873−1916
- アイヴス(アメリカ) 1874−1954
- シェーンベルク(オーストリア) 1874−1951
- スーク(チェコ) 1874−1935
- ラヴェル(フランス) 1875−1937
- ファリャ(スペイン) 1876−1946
- ドホナーニ(ハンガリー) 1877−1960
- スコット、 シリル(イギリス) 1879−1970
- 滝 廉太郎(日本) 1879−1903
- メトネル(ロシア) 1880−1951
- バルトーク(ハンガリー) 1881−1945
- シマノフスキ(ポーランド) 1882−1937
- ストラヴィンスキー(ロシア) 1882−1971
- カセッラ(カゼッラ)(イタリア) 1883−1947
- 山田 耕筰(日本) 1886−1965
- ヴィラ=ロボス(ブラジル) 1887−1959
- ボフスラフ・マルチヌー(チェコ) 1890−1959
- イベール(フランス) 1890−1962
- プロコフィエフ(ロシア) 1891−1953
- ミヨー(フランス) 1892−1974
- ソラブジ(イギリス) 1892−1988
- モンポウ(スペイン) 1893−1987
- ヒンデミット(ドイツ) 1895−1963
- ガーシュウィン(アメリカ) 1898−1937
- プーランク(フランス) 1899−1963
- コープランド(アメリカ) 1900−1990
- ロドリーゴ(スペイン) 1901−1999
- スカルコッタス(ギリシャ) 1904−1949
- カバレフスキー(ロシア) 1904−1987
- ティペット(イギリス) 1905−1998
- ショスタコーヴィチ(ロシア) 1906−1975
- メシアン(フランス) 1908−1992
- バーバー(アメリカ) 1910−1981
- ケージ(アメリカ) 1912−1992
- デュティユー(フランス) 1916−
- ヒナステラ(アルゼンチン) 1916−1983
- 尹 伊桑(韓国) 1917−1995
- リゲティ(ハンガリー) 1923−2006
- 中田 喜直(日本) 1923−2000
- シュトックハウゼン(ドイツ) 1928−2007
- ラウタヴァーラ(フィンランド) 1928−
- 武満 徹(日本) 1930−1996
- カプースチン(ロシア) 1937−
その後の考察
日本の作曲家たち
上記に挙げた作曲家は、全ピアノ作品を収録すると CD 2枚以上になるだろうか。言い換えれば総演奏時間が 70 分を超えるだろうか。
一番強く疑われるのは日本の作曲家である。まず、滝廉太郎(Wikipedia では 瀧廉太郎と表記している)の作品を考える。
早世の滝はピアノ作品が少ないように思える。事実そうだ。ピアノ独奏曲は「メヌエット」と「憾」しかない。だから滝は落とす。
その代わり日本の作曲家の誰かを入れる。
山田耕筰はどうだろうか。Wikipedia には 6 行分の記載がある。70 分を超えるかどうかはわからない。
ピティナのページ(www.piano.or.jp)では、
Wikipedia を超える曲があるようにみえる。たぶん大丈夫だろう。
中田喜直はそれなりに作品はあるようだ。ただ、ピアノ曲という観点からみるともっと強力な日本人作曲家がいそうだ。保留としておく。
武満徹は落とせないだろう。もっとも、ピアノ曲の全貌をつかんではいない。
母集団はどこからとるのがよいのだろうか。
ピティナの日本出身の作曲家の一覧 (www.piano.or.jp) から見積もると、
團 伊久磨の重複を除き、ちょうど 350 人(民謡扱いなどを含む)だった。これは大変だ (2016-03-26) 。
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MARUYAMA Satosi