理想のピアニスト(第11回):クープランの墓の思い出

作成日:2004-01-18
最終更新日:

2004年1月18日に教育テレビを見ていたら、 ラヴェルの「クープランの墓」が管弦楽版で演奏されていた。 私はこの曲が好きなので、ピアノ版のことを想像しながら昔のことを思い出した。

高校2年生のときだったろうか、FMから聞こえてくる軽快なピアノ曲にびっくりした。 それが、クープランの墓の終曲「トッカータ」だった。いつかこの曲を弾いてみたい、 そう思った。

少し調べてみて、この「トッカータ」というのは 「クープランの墓」という曲集の一部である、 ということを知った。 この曲集は、国内版では出ていない。どのようにして手に入れようか、 考えていた。

私が当時通っていた高校の最寄り駅に楽器屋があることを知ったのは、しばらくしてからだった。 通学路からはずれた所にあったので気がつかなかった。

初めてその楽器屋に行ってみた。楽譜の棚に、外国版の楽譜があった。びっくりした。 3列5段に、びっしりと外国の楽譜があった。 なぜ、地方の小都市に、そんなに楽譜があったのだろう。 近くに音楽大学はないはずだ。

恐る恐る、ラヴェルの楽譜を探した。ラヴェル弾きのみなさんにはお馴染みの、 クリーム色の表紙のデュラン版が何種類もあった。 そして、その中に、クープランの墓もあった。 中をのぞくと、小さめのおたまじゃくしがいっぱい泳いでいる。目がくらんだ。 値段を見た。2800円だったろうか。こちらにも目がくらんだ。どうしよう。 その日は楽譜を見ただけでとぼとぼと帰った。

しばらくして、楽譜を買おうか考えた。結局、買うことにした。 小遣いを握りしめて楽器店に行き、 高校生には不釣り合いなクープランの墓を店員に差し出した。 店員は私の身なりと校章を見て、「君はA高校だね。わたしもA高校の出身だから、 割り引きしてあげよう」と1割引いてくれた。ありがたかった。 それから、勉強そっちのけで、クープランの墓を練習した。 しかし、なかなか弾けなかった。 「前奏曲」だけはそれらしく聞こえるようになったのだが、 あとはメタメタだった。

大学生になってからも少しは練習した。しかし、うまくはならなかった。 まして、人前で弾く気はなくなっていた。 好きだから弾く、という図式が成り立てばいいのだが、 私の場合、そうはならなかった。 大きな理由は、他にも好きな曲ができたからである。 そして小さな理由は、 この曲を弾くアマチュアピアニストが思いのほか多かったからである。 私が好きだ、という理由だけで弾くのは、相当な冒険であるように思った。 これに輪をかけて弾きたくなくなった理由に、 この曲に挑んだアマチュアピアニストはほとんど撃沈している、 という事実もあった。特に、終曲の「トッカータ」が酷かった。 この「トッカータ」では、プロのピアニストでさえ逝ってしまうことがあるのだ。 この惨状を、私の先輩の N さんは予言していた。私はそれに気がつかなかった。

とはいえ、私の知るあるアマチュアピアニストは、この曲を完璧に弾いてのけた。 もちろん、「トッカータ」も含めて。 私は「この程度まで弾けなければ、アマチュアで弾いてはいけない」と思わされた。 そのあと、プロの演奏を聴く機会もあったが、 実演でこのアマチュアピアニストを凌ぐ演奏を未だ聴いてはいない。

そこで、結論はこうなる。「プロたるもの、理想のピアニストを目指すのならば、 『クープランの墓』は完璧に弾きこなさなければならない。」

だいぶ飛躍した論理であるが、諒とされたい。

最後に二つばかり付け加えておく。 まず、この曲(トッカータ)をラジオで初めて聴いたと書いたが、 これは、あるコンクールの予選の演奏であった。 コンクールの課題曲にもなるのだから、 やはり弾けないと困る。

もう一つ、なぜラヴェルの「トッカータ」でなければならないのか、ということだ。 世の中にはいわゆる難しい曲がある。 同じラヴェルなら、夜のガスパールの「スカルボ」がある。 また他にも、バラキレフの「イスラメイ」とか、リストの超絶技巧練習曲とか、 ストラヴィンスキーの「ペトルーシュカからの3つの断章」とか、 クセナキスの作品であるとか、ブーレーズのピアノソナタであるとか、 ソラブジのなんとかいう作品とかである。こちらも理由はわからない。 おそらく、高校生という多感な時期に、 課題曲という理由で違う演奏者による演奏を何度も聴いたので、 刷り込まれてしまったのだろう。 同じような経過を辿った曲、 すなわちコンクールの課題曲を聴いて好きになった曲がもう一つある。 ショパンのバラード4番である。この事実も、例証として挙げておく。

後記: 学生時代のピアノ仲間である hasida さんの 2016年2月:まだ続くトッカータ三昧 (www.katch.ne.jp)に、 このページが取り上げられているので多少補足する。

学生時代に目の前で「プレリュード」は弾いてくれたような気もしますが、 「トッカータ」をどうにかしようとしているような様子は一切見せていなかったようにも思います。

その通りである。あの曲を私の実力で耳の肥えた仲間に聞かせたら非難の嵐になるだろう。でも、クープランの墓の中で、 今でも暗譜で弾けるのは「プレリュード」のほかは「トッカータ」だけである。昔は、フーガ以外はみな暗譜していた。 これを機会に生きてきた恥さらしの総決算として、ラヴェルのトッカータを披露できるように練習してみてもいいかもしれない。 でも、hasida さんのきちんとした練習にはかなわないだろうな (2016-03-26) 。

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MARUYAMA Satosi