理想のピアニスト(第0回):ガキの夢

作成日:2003-03-24
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2003年3月23日、日曜日の朝放送されている「題名のない音楽会」を見ていたら、 ガキ二人が協奏曲を披露していた。男のガキはリストのピアノ協奏曲第1番を、 女のガキはブルッフのヴァイオリン協奏曲を弾いていた。 司会の羽田健太郎が二人に「将来の夢は」と聞いていた。 男は「世界一のピアニストになる」と元気に答えた。 女は「ストラディヴァリのヴァイオリンでカーネギーホールで弾く」とていねいに答えた。 性差というにはあまりにも見事な対比だ。 女の答を聞いて、 「フェラガモの靴を集めてマラカニアン宮殿に飾る」という、私が勝手に作った答と似ていると思った。 もっとも、似ているように作ったのは私である。

このインタビューを聞いて、さらに次のような話を思い出した。笑う哲学者、土屋賢二の体験談である。 小さい男の子と女の子が仲良くしていた。これを見て、 周りの子供が二人を「やーい、こいつらつきあってるぞー」と囃し立てた。 男の子は、「俺、こいつのこと、嫌いだもん」と怒った。しかし、これでは反論としては弱い。 女の子は次のように答えた。「つきあっているっていうのは、手をつないだりすることだけれど、 していないもん」土屋賢二はここで、女性が(女性用の)論理に強いことを示している。

そんなことを考えながら、ふと「理想のピアニスト」というのは定義できるのだろうかと空想してみた。 さきの男のガキの「世界一のピアニスト」ではなく、理想のピアニストというのがみそである。 世界一のピアニストは、ある適当な基準に照らせば世界に少なくとも一人はいなければならない。 そして二人以上いてもならない。その基準が適切でないときに困る。 たとえば、まりんきょというハンドルネームを持つ者、と定義されては、誰からみてもおかしい (わたしから見てもおかしい)。 そこで、理想のピアニストを考える。理想のピアニストならば何人いてもいいし、 いなくてもいい。ただし、定義ははっきりさせたい。

わたしは碌なピアニストではない。また、世の中のピアニストについてもほとんど知らない。 しかし、そこは割り切って、言いたいことを書く予定だ。(2003-03-24)

追記:あれから 10 年がたった。ガキはどうしているだろうか(2013-07-15)

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MARUYAMA Satosi