稽古について

作成日 : 2001-03-04
最終更新日 :

1. 楽器の稽古について

私はピアノとチェロを趣味で楽しんでいる。あまりまじめな稽古にはつかなかった。 若干の悔悟を込めて振り返る。

2. チェロの稽古について

2.1 自己流で XX 年

チェロを手にしたのは 198X 年のときだった。ピアノの役で通っていた室内アンサンブルに、チェロの方があまりいらっしゃっていなかったことが発端だった。 チェロはウェルナー(教則本)を買って暇な時間に自習しただけだった。 後はいきなり手と腕で音を確認しながら合奏団の伴奏に参加した。 最初のうちだけでも先生につけばよかったのだが、 結局チェロは未だに先生に習わずに今まで来てしまった。 無謀なことだ。 合奏団で、チェロのうまい方に右手の使い方や左手の運指について教わりながら 今までごまかしてきたのが現実である。

2.2 意を決して先生につく

いろいろ考えることがあって、2019 年の夏から、チェロを先生について習うことにした。 先生に定期的に習うというのはピアノを小学校でやめてからで、なんと 4X 年ぶりである。 私の知っているチェロの先生は一人しかいなかったので、その先生に習うことにした。 何か教則本は持っていますか、と聞かれたので、 「ウェルナーはありますが時代遅れと言われています。何かよい教則本があったら推薦してください」 とお願いした。すると先生は「ウェルナーは大変よい教則本で時代遅れではありません」と言われた。 他に教則本もないし、ウェルナーの最初のページから始めた。つまり構え方、弓の持ち方、弾き方からである。 2019 年夏のことである。

頭を使うものは独学は可能だと思うが、運動系は独学は困難で、 先生についたほうがよいと思う。(2020-04-03)

3. ピアノの稽古について

3-1. 先生についた稽古

私はピアノの先生につく前に、電気オルガンの教室に通っていた。 保育園の頃からか、小学校に入りたてのころだった。 小学校2年のあたりでオルガンの教室を辞めてしまった。

私がピアノの先生についたのは確か小学校3年のときだろう。 このときの T 先生は、私の弾きたいように弾かせてくれる方だった。 バイエルから始めて、ツェルニー30番、ツェルニー40番と進んだ。 ソナチネアルバム、ブルグミューラーを併用していた。 また、ソルフェージュも桃色の小さな本を使って学んでいた。 当時としては、ごく一般的な稽古だったといえる。

小学校5年のころか、多少は弾けるようになったためか、 何を血迷ったか「プロになりたい」と思うようになった。そこで、 T 先生の紹介で、プロを目指すための教室に行くことになった。 その教室の S 先生という方は、大変厳しい人だった。 最初のレッスンから、ほとんどいい思い出がない。

ツェルニーは30番からやり直しだった。また、T 先生のときはしなかったハノンが義務付けられた。 ハノンは厳しかった。あまりに厳しすぎて、思い出すのも嫌で、実際覚えていない。 バッハの2声のインベンションが後で加えられたが、こちらも大変だった。 最初は第1番ハ長調で、これはなんとかなったが、 次の第8番ヘ長調は猛烈に速く、それもミスタッチなしで弾かないと怒られるのだった。 私は幼心に、バッハの曲を単なる軽業のように弾くとは、バッハを冒涜していると感じていた。 だから、結局うまくならなかった。今でもこのヘ長調を弾くと、動悸がしてくる。 そして、S 先生は「ピアノは弾くものではなく、叩くものだ」と何度も力を込めて言うのだった。

S 先生のところでのピアノの実技はさんざんだったが、 ソルフェージュや聴音は特に怒られることもなかった。 聴音は、テンションのある4音同時打鍵まで進んでいたと思う。

結局、小学校6年のとき、練習のきつさに耐えかねて、稽古を辞めることを申し出た。 後で聞くに、S 先生は男の子はめったにいないから期待をしていたのだが残念だ、 ということだった。でも、辞めてすっきりした。

3-2. 環境から学んだ稽古

私が入学した大学には、ピアノのサークルがあった。わたしはそこに入ったのだが、 S 先生の稽古とは別の意味でとんでもなかった。部屋には2台のピアノがあり、 腕が立つものしか弾いてはいけないような雰囲気があった。 それに加えて私は自宅から通っていて家で弾くこともできたので、 部屋のピアノ弾くのは少し遠慮していた。 とはいえ、演奏会が迫っていたため、ある1台の演奏会用の曲を弾いてみると、 もう一台を弾くピアノからの音がずっと大きいため、 私が自分で弾く音は聞こえなかった。先輩はこの環境を「相撲部屋のぶつかり稽古」 と呼んでいたが、まさに音と音とのぶつかり稽古であり、 私は他のピアニストにいつも音量で(も)負けていた。

私のとるべき道は2つ、音量で鍛えることか、音量以外で勝負することだった。 私は後者を選んだが、音量の道を諦めたことは早すぎたような気がする (2009-09-11)。

3-3. その後の稽古

私はその後、正式な稽古につくことはなかった。 しかし、知り合いの M 先生にいろいろなご指導をいただいている (2014-03-21)。


MARUYAMA Satosi

まりんきょ学問所まりんきょと音楽 > 稽古について