2006年、自分が楽器を練習したときの記録です。最近は練習をさぼっているので、 練習以外の単に聞いた記録もここに入れることにしました。現在から過去に向かっています。 2005年の練習日誌もあります。 2007年以降は、 ブログに移行しました。
合唱団の演奏会があった。私は団員として舞台に出て歌った。 以下、一部始終を述べる。
場所は四谷区民センターである。集合は10:00であった。 ぎりぎり間に合ったが、私が行うべき舞台の設営は既に済ませてあった。 舞台で行われていたピアノの調律を、客席でぼんやり聞いていた。
10:30から12:00まで行われていたリハーサルは、無事終了した。
その後いくつかの注意事項があり、昼飯は12:20からとなった。 団員はほとんど仕出し弁当を頼んでいたが、私は断った。 値段が840円以上だったからである。 外へ出て定食屋を探し、490円で収まったことに感謝した。 ついでに口をきれいにするガムも買った。こちらは100円だった。
楽屋で着替えたが、それまでやることがない。 ロビーに出たところ、団員はだれもいない。 受付担当者が何人かいて、何人かをロビーまで既に招いている。 少し手伝うともに、時間前だったがドアを開放して外で待っている客を中に招いた。 ドアの開放につかう楔が見つからなかったので探した。 他にロビーに出ている暢気な団員はいなかった。
開演15分前に楽屋に戻る。みな緊張しているが、 私はぼんやりしている。そうこうするうち予鈴が鳴り、おずおずと舞台に出た。
本番の前半、自分としてはまじめにやったと思う。 ただ、響く声が出なかった。
休憩のときも、楽屋や舞台袖にばかりいては気が狂うので、 やはりロビーに出ていった。 アンケートを中腰になって書いている客がいたので、 椅子を出して、掛けるよう勧めた。 やはり、休憩のときにロビーに出る妙な団員はいなかった。
本番の後半は、集中力が落ちたので、歌詞を間違える凡ミスが多く出た。 また、響く声どころか、大きな声も出なかった。 声が嗄れてしまったのだ。これでは合唱団員失格であろう。 前半が自分でまともにいったということを得意になって喋ったので、罰が当たったのだ。
演奏会が終わったあとで、団員はみなロビーで客を出迎えた。 このときのロビーは満員で、身動きができないほどだった。 私を訪ねてくれた客は1組だけで、その客が帰ったあとで、 別の客の案内をした。
打ち上げの席で、ベースのパートリーダーに、しばらく休部する旨を告げた。 そしてビールとウイスキーと水とオレンジジュースと、 ピザと、ワタリガニのスパゲッティとを腹いっぱい食べて記念とした。 2次会は欠席した。体力がなかった。それに、うちあげの会場は自宅からは遠かった。
合唱団を休むわけを綴ろう。 こういっては合唱団に申し訳ないのだが、私は器楽の人間であり、 声楽の人間ではないことを自覚している。 声楽の人間は移動ドで歌える。しかし、私は移動ドでは歌えない。 これが、決定的な違いである。 私が合唱団でできることは、音程を取ることだけである。 声の響きや快感を得るところまで、 行き着けない。合唱団に10年以上いたからか、 だんだん声の妙味について目覚めるようになった。 しかし、聴く楽しみは増えてきたものの、 歌う楽しみはなかなか身に付かなかった。
合唱のいいところは、自分がほとんど成長しない場合でも、 団として成長することができること、そしてそれが楽しみとなることにある。 でも、自分が歌う楽しみはどこにあるのだろう。 合唱団で聴くのを楽しみにする自分がいて、その中で楽しんでいるだけではないか。 そんなように自問するようになった。
もちろん、歌う楽しみも少しは掴んでいる。たとえば、今度の「四季」で、 「狩の歌」がそうだった。これは、フルオーケストラの迫力ある演奏を聴くより、 自分が参加して合唱団で歌うほうが、おもしろいし、楽しい。 しかし、そのような体験はごくわずかだ。歌は聴くのがいい。 (2006-07-02)
フォーレ協会のコンサートが6月15日行われたので聴きに行った (東京文化会館) 。曲目は次の通り。
フォーレの「アヴェ・マリア」は、初めて聴く曲だった。 二人のソプラノの絡み合いが美しい曲だ。 今回聴くことができたのは収穫だった。 「小ミサ曲」は、実演では初めてだった。清楚な仕上がりが心地よい。 思ったよりも、和声は簡素である。前身が「漁師のミサ曲」であるからか、 あまり凝ったことはしていないのだろう。
続いて独唱曲3曲。「沈黙の贈り物」「山鳩」は、盛り上がりの少ない曲だ。 だから、かなり歌いにくいのではと案じていた。 実際に聴いてみると、イタリア調の節回しながら、うまくこなしていた。 また、「ヴォカリーズ」は難しい曲であるが、 これも盛り上がりまでうまく持続させていた。 ただ、どの曲も後半少し音程が下がり気味であったようだ。
舟歌第8番は、舟歌全13曲の中で強度の振幅が大きく、快活で明るい。 演奏はそのような特徴をよく捉えていた。私ならもう少し、 パキパキとぶっきらぼうに弾くところ、 ピアニストは湿り気を帯びた情感を込めて演奏していた。
ドビュッシーの「映像」は、そのようなピアニストの湿り気がよく出ていた。 特に「水の反映」はそうだった。
ラヴェルの「博物誌」は、歌もさることながら、語りがなかなか困難である。 独唱者は、響きと音程を両立させていた。弱音でも、よく会場で響いていた。
デュカスの「田園詩」は、少しホルン奏者の調子が悪いのではないかと案じた。 これは杞憂だろうか。でも、後半は調子が乗ってきていたようだ。
今思えば、ナチュラルホルンだったのだろう。(2011-10-23)
ルーセルの「田舎風」は、もっと民族主義的な節を期待していたが、 そんなことはなかった。 旋律の扱いを各種の技法で変える作曲者の作風は、 私には馴染が浅い。曲の真価を知るには、もっと聴き込むべきなのだろう。
ルーセルの「ディヴェルティメント」は木管五重奏+ピアノという構成から、 まるでプーランクを聴くようだった。もちろん、作風はまったく違うのだが、 リラックスして聴けた、ということである。
4月29日、杉並区の知人の計らいで、 杉並公会堂のプレコンサートを聴くことができた。 この公会堂には、ピアノだけでスタインウェイ、 べーゼンドルファー、ベヒシュタインと外国のピアノを3種類も備えている。 そこで、3種類のピアノの特徴を聴かせるピアノコンサートが企画されたという わけだ。 ピアニストは熊本マリさんだった。
当日のプログラムは記憶によれば次の通り。
作曲者 | 曲名 | 使用ピアノ |
---|---|---|
バッハ | 平均律ピアノ曲集第1番第1曲ハ長調前奏曲 | べーゼンドルファー |
ベートーヴェン | エリーゼのために | 全ピアノ |
シューベルト | 楽興の時第3番 | ベヒシュタイン |
ショパン | 夜想曲第2番 | スタインウェイ |
ショパン | 夜想曲第20番(遺作) | べーゼンドルファー |
リスト | 愛の夢第3番 | ベヒシュタイン |
ドビュッシー | 月の光 | スタインウェイ |
ドビュッシー | 亜麻色の髪の乙女 | べーゼンドルファー |
グラナドス | オリエンタル | 全ピアノ |
グラナドス | アンダルーサ | 全ピアノ |
アルベニス | タンゴ | ベヒシュタイン |
モンポウ | 歌と踊り | べーゼンドルファー |
ファリャ | 火祭りの踊り | スタインウェイ |
? | ? | べーゼンドルファー |
奥村一(編) | おてもやん | ベヒシュタイン |
グールド | ブギウギ練習曲 | スタインウェイ |
ここで全ピアノとあるのは、一つの曲を3部に分けて弾いた曲である。 また、最後の3曲はアンコール。 べーゼンドルファー使用の曲は失念したが、 奥村一(編)の「音戸の舟歌」だと思う。
それぞれのピアノの違いを色に例えて、熊本さんがいうには 「スタインウェイを赤色とすれば、 ベヒシュタインはショッキングピンクで、 べーゼンドルファーはパステル調でしょう」 とのことだった。 実際に聴いて、違いがあるのはわかるつもりだ。 しかし、目隠しテストをすれば、本当は聞き分けられないということが、 明るみに出てしまうかもしれない。
自分で3種類のピアノを弾いてみれば、もっと敏感になれるのかもしれない。 (2006-05-05)
久しぶりに、オーケストラの練習に参加した。 越谷にあるドルチェ室内オーケストラ(dolce-chamber-orchestra.com)である。 第 1 回演奏会の曲目を練習した。 私にはきつい曲目ばかりである。 しかし、久しぶりにオーケストラの中に入って聴くと、 なかなか迫力があり、いいものだ。 自分が弾かないのが本当はいいのだが、 そうすると切実感が薄まる。 麻雀は賭けるとますます面白くなるようなものだろうか。
私がオーケストラで初めて弾いたのは、 品川区民管弦楽団(www.shinakan.org)に、 エキストラとして参加したときだった。 時は1994年2月、喜歌劇「こうもり」抜粋だった。 本番では雪に見まわれたが、盛りあがっていた。 このとき、チェロを弾いていた学生がいた。 彼の両親はそれぞれピアノとヴァイオリンを弾いていて、 家族でピアノトリオを楽しんでいるという。 なんとまあ、理想的な家族なのだろうとうらやましく思った。
話を戻して、今回はきちんと曲をさらって、弾けるようにしよう。 (2006-01-22)
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