ドルチェ室内オーケストラのこと

作成日: 2006-04-09
最終更新日:

1. 勧誘を受ける

今年(2006年)の初め、ドルチェ室内オーケストラのY氏からメールを 頂いた。オーケストラにチェロで参加しないかとの誘いであった。 管楽器のあるオーケストラに参加したのは過去一度きりである。 久しぶりにオーケストラで弾きたくなった。 場所が住居と同じ市内であるのもありがたい。 心配だったのは、練習が増えることで身が持つかということだった。 今でも弦楽合奏団と合唱団に参加しているのだ。 どちらもこれから練習回数が増える。 しかし、なんとかなるだろうと思い、誘いを受けた。

2. 練習に参加する

最初の練習に参加した。その日渡された譜面は、3種類あった。

どれも聞いたことはあった。これだったら何とかなるかもしれない。 しかし、何ともならなかった。 この日のチェロは私を含めて3人だった。 隣のチェリストは、気持ちよくばりばり弾いていたが、 私は全然弾けなかった。 帰り際、私は楽譜をお借りした。

次の練習に参加した。 隣は前回とは違うチェリストだったが、やはり気持ちよくばりばりと弾いていた。 相変わらず私は弾けなかった。 隣のチェリストの楽譜から、ボーイングを少しずつ写していった。

3度めの練習に参加する。トップのチェリストが来ていた。 出だしのタイミング、音量など、いろいろな指示を頂く。 それでもなお、できない。 このとき、アンコール曲を渡される。 シューベルトの「ロザムンデの音楽」より「間奏曲第3番」 である。

3. 曲のこと

ここで、演奏会曲目に対して、私の思いを述べる。

モーツァルト:歌劇「魔笛」より序曲

オペラはほとんど見ない私だが、音楽としてのオペラはたまに聞く。

私がオペラをほとんど見ないのは、日本語の理解に問題があるからだ。 オペラの話の筋がわからない。オペラはたいてい色恋の話だが、 その色恋の感性が私にはまったくないのだ。したがって筋がつかめない。 困ったことである。

「魔笛」に関して言えば、筋はやはりわからないが、 曲は楽しいのでつまみ食いで聞いている。序曲しかり、 夜の女王のアリアしかりである。 私が所属している合唱団の余興(団内演奏会)で、 いくつかの二重唱や三重唱の伴奏を受け持ったこともある。 楽しい想い出だった。

さて、序曲を演奏する機会ができてどうなったか。 練習である個所(43小節あたり)に達すると、不覚にも目が潤み、 こみ上げて来るものを抑えられなくなってしまうのだった。 なぜかはよくわからない。 ただ、なぜか心が揺さぶられている自分に気がついて、 揺さぶられているということは自分が生きているのだ、 ということを感じるのだった。

ここの練習のとき、指揮者の一言が印象に残っている。 この曲でトロンボーンが使われているのは、 トロンボーンは天使の楽器、神からの楽器という象徴があるのだそうだ。 なるほど、そう言われると、冒頭序奏のアダージョの荘厳な雰囲気は、 トロンボーンの寄与が大きいと思わせる。

序奏が終わりアレグロに入ると、俄然曲想は活気を帯びる。 18小節から2小節間は、同音反復のある4度の跳躍から成っていて、 このモチーフはアレグロ全体で使われている。

さて、このモチーフは、はるか昔ドメニコ・スカルラッティが、 ソナタL.16(K.306)で使ったものとよく似ている。 調性も同じ変ホ長調である.

もちろん、類似性は単なる偶然だろう。 しかし、この軽快さは、スカルラッティに通じると思うだけで、 この序曲にますます親近感を抱くのだった。

モーツァルト:クラリネット協奏曲

モーツァルトで聞いていたクラリネット作品は、 専らクラリネット五重奏曲だけであり、 クラリネット協奏曲はほとんど聞かなかった. なぜかはわからない. 吉田秀和の「私の好きな曲」にこの曲が取り上げられていて, その最後の段落にどきりとしたことが原因なのかもしれない. あるいは,協奏曲の曲想があまりに枯淡に響き (たとえばピアノ協奏曲第27番のごとく), その結果興味を失ったのかもしれない.

しかし,伴奏の立場で聞くと,納得するのだった. モーツァルトがオーケストラと対峙させる楽器として, 音色が透明なクラリネットを選んだことが, 何らかの必然をもっていたのではないかということだ. 音響効果のない,ただの練習部屋では響きが感じられなかったが, その後客席のあるホールの舞台で練習したときには, クラリネットの音色が客席を通じて, ホール全体に満たされるように感じたのだった.

ベートーヴェン:交響曲第1番ハ長調

ベートーヴェンの交響曲は,有名な曲だけしかしらない. 第1番は,部分的に知っていた.

第1楽章は,テレビコマーシャルで知った. 第一家庭電器(家電量販店,2002年破綻)のテレビコマーシャルである. 最初に指揮者が出てくる. タクトを振り降ろすと,ベートーヴェンの第5交響曲第1楽章冒頭(皆さん知っているあれ) をオーケストラが奏する.すると指揮者が, 「第5じゃない,第1,第1」と絶叫する. これを受けてオーケストラが,第1交響曲第1楽章の主題を奏する.

第2楽章は,ソナチネアルバム(第1巻)のピアノ編曲で知った. 少し練習した.第3楽章は知らない.

第4楽章は,小林仁が講師だった時代(と思う)のピアノのおけいこの テキストにあった.小林が連弾用に編曲した版であったが,これは抜粋だった その後オーケストラで省略なし版を聞いいた。 余計な個所があるような気がして、その違和感にしばらく悩んだ.

こんなどうでもいいことを書き連ねても何の意味もないが, 驚いたのは第3楽章が「メヌエット」と書かれていたこと, そして,その実はスケルツォのように急速に弾かれるべきことが, 練習でわかった.

シューベルト:ロザムンデ間奏曲第3番

冒頭のメロディーは、弦楽四重奏曲第13番イ短調(ロザムンデ)の第2楽章と同じである。 また、ピアノのための即興曲Op.142-2の主題と似ている。 弦楽四重奏曲の版は深く展開されている。 ピアノの版は変奏曲のテーマであり、ダイナミックである。 しかし、オーケストラ版はもっとおとなしい。 管の落ち着いた音色を際立たせることが、 他の版との差異を際立たせることになるのだろう。

本番が来る

本番の前

あっという間に本番の4月8日を迎えた。 あまり準備をしていなかったが、家で練習し、 変な顔を晒さないよう鼻毛を切った。

本番を行う南越谷のサンシティホール(小ホール)には、 しっかり定刻10分前に付いた。 リハーサルを迎えて、団長から挨拶があった。 「本番でうまくいったら、団員のおかげ。 本番で失敗したら、指揮者のせい」 これでだいぶ緊張がほぐれた。 リハーサルでも問題点がいろいろ指摘されたが、 もう、覚えていない。

本番を迎えた。オーケストラの団員として立つのは久しぶりで緊張する。 客席にはお客さんがけっこういる。(ここまで 2006-04-09)

本番

特に大きな失敗はなかったように思う。協奏曲のクラリネット独奏が時に苦しそうな感じではあったが、 全員で大きな音楽を作っていく喜びに比べればささいなことであった。

打ち上げ

演奏終了から打ち上げまで結構時間があった。考えてみれば、チェロを家まで持って帰って、 手ぶらで参加することも時間的に可能だったが、 往復が面倒であり、だいたい帰ることなどそのときは思いもつかなかった。 私はエキストラの立場の参加だったので、特に片づけを手伝うこともなく、ぼんやりと打ち上げ会場の前で本を読んでいた。

徐々に人が集まり始めた頃、会場の前でたむろする少年が数人いて、ふざけていた。 そこにクラリネットの独奏を披露した団員がやってきて、少年らを厳しく注意した。少年らはおとなしく従った。 そういえば、この団員は学校の先生をしていたことを思い出した。

そうこうするうちに団員が集まりだし、定刻より遅れて打ち上げが始まった。結構みんなはしゃいでいるようで、 知らない顔がほとんどである。オーケストラの打ち上げはこんなものだなあ、と思いながら、何人かの人とおしゃべりをした。 それはそれで楽しかった。 指揮者は、このオーケストラでベートーヴェン交響曲を全曲演奏するのが目標と言っていた。

その後

正団員になりませんか、というお誘いがあったが、それは断った。 その後この室内オーケストラは、 指揮者の思い通り、 第2回、第3回の演奏会でそれぞれベートーヴェンの交響曲第7番、第3番を演奏した。 わたしはどちらも聴きに行かなかった。

その後、どんな活動をしているのだろうと思いホームページを探したが、見つからなかった。 母体となるドルチェ弦楽合奏団のホームページも事実上閉鎖されている。 何があったのか、気がかりである。

私は今でも魔笛の序曲を聴くたび、心が締め付けられる。 この演奏当時、私は勤務先で上司との関係に悩んでいた。 その真っ只中、この魔笛をチェロで弾いていた。これは大事なことだった。 言い換えれば、悩みの救いが魔笛であったのだ。 ( 2009-12-13 )

その後、ドルチェ室内オーケストラは元気に活動しているようだ。 ホームページが閉鎖されたのは、何か事情があったのだろう。 ともあれ、応援している。いつかは客席で聴いてみよう。(2010-06-15)

復活したホームページ (dolce-chamber-orchestra.com) を掲載する(2012-07-20)。

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MARUYAMA Satosi