日本語が乱れてる! とさわぐのはまだ早い
この本では、ことばはいつも変わるものと見る。
いまでも使用の是非がかまびすしいラ抜きことばだが、 著者は、ラ抜きことばは千年単位の変化に位置づけられるという。 せいぜい百年しか生きられない個人がどうのこうのいっても、仕方のないことだろう。
著者はp.30 でことばも服装と同じで、場合により、周囲に合わせて、どんなふうに受け取られるか考えながら、
使い分ける必要がある。
といっている。その少し後で明かしたことは、著者は自分ではラ抜きことばを使っていなかったつもりだったにもかかわらず、
自分が講義したビデオをあとで見たらなんと自分でも使っていた、ということで、著者は自信をなくしたという。
こういう方が述べる日本語論はかえって説得力がある。
著者は、平板アクセントを使う人は、その道の通というか専門家に多そうなので、「専門家アクセント」と名付けた。
という。
この専門家アクセントは、指摘されてなるほどと膝を叩いた。なるほど、その通りなのだ。
おもしろい例が p.169 にある。著者は大学の先生であり、学生の報告を次のように記しているので抜き書きしよう。
なお、原文は縦書きなので、右傍線を上線に直している。
水泳部員の報告 (1980 年ころ) は印象的だった。 あるとき「メドレー」を下級生が「メドレー」と平板化して言い始めたそうだ。 しばらくしてだんだん下級生から上級生に広がり、最後に残ったのは彼一人になったそうである。
私はこの一人になってしまった水泳部員を応援する。
なお、同じ p.169 には、コンピュータにくわしい人は「ファイル」と言う。
とある。わたしはコンピュータで飯を食っているつもりだが、ここでは自分がどういっているかはわからない。
以下は 2003-09-11 時代の感想である。
近頃よくとりあげられる半疑問や語尾上げ現象も取り上げている。語の変化を冷静に眺めている。 落ち着いて読める本だった。
最近読み直して、次の個所に気付いた。p.179、金田一春彦氏の観察結果である。 下記で斜体字は、イントネーションが高い音(アクセントが付く音)を表す。
「東海道線は、しながわ、 よこはま、おだわら、というように、 地元意識があるところでは平板アクセントになる。 あたみからは、頭高アクセントになる。」
本当にそうなのだろうか。小田原と熱海のあいだの「ゆがわら」、 「まなづる」は頭高であるのは納得が行くが、 横浜と小田原の間にある、「ちがさき」や「おおいそ」は どうしてこうなのだろう。茅ヶ崎や大磯は私にとって地元ではないところなのだろうか。 なお私の普通の発音では「ほどがや」や「つじどう」というが、 「ほどがや」や「つじどう」というかもしれない。 保土ヶ谷や辻堂は、私にとっての地元か、よそかの中間というところだろう。 こうなるのだろう。 (2003-09-11)
書 名 | 日本語ウォッチング |
著 者 | 井上 史雄 |
発行日 | 1998 年 1 月 20 日(第 1 刷) |
発行元 | 岩波書店 |
定 価 | 660 円(本体) |
サイズ | 新書判 |
ISBN | 4-00-430540-3 |
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